後編
食事を終え、私と卓は綺麗な夜景の見える小高い丘にタクシーに乗ってやって来た。
「おっと」
タクシーを降りるとき、私は少しよろめいてしまった。
無理して高いヒールを履いてきたせいで、ただ歩くだけでも結構な違和感がある。
「大丈夫ですか?」
心配そうに声をかけてくれたタクシーの運転手さんに「大丈夫です」と返事をした私は一礼してタクシーを見送った。
「美香」
名前を呼ばれ振り返ると、丘の上に月明かりに照らされた卓の姿が見えた。
卓の元に行こうと慣れないヒールで丘の上に向かって歩いていく。
丘の上に着くと、そこからは街の景色がよく見え、ぽつぽつと光る街の光はまるで夜空いっぱいに広がる星空を鏡写しにしているようだった。
「……綺麗」
思わずその一言が口から漏れ出てしまうほどに、とても幻想的できれいな景色をここから見ることができた。
「美香。実は話したいことがあるんだ」
「……なに?」
頬を撫でる冷たい夜風と共に耳に響いてきた卓の声はとてもかぼそくて、今にでも消えてしまいそう。
そんな卓の声を必死に耳に取り込んで、私は卓の話に耳を傾けた。
「俺と美香が付き合って、もう何年になるっけ?」
「えーっと、付き合ったのが十三歳の時で今が二十五歳だから……十二年になるね」
苦手な計算を頭の中で行い、笑顔で私は卓に答えを言う。
「美香は昔から寂しがり屋で、そんな美香が俺はずっとほっとけないで。今日までずっとそばにいたよな」
「ずっと一緒に居るようになったのはちょうど大学を卒業した時からだよね」
私は夜空を見上げながら当時のことを思い出す。
「僕は、美香と出会うことができて本当に良かった」
「そんなの私も同じだよ! 本当に修学旅行の時のあの男子たちには感謝しないとね! 思い出すと本当にすごい出会いだったよね!」
私はレストランで話した思い出話を繰り返し卓に話し始めた。
少しでもこの幸せな時間を長引かせるように。少しでもこの後卓から言い出されるであろう言葉を先延ばしにするように。
卓は私の話を遮ることなく、ただ優しい笑みのまま頷きながら話を聞いてくれていた。
「あの時、卓が遠くの方からわざわざ走ってきてくれて私たちを助けてくれたんだよね」
「うん」
「正直、あの男子たちと同じ制服着てたから最初はまた面倒な奴が増えたと思ってたけど、まさか助けてくれるなんてね」
「うん」
卓との思い出は、夜空の星の数に負けないくらいにある。
そして私は、卓との思い出をこれからもずっと増やしていきたいと思ってる。
何年。何十年。何百年だって、ずっと。
「まさか高校で卓と再会するなんて夢にも思わなかったよ!」
「うん」
「同じクラスで席も隣同士で。今思えば運命の出会いだったよね」
「うん」
「その後……文化祭で、屋上で卓に告白された時は……すっごく、うれしかったなぁ――」
「……うん」
「っ……ふ……その年の、グリスマズに……うっ……風邪ひいちゃっだ卓を……看病、しながら……ひくっ……ふ……っいっじょに、クリズマズを過ごしたよね?」
「……うん」
思い出話を語っていると、その時の記憶が鮮明に頭の中を駆け巡り、懐かしさで私の目からは涙が溢れ出てきた。
私は卓との思い出をひたすらに語った。
どんなに小さいことでも、どんなにつまらないことでも、全部ぜーんぶ話していった。
卓と過ごした時間の全てが、私にとっては何ものにも代え難い大切な思い出だから。
「……なぁ、美香」
どれほどの時間喋っていたのか?
語れる思い出を全て語りつくした私に、卓はポケットから小さな箱を取り出しながら言った。
「僕と、結婚してくれませんか?」
それは、私が長年待ち望んでいた言葉。
卓と付き合い始めた時から、私は卓からその言葉を聞けることを待ち望んでいた。
私は卓と結婚して、卓との幸せな時間を死ぬまでずっと続けていたい。
卓とずっと一緒にいたい。それだけが私の望み。
だからこそ、私は精一杯の声を振り絞って答えた。
「……いやだ」
私は、卓のプロポーズを断った。
だというのに、卓は全く驚きもせずむしろ私のその答えをあらかじめ予想していたかのような落ち着きぶりだった。
「いやだよ……卓。これからも、ずっと……私と一緒にいようよぉ……」
溢れる涙を手で払いながら私は卓にお願いした。
「……ねえ美香。僕実はさ、美香とこうしてずっと過ごしてきたこと後悔してるんだ」
今日二度目のカミングアウトに私は驚くこともなく、その理由を問うた。
「……なんで?」
「俺は心配性だからさ。美香のことが心配でずっと一緒に過ごしてきた。だけど、今となってはそれが美香のことをより苦しめる原因になっちゃったのかなって……」
そんなことはない。
卓がいて私が苦しむことなんかない。
卓がいないと。私は……私は……
「美香。もう一度言うよ? 僕と、結婚してくれませんか?」
「……いやだぁ」
目から涙をあふれさせ、上ずる声で私は否定し続けた。
もっと卓と一緒に居たいから。
ずっとずっと、一緒に居たいから。
だから私は、卓のプロポーズを拒み続ける。
結婚してくれませんか? という卓の言葉に思わず頷いてしまいそうになるけど、それを何とかこらえて、否定の言葉を言い続ける。
「……美香。僕はさ、君のことが好きなんだ。この世で一番、美香が好き」
ふいに放たれた卓のその言葉に、私も激しく頷き返し同意する。
「僕だって、いつまでも美香と一緒にいたいよ。だけど、思うんだ。今こうして話せてることが奇跡みたいな状況がいつまで続くか分からない」
続く卓の言葉を私はただ頷きながら聞く。
「僕は、美香にプロポーズを受け入れてもらえないまま別れるなんて……嫌だよ」
卓のその言葉を聞いて、私は静かに、でも大きく一度頷いた。
それを見た卓は片膝をつき、箱から指輪を取り出して改めて私に言った。
「美香。僕と、結婚してください」
私の口からは、もう否定の言葉は出てこなかった。
小さく震える左手を差し出し、私は精一杯の声で答えた。
「……はい」
そう答えると同時に、卓は私の左手薬指に指輪をはめる。
これだけ近くにいるのに、卓の肌が私に触れることは一切ない。
いつでも触れ合えそうな距離にいるのに、絶対に触れ合えない距離にある二人。
「ありがとう。美香」
私に指輪をはめ終えた卓は、その言葉を最後にまるで星屑のようになって消えていき、私の目の前から完全に消え去ってしまった。
大学一年の冬に交通事故で亡くなった卓が大学卒業時の私の前に幽霊として現れてから三年。
生きている私と死んでいる卓とのこの世で最も遠い遠距離恋愛は幕を閉じた。
「……卓」
夜空の星々に紛れるように消えていく卓の体を私は滲む瞳で見つめる。
私は左手薬指に確かにはめられてある銀色の指輪に、そっと口づけをした。
この世で最も遠い遠距離恋愛 明原星和 @Rubi530
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