双子
「どこかは分からないけど、きっとずーっと遠いところから来たんだね。だからこんなヘンテコな格好してるんだよ」
クオンが俺のワイシャツを容赦なく捲る。顕になった肌に、シオンはぴくっと身じろぎしたが、恥じらいながらも薬箱から薬草を取り出した。
「遠くから来て、記憶喪失なんて。大変、セレーネ様に相談しなくちゃ」
「でもセレーネ様は……」
クオンは途中まで言いかけて、そこで言葉を切った。薬草を練ったらしき薬を手に取り、湿布に塗る。
「遠くから来た人だとして、イチヤくんはどうして、この天文台にいたんだろう? いつ入ってきたのか、全然分かんなかった」
クオンとシオンは手分けして、俺の体にぺたぺたと湿布を貼り出した。冷たい薬品が肌にぺっとり張り付いて、擽ったい。シオンが新しい湿布を構えつつ、階段の上の望遠鏡を見上げた。
「記憶がないのは、階段から落ちたときに頭を打ったからかな」
俺にも分からない。なにせ、記憶がない。
俺はされるがままになりながら、考えた。
「俺はここに来て、なにをしようとしてたんだろう。あの階段から落ちたってことは、そこの望遠鏡に用があったのかな」
俺はまだガンガンする頭を擡げて、望遠鏡を指さした。クオンが湿布を貼りつつ答える。
「そうかもしれないね! あの望遠鏡は、不思議な力のある望遠鏡だから、あれがなにか鍵を握ってるかも」
「不思議な……?」
「うん! あれは満月の夜に月の光を集めて、エネルギーを抽出できる望遠鏡なの」
「なんだそれ、すごいな。ただの望遠鏡じゃない」
望遠鏡なら、天体観測をするための道具のはずだが、そこにある望遠鏡は、望遠鏡の形をした全く違う道具なのかもしれない。俺がその望遠鏡の傍から落ちてきたというのなら、記憶をなくす前の俺は、あれになんらか関わっていたのだろう。
「俺は望遠鏡で、月の光のエネルギー? とやらを手に入れようとしていた? それをどうしようとしてたんだろう」
なんにも分からなくて、ひとまず今ある情報から考えてみる。するとシオンが、うーんと唸った。
「イチヤくんには、月の光のエネルギー、取れないと思う。きっと望遠鏡の使い方も分からないよ」
「私たちだって、あれの使い方知らないもん」
クオンがあっけらかんとして、俺の腰に湿布を貼った。俺は目をぱちぱちさせる。
「へ……? ふたりとも、ここの人なんじゃないの? だったら、使い方分かるんじゃ?」
そんな俺に、シオンがゆったりと返した。
「たしかに私たちはこの天文台に住んでるけど、あの望遠鏡を扱えるわけじゃないよ。だってあれを扱えるのは、セレーネ様だけだもの」
セレーネ様。先程も、その名前を聞いた気がする。
「セレーネ様というのは、誰なんだ」
するとクオンが食い気味に答えた。
「セレーネ様は、大賢者アリアン・ロッド様の末裔、“月影読み”! 私たち姉妹のご主人様だよ」
「月影読み……?」
ここへきてさらに意味不明な単語が出てきた。クオンが早口に続ける。
「セレーネ様は、それはそれは気高く美しく、ミステリアスで、ちょっと変なところもあって、でも格好よくて……」
勢いを増して喋るクオンと困惑する俺を見かねて、シオンが口を挟んだ。
「イチヤくんは記憶喪失だから、それも忘れちゃってるのかな。どこから説明すべきか分からないけど……このアルカディアナには、大きく分けてふたつの領土があって。片方がここ、“月の都”で、もう片方が“大地の国”なの」
クオンよりはしっかり話してくれそうなので、俺は黙ってシオンの言葉を聞いていた。
「月の都は、私たちみたいな月の民の土地。私たち月の民は、生きていく上で、月光が必要不可欠。賢者の一族が、あそこにある魔法の望遠鏡で、月のエネルギーを観測するの。その一族が、月影読み」
「そしてその月影読みを担っているのが、我らがセレーネ・アリアン・ロッド様だよ!」
クオンが割り込んできた。
「月影読みは賢者として最高位特権を持ってるの。この建物、“天文台”の全てが与えられるんだ」
シオンは彼女を一瞥し、再び俺の方を向く。
「私たち姉妹は、セレーネ様の従者。観測に没頭しがちなセレーネ様に食事を持っていったり、身の回りのお世話をさせていただいたりしてる。彼女に与えられた、この天文台に一緒に住まわせてもらってね」
「そうなの。ただの従者だから、セレーネ様みたいに望遠鏡を扱えない」
クオンが自嘲的に笑う。俺は湿布だらけになった体を見下ろして、ワイシャツを引っ張って着直した。
「じゃあ俺は、そのセレーネ様に用があったのかな。望遠鏡の傍にいたなら、きっとなにか関係ある」
俺がセレーネと知人だとしたら、記憶がない俺の代わりに、セレーネが事情を知っているかもしれない。しかし、クオンが言いづらそうに目を背けた。
「それが……」
なんだか、嫌な予感がする。クオンとシオンはしばし視線を交わし合い、やがてクオンが腹を決めたように口を開いた。
「帰ってきてないの。三日も前から」
「えっ!?」
俺がぎょっと目を剥くと、シオンが気まずそうに俯いた。
「自由気ままな方で……よく、ふらっとどこかへいなくなるんだ」
キーアイテムらしき望遠鏡を扱いこなせるのは、月影読み、セレーネのみ。
そのセレーネは、不在ときた。
愕然とする俺を元気づけるように、クオンが明るい大声を出した。
「だ、大丈夫! いつもは一日二日で帰ってくるし、長引いても五日以内には帰ってくるから!」
その横で、シオンがふにゃっと微笑む。
「ひとまず、セレーネ様が帰ってくるまで、この天文台にいるといいよ。私たち、セレーネ様の従者だから、人のお世話は得意なの」
言われてみれば、今俺は自分自身が何者なのかも分からなくて、住むところもお金もなにもない。この建物に身を置かせてもらえるのは、ありがたい。クオンとシオンがついていてくれるのも心強い。
クオンがすっと立ち上がる。
「まずはその体の怪我を治して、先のことはそれから考えようよ」
そして獣のような素早さで、しゅたっと走り出した。
「そのためにも、おなかいっぱいおいしいもの食べて、元気をつけないとね! 私、ごはん用意してくるー!」
クオンは勢いよく、壁に取り付けられていた両開きの扉に向かっていく。俺は咄嗟に、その背中に呼びかけた。
「あっ、あの」
クオンが立ち止まり、薬箱の蓋を閉めていたシオンも、顔を上げた。俺はそれぞれを交互に見て、頭を下げる。
「ありがとう、助けてくれて」
するとふたりはにこーっと笑い、同時に言った。
「どういたしまして!」
「どういたしまして!」
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