第64話 終わりか、始まりか


 「……リック」


 虚ろな目を向ける彼女が、小さな声で俺の名を呼ぶのが聞えた。

 聖女様に空高く放り投げられ、その後に続いて俺も跳んだ。


 「お久し振りです、ミーヤさん」


 構えた大剣に力を入れながら、彼女の瞳を正面から見つめた。

 記憶のままの姿で、あの時のままで。

 彼女はこちらに右手を伸ばして来た。


 「会いたかったです、貴女に。もしもまた会えるなら、放さない様に抱きしめたいと思っていました」


 言葉を紡ぐ間にも、ダッジは変化し続けた。

 片刃の形状を保ちながら、より鋭く、より細く姿を変えていく。

 “断ち切れ”。

 まるでそう言っているかの様に。


 「……貴方を、ずっと、探していた」


 「俺もですよ。だから、終わりにしましょう」


 振りかぶったダッジに力を入れて、空中で思い切り大剣を振るった。

 踏み込める足場がない分、いつもより一撃の重さはないだろう。

 でも、彼女を切断するには十分だ。

 腕の力だけでも、十二分に足りる。


 「あぁぁぁぁ!」


 叫び声を上げながら、ダッジを振り抜いた。

 柔らかい肉の感触。

 いつも戦っている相手に比べれば、とても脆い骨の感触を断ち切った。

 これが、ミーヤさんの感触なのだ。

 彼女に刃物を入れる感触。

 思わず、吐きそうになった。


 「まだです! 追撃を!」


 聖女様が叫ぶが、俺には無理だ。

 彼女の“腕”を切断だけで、こんなに情緒が乱れているのだ。

 とてもじゃないが、これ以上は……。


 「リック! 呆けてないでミーヤを保護しなさい! そのままじゃ落下死しますよ!?」


 その一言に、思わず目を見開いた。

 目の前には、自由落下するミーヤさんの姿。

 俺の攻撃により、肩口から左腕を失っている。

 止めどなく血液が溢れ出しているが、それでも“魔王の呪い”と言われる黒い痣の様な物は見受けられなかった。


 「侵食が遅かったのなら、傷を治せばまだ助かるかもしれません! 助けたいのでしょう!? なら、しっかりしなさいリック! 切り飛ばした腕を残さないで! まだ呪いは消えていませんよ!」


 聖女様の声と共に腕を失った彼女を抱きしめ、大剣を構えた。


 「ダッジ、すまない。頼ってばかりだが、助けてくれ」


 呟いてみれば、ガションッと変形したダッジが答えてくれる。

 本当に頼ってばかりだ、俺は。

 仲間にも、武器にも。

 いつだって何かに頼る事しか出来ず、追い付きたいと思っていた背中にはいつまでも追いつかない。

 だとしても、だ。


 「この人を、助けたいんだ。この人だけは、死なせたくないんだ。だから、頼む……」


 俺の全てを持っていけ。

 何を代償にされようと構わない、魔力でも俺の血でも何でも使え。

 だから、魔剣よ。

 俺の願いを、叶えてくれ。


 「ミーヤさんと仲間を、助けてくれ……ダッジ、解放しろぉぉぉ!」


 多分、この剣を使い始めた頃だったと思う。

 幾つもの形に変わるこの剣を目にする度に、思っていた事。

 コイツは、本来の姿があるのではないだろうか?

 今では大剣の姿をしているが、もっと違う姿があるんじゃないだろうか?

 そして、俺じゃ元の形に変えてやることは出来ないかもしれない。

 実力も経験も、力も魔力も足りなくて。

 きっと“ダッジ”を使いこなす事は出来ないのだろう。

 そんな風に思っていたのに。


 「……それが、お前の本来の姿か?」


 俺の大剣が、グパッと獣の様な口を開けた。

 刃が上下に分かれ、まるで生物が呼吸するみたいに剣の腹が膨らみ、牙を生やして蛇みたいに伸びていく。

 その先にあるのは、今しがた斬り飛ばしたミーヤさんの腕。

 真っ黒に染まり、既に呪いに犯されているであろうソレに対して。

 バクリと、確かに捕食する音が聞えた。

 そして。


 『キィィィィ!』


 噛みついた瞬間、耳を塞ぎたくなる様な金切り声を上げた。

 呪いの“聲”なのか、それともダッジの“悲鳴”なのかは分からないが。

 その間に俺達は地面へと降り立ち、未だ上空でグネグネと動いているダッジの刃先を見上げた。

 片手にはぐったりとしたミーヤさん、もう片手には吹っ飛んだ腕に噛みついたダッジの柄……というか根本といった方がしっくり来る。

 コレは、一体どうすれば良いのだろう?

 なんて事を思いながら混乱していれば。


 「ダッジ! 叩き潰しますよ!」


 すぐ隣を駆け抜けた聖女様が、巨大な拳を振り上げながら叫んだ。

 彼女のタイミングに合わせて、腕に噛みついた部分を分離するダッジ。

 パシュッと今までに聞いた事の無い音を上げながら、刃の一部を黒く染まった腕ごと吐き捨てた。

 捨てられた刃は徐々に黒く染まっていき、まるでダッジが侵食されているかの様にも見える。

 そんな物に対し、見た事ない程険しい表情の聖女様が叫んだ。


 「ストロング!」


 名を呼ばれた瞬間、彼女の腕に嵌った巨大な拳に魔力が纏わりついたのが見えた。

 何が起きているのか理解出来ぬまま視線を送っていれば、聖女様の拳が振り下ろされる。

 ズンッと腹に響く程の衝撃が周りに広がっていくが、それでも足りなかったのか。

 彼女はそのまま何度も何度も、黒く染まったダッジの一部を殴り続けた。

 地面には亀裂が入り、地震でも起きたんじゃないかって程に足元は揺れる。

 そして。


 「砕けろぉぉぉぉ!」


 耳がおかしくなりそうな爆発音を響かせて、今度はストロングの拳から魔弾が零距離で発射される。

 そこまでやる必要があるのだろうかと疑問を抱く程、地形を変えるんじゃないかってくらいに追撃を繰り返す聖女様。

 大地は抉れ、先程よりも地割れは広がり、振動もとんでもない事になっている。

 周りの建物なんか衝撃だけでガラガラと崩れて行く程。

 そんな攻撃を斬り落とした“腕”に対して放ち続け……やがて、クレーターが出来上がった。


 「……ふぅ、やはりこういうのはファリアに任せた方が早いですね。皆、お疲れさまでした。よく頑張りましたね。コレでひとまず安心だと思います」


 やっと止まった聖女様が顔を上げ、“やりきったぜ”みたいな声を上げて来る。

 四英雄って、やっぱりとんでもない人達しか居ないみたいだ。

 ちょっとやっている事が別次元過ぎて、皆揃って呆けてしまった。

 なんて、いつまでもボケっとしている暇がある筈もなく。


 「ぐっ……!」


 「ミーヤさん!?」


 腕の中の彼女から、苦しそうな声が聞える。

 当然だ、片腕を斬り飛ばされているのだから。

 出血も止まらないし、間違いなくこのままでは死んでしまう。


 「ミーヤさん! 大丈夫、大丈夫ですからね!」


 傷口を押さえながら必死に言葉を紡いでみるが、血は止まってくれない。

 俺が怪我した時なんかは、皆こんな気持ちだったのだろうか?

 どうしていいか分からないけど、何かしないと。

 それだけに感情を支配され、どんどんと混乱していく。

 だが、ここには怪我に対して一番の専門家が居る。

 縋る様な瞳を聖女様に向けてみれば。


 「繋ぐ腕はありませんから、とりあえず傷を塞ぎますよ。リック、押さえていて下さい。他の皆もボケッとしていないで手伝いなさい」


 静かにお叱りの声が上がれば、仲間達も慌てた様子で此方に駆けつけて来た。

 フレンとリオが傷口近くの服をナイフで切り開き、ダグラスが何本ものポーションをバシャバシャと振り掛けながら傷口を洗っていく。

 そして最後に聖女様がミーヤさんの傷口に触れれば、徐々に腕の出血は止まっていく。

 あぁ、これで何とか……なんて、安堵の息を溢した瞬間。


 「ダッジ?」


 隣に置いた筈の大剣が、ブルブルと震え始めた。

 何を訴えているのかと、思わず首を傾げてしまう。

 でも次の瞬間起きた事に、一瞬だけ全員が固まってしまった。

 ダッジが、ミーヤさんに喰らい付いたのだ。

 黒く染まった腕に噛みついた時みたいに変形し、彼女の傷口に噛みついてみせた。


 「止めろダッジ! もう良いんだ! 彼女は敵じゃない!」


 叫ぶ俺の声と仲間達の悲鳴が、旧市街に響き渡ったのであった。


 ――――


 「報告。今回の敵に関しては、全部終わりました」


 「相変わらず、淡白な報告じゃのぉ。ドレイク」


 国王を前に、俺は短い言葉を吐いた。

 彼の両隣に居る護衛からは、ゴホンッと意味ありげな咳払いをされてしまったが。

 俺は語る事は得意じゃないのだ。

 なんて言ったら、そう言う問題じゃないと怒られてしまいそうだが。


 「サキュバスは討伐。もう一体の魔王化を始めていた個体も処理しました。とりあえず目先の障害は居なくなったと思います、遠い国で魔王がまた生まれる可能性は否定できませんが」


 「それでも、近隣の脅威がなくなっただけでもありがたい。すまないな、ドレイク。ありがとう」


 そういって頭を垂れる王様を目にして、思わず視線をそらした。

 頭を下げられるにしても、偉い人からってのは……やっぱり苦手だ。

 そんな事を思いながら、顔を背けて入れば。


 「まだ、四人目として。四英雄“最後の一人”として名乗りを上げる気にはならんか?」


 頭を上げた王様が、そんな事を言い始めた。


 「お断りです。俺の柄じゃない」


 恰好をつけてみたものの、今回の件でよく分かった。

 俺達は、道具に頼っていただけだ。

 “守りたい”存在が近くに居る時、しっかりと守ってやる事が出来ない未熟者の集団と理解した。

 勇者パーティ“だけ”ならば、激戦にも耐えられよう。

 しかしながら、何かが混じった時。

 誰かを守りながら戦わなくてはならなくなった時。

 俺達は、あまりにも力不足だ。

 日常を送るというのは、いつ訪れるかも分からない敵を常に警戒していなければいけないと言う事。

 常に最高の装備を身に付けている訳にもいかず、戦場の様にこちらが攻め込む事でタイミングを調整する事も出来ない。

 だからいざという時は、通常装備で相手に挑む事だって想定できるだろう。

 だというのに、俺達はミーヤを守り切れなかった。

 子供達に、余計な傷を負わせてしまった。

 この程度の俺が英雄を名乗る? 馬鹿を言うな。

 俺はやはり、傭兵あがりのただの冒険者ってくらいが丁度良い。

 それくらいに、未熟さを感じ取ったのだから。


 「まだ、報告する事が残っているのではないのか?」


 王様の言葉聞いた瞬間、思わずビクリと肩を震わせてしまった。

 俺も、本当にまだまだだな。


 「報告いたします。次の魔王候補は……俺の可能性があります」


 「移ったのか?」


 「えぇ」


 それだけ言って右手の籠手を外してみれば、周りに集まっていた兵士達からざわめきが聞えて来た。

 黒く染まった指先、“魔王”の呪いの現れ。

 切り取ってしまえば安心、という簡単なモノでは無いのだ。

 切除した先から、また黒く染まる事だって考えられる。

 それも、呪具を使わず呪われたとするなら余計に。

 これは、純粋に魔王が輪廻を巡って俺に宿った可能性があるのだ。

 だとしたら、この身を刻もうと無駄な事だ。


 「これから、どうするつもりだ?」


 大きなため息を吐いた後、王様はそんな言葉を投げかけて来た。

 答え次第ではこの場で首を落されても文句は言えない状況。

 だというのに。


 「儂に、何か出来ることはあるか? 手伝えることはあるか? なんでも良い、教えてくれ、ドレイク。このままお前を死なせる愚かな王に、私はなりたくない」


 情けない表情で、王様は両目に薄っすら涙を溜めるのであった。


 「お前達には、全てを任せた。それは個人としては大きすぎる重荷だったはずだ。だというのに、見事に成し遂げ生きて帰って来てくれた。儂は皆に感謝しておる、救ってくれた事は勿論、帰って来てくれた事に。だから、頼むドレイク。何でも良い、我儘でも何でも良いんじゃ。儂に、要求してくれんか? お前達に、感謝と償いの機会を与えてはくれんか?」


 ヨロヨロと立ち上がる王様は、涙を溢しながら此方に歩み寄って来た。

 これが、今俺達が居る国の王様。

 必要とあれば人を駒の様に操るが、人の心を捨てきれなかった。

 どこまでも哀れで、誰よりも苦しむであろう王なのだ。

 ほんと、俺達にサキュバス討伐を依頼した際なんてどんな顔で手紙を書いていた事やら。


 「では一つお願いしてもよろしいでしょうか?」


 「なんじゃ? なんでも申してみよ」


 待っていましたとばかりに、今か今かと俺の言葉を待つ王様。

 なんだか、帰って来た頃を思い出す。

 この顔の王様に装備一式を新調してくれと言った時は、えらく呆れた顔をされたものだが。

 今回お願いは、規模が違うのだ。

 王様だって、少しくらい悩むに違いない。


 「家が欲しいのです、一軒。土地と、建物。息子が結婚することになりまして、家の一つくらい建ててやろうかと。王様に建てて貰った家だぞ、なんて言えば。自慢話の一つにもなると思いまして。駄目でしょうか?」


 「……家、とな?」


 「はい。出来れば二階建て以上で、しっかりとした作りを。若い夫婦ですから、防音の方が安心でしょう。そして二人は結構運が悪いので、壁も頑丈な物を。外敵からも守れ、火災が起きても燃え広がらない。多分すぐに子供も出来るでしょうから、子供にも優しい作りにして頂いて、出来れば家具も。それから――」


 「待て、待つのじゃドレイク。家じゃな? 家が欲しいんじゃな? あい分かった、最高の職人と物資を用意しよう。すぐさま取り掛かる事を約束する」


 「ありがとうございます、王様」


 スッと頭を下げてから、俺は立ちあがり背中を向けた。

 よかった。

 王様が関与した建物に住むとなれば、今後何が起きても安心だろう。

 物理的にも、外聞的にも。

 だからこそ、肩の荷が下りたという思いだったのだが。


 「待て、待つのじゃドレイク! それだけか!? 色々あるじゃろう! 今後の事を考えて、いろいろと!」


 「今後、ですか?」


 「お前の体の事じゃ! 呪いをどうするかとか、いろいろあるじゃろうて!」


 焦った様子の王様が、此方を呼び止めてきたが。

 こればかりは、俺達が一番知っている事なのだ。

 だからこそ、笑って見せた。


 「とりあえず、こっちで色々試してみます。どうしようもなければ、他所に行くか自決するか。でもそれは、何十年。早くても十数年後の事です。せめて、孫の顔くらいは見てから死なせてはくれませんかね? 王様」


 そう言って、右腕をヒラヒラと揺らして見せれば。

 彼は大きなため息を吐きながら、思い切り脱力するのであった。


 「呪具経緯ではなく、そのまま魔王になった場合。理性や思考がどうなっているのか、それは詳しい資料が残っておらん。もしもお前が魔王になっても、自我が保っていたなら。その時は酒の一杯でも飲みに来てくれ。最高の一杯を呑ませてやると約束しよう」


 「ソレは面白い、数十年掛けた賭け事って訳ですか。もしもそれが実現するなら、本当の意味で世界平和ですね」


 「おうともさ。だから、実現してみせろ。お前は今まで戦場の“切り札”だった。争い事における、全てを狂わせる最後の一手だった。しかし、今後は人類にとっての切り札になってみせよ。これは王命である……なんてな? 今後の報告と、未来のどんでん返しを期待しておるよ」


 「期待に沿えるよう、頑張るとします。ですが、もしもの時には……」


 「我が国の全てを持って、お前の首を刎ねる事を約束しよう」


 「感謝します、王様」


 そう言って、今度こそ部屋を後にする。

 直近の脅威は去った。

 もっと長い期間を見れば、また脅威が訪れることは目に見えている状況だが。

 でも、“いつもの事”だ。

 若い世代に次を託し、新しい人々からまた“英雄”が生れる。

 それに伴い、多くの犠牲を伴うかも知れないが。

 そんな彼等全てを守ってやる義理も無ければ、力も無いのが今の俺だ。

 結局俺は、元傭兵の冒険者。

 ついでに数年間勇者パーティに加わったというだけの、ただのおっさんなのだから。


 「せめて、アイツ等に迷惑が掛からない様にしないとな……いざって時は、街を離れるか」


 黒く染まってしまって指先を静かに籠手で隠してから、俺は皆の待つ我が家に足を向けるのであった。

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