第55話 撤退


 「あり得ない、何コイツ!」


 首元にナイフを突き刺し、肉を抉る感触は確かにあったと言うのに。

 相手は未だ元気に動き回っている。

 ブンブンと鈍器の様な槍を乱暴に振り回し、隙が出来れば魔弾を作ろうとしてくる。

 こんな戦い方をされれば皆相手から離れる訳にもいかず、吹っ飛ばされた兄さんを確認する事も出来ない。

 ひたすら相手に取り付きながら、何本もの刃物を使い捨てていく。


 「フレン! 無理すんな!」


 リオが叫びながら相手の左腕にマチェットを突き刺し、籠手を避ける様にして腕に一周刃を滑らせた。

 あんなことをされれば、間違いなく腕が落ちる。

 例え繋がっていたとしても、骨と少しの肉が残っているだけ。

 聖女様の回復魔法くらい強い物じゃないと、一生腕が使えなくなるだろう傷跡。

 だと言うのに。


 「うっそだろ!?」


 その左腕で、相手はリオを引っ叩いた。

 ボロボロな筈の腕で、彼を薙ぎ払った。

 結果、相手の腕も一緒に飛んで行ったが。

 ただただ此方を殲滅する為だけに動いている人形の様だ。

 やはりコレもさっきの死体達と同じ? でもネクロマンサーが居た所で、魔法が使える死体なんてあり得るのか?


 「フーちゃん! 相手の後ろに回って下さい! “狙われて”ますよ!」


 本来であれば激痛に吠えそうな状況にも関わらず、黒鎧がこちらに向けて槍を構えていた。

 すぐさま接近したダグラスが、再び上空に向けて穂先を叩き上げてくれたお陰で被害は出なかったが。

 その隙に相手の背後に回ってみれば、兄さんがつけた背中の傷から“黒い腕の様な何か”が此方に迫って来る。


 「チッ! まだ生えるの!?」


 舌打ちを溢しながらも、ステップを踏んで攻撃を避ける。

 度々ナイフを這わせてみせるが、コレと言ったダメージになっている様子はない。

 両断するくらいじゃないと、やっぱり怯んでさえくれない。

 この程度の攻撃じゃ焼け石に水もいい所だ。

 伸びて来る黒い腕にナイフを当てながら回避に専念すれば、ろくに近づくことすら出来なくなってしまった。

 兄さんは槍でかなり重そうな攻撃を受けたし、リオだってどうなったか不明。

 だとすれば、私とダグラスでどうにか間を持たせないと……詰む。

 冷や汗を流しながら前方はダグラス、後方は私でどうにか攻防を繰り広げていれば。


 「全員引け!」


 待っていたその声が聞えて来た。

 ここ最近はえらく無茶をする様になったが、それでも私たちの中では最高戦力。

 しかもお父さんから“ダッジ”を貰った兄さんなら、なんとかしてくれるかも。

 そんな事を思いながら、ダグラスと一緒に飛び退いてみれば。


 「兄さん? 何それ」


 大剣とは呼べない様な武器を振り回し、兄は相手へと迫っていく。

 兄さんはあんな武器を持っていなかった筈だ。

 そもそも長剣を使う人間じゃない。

 やけに長い見た目をしているが、どう見ても兄さんに合っていない武器に見える。


 「ダッジ!」


 叫んだ瞬間、長剣が二本に分かれ昔の様な戦闘スタイルに変わる。

 変形したと言う事は、あの長剣がダッジなのか?

 随分と細くなってしまっているし、兄の右腕には見た事のない鎧が装備されている。

 そして。


 「開け!」


 肩口に切っ先を突き刺し、兄さんの声と同時に内部で変形したらしいダッジが、相手の左肩の鎧を根元から吹っ飛ばした。

 凄い、と言えるのかもしれないが。


 「リッ君! 何すかソレ!? 滅茶苦茶出血してますって!」


 ダグラスの言う通り、右腕から夥しい量の血液がダラダラと流れている。

 何がどうなって変形しているのか、あの右腕の鎧……間違いなくダッジの一部だ。

 あんな形にも変わるなんて、本当に何でもありな魔剣。

 たった一人だというのに、相手を抑えるどころか押し返している。

 しかし、とてもじゃないが安心して見ていられる状況じゃなかった。

 剣を振る度、鎧の隙間から血液が溢れ出しているのだから。


 「兄さん下がって! 私が代わる!」


 確かに昔より強くなったのは知っているし、最近無茶な戦い方をしていたのも見て来た。

 でも今日は、昔みたいに皆で協力しながら戦えていたんだ。

 誰か一人に無茶を強いる様な戦闘ではなく、全員が一つになって動けていたのに。

 何故か兄は、また前の様な状態で剣を振るっている。

 一人で全部背負い込んで、我武者羅に突っ込んで行く。


 「下がれフレン! 俺がやる! 全員撤退しろ!」


 駆け寄ってみれば、兄さんからは叫び声が返って来た。

 思わずビクッと反応して、足を止めてしまったが……その制止を聞かなかったダグラスだけは兄の前に飛び出した。


 「意味分かんない事言ってないで、どうにか撤退するっすよ! その腕じゃ長く戦えないでしょうが!」


 相手の攻撃を盾で受け流しながら、彼は兄を後ろに突き飛ばした。

 今の兄さんなら、再び前線に飛び出しそうな勢いだったのに。

 たたらを踏んでから膝を着き、ぜぇぜぇと苦しそうな呼吸を繰り返している。

 どう見ても血を流し過ぎている、こんな状態で戦闘続けるなんて無理だ。


 「兄さん、本当にどうしたの!? さっきから何を焦って――」


 「アレの中身、ミーヤさんだ」


 「は?」


 その言葉が理解出来ず、ポカンと口を開けたまま未だダグラスと殴り合っている黒鎧に視線を向けた。

 何を言っているのだろうか?

 見てくれだけならかなりの巨漢であり、腕を落されても平然と襲ってくる化け物。

 それに、彼女はもう……。


 「だから、俺がやらなきゃ。まだ手の届く所にあの人が居るなら、俺は……」


 「駄目、今は撤退優先」


 「フレン!」


 「ミーヤさんはもう死んだ! “もしかしたら”の可能性は、今生きてる皆より優先させるべきじゃない!」


 「だから俺が残る。その間に皆撤退してくれれば――」


 「そんな状態じゃ兄さんはもう戦えない! アレが何であろうと、今は撤退して全員で生き残るべき!」


 未だ彼女に囚われ続けている兄を、思いっきり怒鳴りつけた。

 気持ちは分からなくも無いが、現実を見てくれ。

 このままじゃ皆いつかやられる。

 ダグラスだっていつまで防いでいられるか分からないし、リオの安否だってまだ確認出来ていない。

 それに今の状態で戦い続ければ、一番死ぬ可能性が高いのは兄さんなのだ。

 この出血を放置して動き回れば、数分後には立っている事さえ出来なくなるはずだ。


 「お願いだから、いい加減現実を見て。また誰かが減るくらいなら、もう戦わなくて良いよ……」


 絶対に言ってはいけないと思っていた言葉を紡ぎながら、両目からは涙が零れた。

 ミーヤさんの事を忘れられない気持ちも分かるし、この状況では戦わないとそもそも全滅する事だって分かっている。

 だがこのままでは確実に死ぬと分かっているのに、それでも戦おうとする兄の姿は。

 正直見ているのが辛い。

 自らの安否など度外視しているかのようで、あまりにも簡単に命を投げ出してしまいそうで。


 「全員で生き残る。その“全員”には、兄さんだって入ってる。だから、そんな状態で戦わないで……」


 グスッと鼻を鳴らしながら兄を睨みつけていれば。


 「ったく、こんな時に兄妹喧嘩してんじゃねぇよ」


 後ろからそんな声が聞え、ハッと振り返ってみれば。

 そこには呆れ顔のリオが立っていた。

 先程えらい勢いで吹っ飛ばされたが、コレと言って大きな傷は負っていないみたいだ。


 「リオ、平気?」


 「おうよ、色んな所の骨が逝ったけど、治した」


 「それは、平気なの?」


 「超余裕、誰に稽古つけてもらったと思ってんだよ。って言いたい所だけど、まだ自分の怪我しか治せねぇからな、スマン」


 それでも物凄い事の様な気がするんだが。

 各所骨折したという彼は、ピンピンしながら戻って来た。

 更には、こちらに向かってスクロールを放り投げて来る。

 慌ててソレを受け取ってみれば。


 「“転移”のスクロールだ。全員は無理でも、お前等だけなら問題なく移動できる。とりあえず先に帰れ、移動先は家の庭に設定してあっから」


 「でも、そんな事したら……」


 「まだミサの姉さんから貰ったスクロールあるから心配すんなっての、すぐに俺等も追うよ」


 それだけ言って、シッシとコチラに向かって掌を振るリオ。

 ひとまず安心して、ホッと胸を撫で下ろしてみれば。


 「リオ、聞いてくれ。アレの中からミーヤさんの声が聞えたんだ、だから――」


 「分かったから早く行けって。それに俺とダグラスだけじゃ、そもそも討伐なんか出来ねぇよ。次に会った時、皆万全な状態でどうにかすりゃ良いだろ? だから今は引け、マジで死ぬぞリック」


 「……ごめん、リオ」


 「いいって。それが本当なら、このまま引けねぇお前の気持ちも分るからよ」


 ニッと口元を上げたリオが、再び黒鎧に向かって走り始めた。

 スクロールはまだあるって言ってたから、少し隙を作れれば残る二人もすぐ帰って来られる筈。

 なら今は一刻も早くこの場所を離れて、兄さんの治療を始めないと。

 なにより、私たちがこの場に残っても邪魔にしかならない。


 「使うよ、兄さん」


 「……あぁ、ごめん」


 短い会話を終え、リオに貰ったスクロールを開いた。

 眩い輝きが溢れ、私達を飲み込んでいく。

 少しだけの浮遊感と、足元がぐにゃりと捻じれる様な感覚を覚えた次の瞬間には。


 「戻って来た」


 先程の戦闘が嘘だったみたいに、静かな我が家が目の前に現れるのであった。


 ――――


 「ダグラス! お待たせ!」


 「リオっち! 無事っすか!? あと後ろの二人の事、助かりました!」


 ウチのタンクの元へと駆け付けてみれば、ダグラスはニッと口元を吊り上げながら声を返して来た。

 勝手にパーティの半分を帰還させてしまったんだ、怒られてもおかしくない状況なんだが。

 呆れ顔をしながらも敵の周りを走り、今度は右腕を狙っていく。


 「聞えてたなら話がはえぇ。とりあえず、すまん!」


 「平気っす! “そう”だと思ってましたから! そんな物が幾つもあるなら、もっと前に使ってる筈ですからね!」


 雰囲気から既にバレていたらしい。

 彼の言う通り、もう転移のスクロールが無いのだ。

 元々高価な物であり、いくら金を積もうと簡単に手に入れられる物ではない。

 本当なら四人まとめて転移出来るくらいの上物が欲しかったのだが、探し抜いてやっと見つけたのがさっきのスクロール。

 今でもミサ姉さんが探してくれてはいるが、恐らく早々に見つかる事なんて無いだろう。

 それこそファリアさんに作ってくれと頼んだ方が早い気がして来るが、スクロールってのはとにかく完成するまでに時間の掛かるものらしい。

 今の大人組にそんな時間は無いのは分かっているし、そう都合の良いお願いばかりする訳にもいかないだろう。

 なんて、思っていた訳だが。


 「だぁくそっ! こんな事なら土下座してでも全財産払ってでも、スクロール作ってもらっておくんだった!」


 「無いものねだりしても仕方ないっすよ! それに最初に比べれば随分動きが鈍いっす! ちゃんと攻撃が通ってる証拠っすから、このまま押し切って隙作って、そんでもって逃げますよぉ!」


 二人して叫びながら、ガツンガツンと相手に武器をぶつけていく。

 左腕をぶった斬られた事を根に持っているのか、やけにこっちを警戒しているのが分かる。

 リックみたいに鎧ブチ破った訳じゃねぇんだから、もう少し油断の一つでもしてくれよ! なんて、叫びたくなってしまう。

 俺とダグラスをいっぺんにデカい槍で弾き飛ばした後、こちらに切っ先を向けて来る黒鎧。

 不味い、また魔弾の連射が来る。

 グッと足に力を入れ、囮になる為走り出そうとしたその時。


 『……どこ?』


 「え?」


 微かに耳に届いたその声、そして。

 リックの最後の攻撃が思った以上に効いていたのか、ガコンッと音を立てて相手の胴鎧が地面に落っこちた。

 それだけなら攻撃が通る様になると喜びたかったのだが、その“中身”が問題だった。

 背中の傷から飛び出していた黒い肉の様なモノ。

 ブヨブヨとしたソレに包まれながら、一人の女性が膝を抱える様にして収まっていた。


 「マジかよ……リックの言ってた通りじゃねぇか」


 露出してしまった中身を守るかのように、黒鎧は残った右腕で彼女を隠しながら後退していく。

 今ではこちらに背中を向けてノッシノッシと歩きはじめてしまった。

 もう相手に戦意が無いのなら、こちらも早々に撤退するべきなのだが……。


 「待てよ! 一体何のつもりだ!? なんで俺達を攻撃した!? 答えろ、“ミーヤ”さん!」


 生きている、ソレは確かに喜ばしい事だ。

 だがしかし、訳の分からない状況が重なり過ぎている。

 あの後結局どうなったのか、今どうしているのか。

 身に纏っている鎧は何なのか、何故こちらと敵対する様な行動を取るのか。

 全てが謎で、答えてくれる人が居ない状況。

 彼女は俺の声など届かない様子で、こちらに背を向けたまま遠のいていく。


 「待てって! どうなってんだよ!」


 「リオっち、落ち着いて。今は刺激しない方が良いっす……この距離で攻撃されたらヤバイっすよ」


 走り出そうとした俺の肩を掴んだダグラスが、静かに首を横に振った。

 分かっている、今の彼女が正常な状態ではない事くらい。

 下手に刺激して、再び戦闘にでもなったら間違いなく生き残れない。

 それくらい、分かっているんだが。


 「こんなのって無いだろ。散々悲しんで、リックなんかあんなに切羽詰まってんのに。その相手が、俺達を殺しに来るとか。なんの冗談だよ……」


 ギリッと奥歯を噛みしめながら、徐々に遠ざかっていく背中を睨んだ。

 このまま何処かへ行ってくれれば、俺達は助かる。

 今の俺達二人なら、魔物の増えた旧市街であろうと徒歩で帰る事が出来るだろう。

 だとしても、だ。

 胸の中に残ったモヤモヤは、随分と重苦しく渦巻いていたのであった。

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