Ⅴ.移動歌劇団ルミナ

協力者

 その日俺は、クオンとシオンについて、街を歩いていた。

 クオンが民家の玄関口で、住民のおばさんに瓶を手渡す。


「はいっ、月の雫!」


「この前の満月の夜、エネルギーを集められなかったの。天文台に取っといてある分も残り少ないから、大事に飲んでね」


 クオンの一歩後ろで、シオンが注意を促す。おばさんは瓶――月の雫を受け取って、ふたりに微笑む。


「ありがとう。セレーネ様、まだ帰ってないのね。心配だわ」


「うん、でも大丈夫。きっとすぐ帰ってくる」


 シオンが根拠もなく言い切り、その横ではクオンがにっこりする。


「それにね、今はイチヤくんがいるの。セレーネ様に遣わされた月影読み代理なの!」


 この「設定」も、すっかり定着してきている。言う必要はないはずなのに、双子が街の人に俺を紹介してしまう。このおばさんも、俺を見て驚いた顔をした。


「あら、あなたが! 若いのに立派ね」


「はは……セレーネが戻るまでの間ですが、よろしくお願いします」


 俺も、とりあえず双子に合わせている。


 注文されている月の雫を、街の人に配り歩く。今日の街は、お祭りムードである。建物の屋根から屋根へ、オーナメントやガーランドが吊るされて、カラフルな旗が風にパタパタ揺れていた。


 浮き立つ街を眺めて、クオンが頬を染める。


「歌劇団ルミナ、いよいよ今夜だね」


 そうだ。今夜は移動歌劇団ルミナのテントが、この街にやってくる日なのだ。街を華やかに彩る装飾は、劇団を歓迎するために施されているのだ。

 クオンとシオンは、チケットこそ取れなかったが、せめて役者に会えないかと、楽しみにしているのだ。


 水を配り終えて、広場の噴水に腰掛けてひと息つく。休憩していると、役場から出てきた男性が、俺に目を留めた。


「あっ、君は!」


 青っぽい髪に藍色の瞳、端正な顔立ち。仕立てのいいコートに身を包んだその男には、見覚えがあった。


「ツヴァイエル卿!」


 思い出した名前を口にする。クオンとシオンは目を丸くして、尻尾を真っ直ぐ立てていた。

 ツヴァイエル卿は、落ち着いた歩き方で俺の方へと向かってきた。


「また会うとは奇遇だね。先日はうちの下請けが失礼した。怪我はなかったかい?」


 一瞬、なんの話だろうと思った。数秒ぽけっとしたのち、俺の頭に幌馬車の御者の顔が浮かぶ。


「あ! すぐに手当したので大丈夫です。えっと、覚えてたんですね、俺のこと」


 慌てて答えてから、俺は目をぱちくりさせた。ツヴァイエル卿は豪商であり貴族だと聞いている。たくさんいる従業員や下請け業者、他にも様々な立場の色んな人と関わっているような、多忙な人だ。そのツヴァイエル卿が、一瞬顔を見た程度の俺を覚えていたとは、驚いた。

 彼はふわっと柔和な笑顔を浮かべた。


「普段なら忘れちゃうかもしれないけど、君は特別、気になっていたからね。イチヤ・カツラギくん」


 突然フルネームを呼ばれ、俺はますますぽかんとした。ツヴァイエル卿が役場を指差す。


「驚かせたね。実を言うと、今しがたフレイから君の名前を聞いたんだ。先日の幌馬車の件で役場を訪ねたついでに」


 話によると、今日ツヴァイエル卿は、例の幌馬車の御者の処分を役場に報告しに来たのだという。事件が起きた場所が月の都だから、月の都の役場とやり取りがあるらしい。

 本来ならこういうのは従者に行かせるような案件だそうだが、フットワークの軽いツヴァイエル卿は、現場の視察と気分転換の散歩を兼ねて、直々にやってきたのだという。


「幌馬車の一件のとき、君とフレイは親しげに話していたでしょ。フレイの知人なのかなと思って聞いてみたら、君、月影読みの代理なんだそうじゃないか」


 ツヴァイエル卿は両手を突き合わせ、晴れやかな笑顔で言った。


「代理が立ったのは、王国議会に書面が回ってきてるから知ってはいたけど。まさかそれが、君のような若い少年だったなんて!」


 彼は領地を治めている立場だから、王国議会……この世界の政治機関に、席がある。俺を月影読みの代理として認めさせる書類は、この人の目にも触れていた。


 ツヴァイエル卿は、双子ににっこり微笑みかけた。


「この子たちは従者?」


 すると俺が答えるより早く、クオンが返事をした。


「そうです! 私はクオン、こっちがシオン!」


「こんにちは、かわいい従者さん」


 彼は腰を屈めて、片手ずつ、クオンとシオンの頭に置いてぐりぐりと撫でる。それから背筋を伸ばし、元の目線の高さに戻った。


「ところでイチヤくん。フレイから聞いたよ、記憶喪失なんだって?」


「はい」


「そうか。じゃあ、月影読み代理のお仕事も……」


「正直全く、手におえていません」


 俺は素直に、なにもできていないのを認めた。ツヴァイエル卿が顎に手を添え、虚空を仰ぐ。


「そっか。僕の商会は月の都にもいくつか拠点があって、月の民の従業員がたくさんいる。月の雫がなくなってしまうと、彼らも生活が大変になるだろうから、気にかかっていたんだ」


 月影読みのセレーネが消息を絶ち、彼女は満月の夜にも不在だった。その一回分、月の雫は生産されていない。

 先日フレイから聞いた話によれば、月の民は元々、自然な月の満ち欠けに体を委ねていた。月の雫にコントロールされないのが自然体なのだろうが、当時とは変わっている今の社会では逆に彼らの首を絞める。

 月の民が月の雫を切らせば、眠りに落ちてしまう。月の明るい夜しか動けなくなってしまったら、月の民本人たちも不便だし、労働力として抱えているツヴァイエル卿にとっても他人事ではない。

 俺は恐縮して、頭を下げた。


「ごめんなさい、俺がなにもできないせいで……」


「いや、違うんだ。それよりも、こんな大変なときに大変な立場に就いた君が、心配なんだ」


 ツヴァイエル卿は苦言を呈するどころか、俺の肩に優しく手を置いた。


「記憶喪失というだけで、本当なら、自分のことだけでいっぱいいっぱいになっちゃうよ。この状況で代理を引き受けているだけでも充分立派だ。まだ若いのに、君はよく頑張ってる」


 全部成り行きだから、そんな大層なものではない……だが、否定するのもなんなので、俺は黙っていた。ツヴァイエル卿が続ける。


「困ったときは、フレイを頼ればなんとかなるとは思う。けど、もしよかったら、僕も頼りにしてほしい。健気に頑張る君に胸を打たれたんだ。できる限りの支援をさせてもらうよ」


「えっ、いいんですか?」


 俺は顔を上げ、目を見開いた。ツヴァイエル卿は、地位のある人で、しかも他人の俺に気をかけてくれる人格者だ。口の悪いフレイや怪しいロロよりも、ずっと頼り甲斐がある。

 ツヴァイエル卿は、朗らかに微笑んだ。


「フレイのように傍にはいられないし、すぐにすっ飛んでも来られないけれど。僕は君を応援してる。それじゃあ、そろそろ行くね」


 そう言って品よく会釈し、彼は俺に背を向けた。俺は噴水から立ち上がり、深々とお辞儀した。


「はい! ありがとうございます!」


 ツヴァイエル卿の後ろ姿を見送って、俺はまた、噴水に腰掛けた。味方が増えたのはとても心強い。

 クオンとシオンはもう、噴水の縁に立ってはしゃいでいる。


「わーっ、あのおうち、ベランダにお花飾ってる! ルミナを歓迎してるんだ」


「どこどこー!?」


 俺も、周辺を見渡した。街はいつもより有頂天で、劇団を出迎える装飾で華やいでいる。

 もうすぐ、街に劇団がやってくる。チケットは買えなかったのに、なんだか俺たちも、ちょっと浮かれていた。

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