大嘘
「フレイ、フレイ! 怒んないで。イチヤくんはね、記憶喪失なの!」
クオンが喋れば喋るほど、目の前の男――フレイの顔は険しさを増した。
「つまり、セレーネがいない間に天文台に侵入したが、双子に見つかって、そんな苦しい言い訳をしてると?」
「違うんです、本当なんです」
俺も必死に訴えたが、フレイの考えは至極真っ当だった。
天文台は、月の都に欠かせない重要な機関である。そこになんの権限もない俺がいて、しかも記憶喪失だとか宣っている。盗みに入った賊だと疑われても当然だった。フレイがまともな大人で、そして役場勤めだというのなら尚更だ。
「本当なんです!」
俺にはそれしか言えない。証拠もなにもないから、どうしようもない。フレイは疑り深い目で俺をじろじろと眺めた。
「てめえまさか、双子に手え出すために近づいたんじゃねえだろうな」
「は!? いやいやいや、なに言ってるの!?」
フレイに引っ張られるように、俺も声が大きくなる。フレイがドンッと壁に手を叩きつけた。
「単なる盗賊なら、こいつらを振り払ってさっさと逃げられるはずだ。それがこうして、クオンと親しげにしてる。こいつらを懐柔して、なにか変なことを……」
単なる盗賊扱いだけでなく、もっと不本意な罪まで着せられた。もう俺も、大人しく怯えてなどいられない。
「なんだよそれ、こんな子供相手にそんな発想ないよ! 言い切っておく、有り得ない。それも嘘だと思うなら、クオンとシオンに確かめろ」
「事細かに聞いてやるよ。目的が双子じゃなかったとしても、重要機関である天文台に得体の知れない奴が出入りさせるわけにはいかない。重要な資料や設備を盗まれたらいけねえ」
「犯罪者扱いすんなよ!」
「犯罪者扱いじゃねえ、ゴミ扱いしてんだよ。オラ、表出ろ!」
フレイが手をバキバキ鳴らしはじめた。クオンがギャーッと叫んでフレイにしがみつく。
「やめてフレイー! イチヤくんは階段から落ちて怪我してるの! これ以上ボコボコにしないであげて!」
すると、奥からシオンが駆けつけてきた。
「ふ、フレイ! この方をどなたと、こ、こころえおりゅっ……」
辿々しく叫んでいるが、最後の方は声が震えて萎んでいた。彼女は尻尾を膨らめて、手に持った文書をフレイに突きつける。
「この人は、イチヤ・カツラギ。セレーネ様公認の、月影読み代理!」
これにはフレイも、クオンも、俺も、絶句した。
月影読み代理? なにを言っているのか。
突然現れた俺が、そんな大きな職務に就任するはずがない。俺は異なる世界から迷い込んだ迷子に過ぎない。月の観測とか、月の雫とか、なんの知識もないのだ。
フレイが眉間の皺を深めて、シオンの持った紙を受け取った。
「はあ? 月影読み……代理?」
「そう。それはこのイチヤくんが持ってきた、セレーネ様の直筆文書。これから役場に持っていこうと思っていたところだよ」
シオンが妙な棒読みで言う。俺はまだ、ぽかんとしていた。当然俺は、そんな文書は知らない。持ってきていないし、まして、月影読み代理になった覚えもない。
シオンが持ってきた文書は多分、観測室にあった大量の文書のうちのひとつだ。それを持ち出してきて、テキトーに乗り切ろうとしているのである。大人しそうに見えて、なかなか大胆な奴である。
シオンが出任せを言っていると察したクオンは、すぐに順応した。
「そうなの! セレーネ様はしばらく王国議会のお仕事でこっちに帰ってこられないから、月影読みの血筋を持つ、親戚のイチヤくんをこっちに寄越してくれたの」
クオンはフレイから離れると、今度は俺に貼り付いた。
フレイは不機嫌面で俺を一瞥し、文書に目を落とす。しばらく目を細めて文字を睨んでいたが、やがて首を傾げた。
「たしかにセレーネの字だし、サインもあるが……字が汚すぎて、なんて書いてあるのか全然分からねえ」
「私たちは従者だから、セレーネ様の走り書きもきちんと読めるよ」
シオンが相変わらずの棒読みで言う。
「セレーネ・アリアン・ロッド不在の間、便宜上、イチヤ・カツラギを月影読み代理として遣わす。イチヤ・カツラギは、ロッド家の分家にあたるカツラギ家四代目。望遠鏡を操る権限と才能は、セレーネ様に次ぐ」
それに加えて、クオンも小さな胸を反らして人差し指を立てた。
「そうそう! 国立ウィルヘルム大学主席卒業、コルエ村の火災から人々を救い、森の秘薬を持ち帰って医療を発展させ、氷の洞窟に巣食う危険生物をひとりで五秒で倒した英雄だよ。フレイったら知らないの?」
俺にどんどん、「ない経歴」が追加されていく。フレイがギロッと俺を睨む。
「このチンチクリンが、か?」
「そうだよ。そう書いてあるじゃん。セレーネ様がそう言ってるんだからそうなのよ」
クオンが大嘘を重ねた。シオンがそっと、辿々しく付け足す。
「イチヤくんは、この文書を持って遠くから遥々ここに来てくれたの。でも途中で野生生物に襲われて、衝撃で記憶が消えてしまったみたい」
それを受けてクオンが話を盛る。
「そうそう、でもセレーネ様から持たされてた地図を頼りに、ここに辿り着いてくれたんだよ。記憶喪失だから月影読みとしてなにかできるわけじゃないんだけど、セレーネ様から遣わされた人だもの、私たちが従者として従うのは当然。記憶が戻れば、セレーネ様がご不在の間、月影読みとして街を守ってくれる」
いや、無理だけど……とは、とても言える空気ではない。クオンとシオンが、同時に俺を見上げた。
「ねっ、イチヤくん!」
「だよね、イチヤくん」
「はい、そうです」
としか、言えない。フレイはまだ俺を訝っていたが、ついに舌打ちをして、折れた。
「どう考えても信用ならねえが、ここで言っても分が悪いな。本当だとしても嘘だとしても、証人はセレーネしかいない」
フレイは文書を胸ポケットに押し込むと、俺に手を差し出した。
「身分証を出せ。ひとまずロッド家との関係を照合する」
全くの無関係である俺は、縮こまりつつ学生証を取り出した。フレイは学生証を見るなり目を瞠り、俺と学生証とを見比べる。
「なんだこの文字……どこの言葉だ?」
俺はひとまず、クオンとシオンのデタラメに話を合わせた。
「カツラギ家は辺境の土地を持っているんだ。記憶がないから、詳しくは分からないけど。そこには土着の言語があって独立した社会がある。他の土地との交流は殆ど断っていて、ロッド家とだけ強く結びついてる」
「はあ」
「だから解析しても納得の行く結論が出るかは分からない。一応、その写真入りの身分証が、俺がカツラギ家の人間である証拠」
「まあ……似顔絵の技術がやけに高いし、それなりの画家を雇うだけの家柄なのは分かったが……」
フレイが困惑しながらも騙されていく。学生証に埋め込まれた顔写真は、フレイの目には高名な画家の絵に映ったようだ。俺はだんだん、彼に申し訳なくなってきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます