第51話 強化月間


 「どうしました? リック」


 瞼を開けてみれば、彼女は優し気な微笑みを浮かべていた。

 額に当てられた掌に、思わず安堵の息が漏れる。


 「いや、なんでもない」


 「いつまで経っても、膝枕するとすぐ寝ちゃうんですね貴方は。ほんと、子供みたいです」


 クスッと小さな声を洩らしながら、ミーヤさんが微笑んでいた。

 視線を動かしてみれば、俺達の家。

 窓の外には父さん達の家も見える。

 ソファーに寝転がりながら、ミーヤさんの温もりを感じる。

 あぁ、またこんな夢か。

 思わず、そんな風に思ってしまった。

 あったかもしれない未来、彼女が傍に居てくれた将来。

 全部が暖かくて、緩やかに時間が流れる世界。

 いつまでもココに居たいと思ってしまう程、居心地の良い夢。

 だというのに、いつも終わりは訪れるのだ。


 「あ、嫌ですね……どこから入って来たんでしょう」


 そんな事を呟く彼女が俺の頭を膝から下ろし、少し慌てた様子でパタパタと室内を走っていく。

 その先には、一匹のムカデ。

 ゾワッと背筋が震えた。

 駄目だ、ソレに近づいたら。

 思わず目を見開きながら声を上げようとするが、声が出せない。

 いつもこうだ。

 夢の世界でも、俺は肝心な所で手が届かないんだ。

 ただひたすらに手を伸ばしながら、彼女の首元に噛みつく毒虫の姿を見た。

 彼女は首元を抑えながら悲鳴を上げ、その場に倒れ伏す。

 そして、光の無い瞳を此方に向けて言葉を紡ぐのだ。


 「……どうか、私を忘れて下さい」


 忘れられる訳がない、そんな事許されるはずがない。

 彼女との記憶はどれも色鮮やかに残っている。

 この全てを忘れるなんて、とてもじゃないが出来る気がしない。

 だからこそ、夢の中でも俺は必死に手を伸ばすのだ。

 人形の様に動かなくなってしまった彼女に向かって、懸命に腕を伸ばす。

 しかし、いつだって。

 あと一歩と言う所で。


 「ホラ、隙が出来た」


 そんな台詞と共に、あのサキュバスが俺に跨って来るのだ。


 「坊や、“魔王”になる気はない?」


 何処までも淫靡な響きを残しながら、彼女の言葉が纏わりついて来る。

 いくら抵抗しても、俺じゃコイツを殺す事が出来なくて。

 いつだって最後にはミーヤさんを攫われてしまう。

 そんな夢を、何度も見て来た。

 でも、それでも。

 今日だけは、何かが違っていた。

 キィィンと耳鳴りの様な音が聞えて来たかと思えば、その音は徐々に大きくなりハッキリと耳に残る。

 最初は随分と遠くから聞えて来た“ナニカ”だったのに、今では耳元から聞こえて来る。

 まるで音叉でも鳴らしたかのような、柔らかい鉄の音が響き渡っている。

 コレが何なのか、分からなかった。

 しかし、何が出来るのかは理解出来た。


 「サキュバスってのは、夢魔でもあるんだよな」


 「えぇ、そうよ。貴方を気に入ったから、こうして時々お邪魔しているの。如何かしら、貴方が望むのならこのまま続きを“シテ”上げても良いのよ? 安心して? 死んだりしないから。ただただ気持ちの良い夢を見るだけよ」


 クスクスと笑うサキュバスの顔が近付いて来る。

 あぁ、なるほど。

 これはある意味、コイツからの攻撃だったのかもしれない。

 だったら、余計容赦など必要ない。

 例え夢の中だったとしても、“殺して”やれば良い。


 「来い! “ダッジ”!」


 叫んだ瞬間、この手に確かに伝わる剣の感触。

 父さんから受け継いだ、異形の大剣。

 新しい俺の相棒が、夢の中でも現れてくれた。

 そして。


 「惨たらしく、引き裂け」


 声を上げたと同時に、この手に現れた大剣は姿を変えた。

 刃が引っ込んだかと思えば、代わりに小さなギザギザした刃が現れる。


 「こんな物……どこで……」


 「死ね」


 サキュバスの腹に刃を押し当てた瞬間、ソレが高速で回転し始めた。

 ギャリギャリギャリッ! と物凄い騒音を立てながら、まるで刀身の周りを刃が流れる様にして動きはじめる。

 ただ剣を当てているだけだというのに、彼女の体にどんどんと埋まっていく“ダッジ”。

 その代わり物凄い量の血液が噴射し、こちらの身も汚して来るが。


 「凄い、凄いわ貴方。前よりももっと気に入っちゃった」


 「黙れ、尻軽女」


 言いながら、ダッジを振り抜いた。

 相手の体は上下に別れ、すぐ近くにどしゃっと鈍い音を立てながら半分になったサキュバスが転がった。


 「また会いましょう? きっと、もうすぐ会えるわ」


 切り飛ばされた上半身だけの彼女は、ニィッと口元を吊り上げて笑っている。

 そいつの頭に向けて、もう一度ダッジを振り上げながら。


 「再会を楽しみにしてるよ、サキュバス。今度は本体をぶった切ってやる」


 それだけ言って、大剣を振り下ろしたのであった。


 ――――


 「兄さん!?」


 「リック! どうした!?」


 フレンと父さんの声で、目が覚めた。

 ハッと目を開けてみれば、ベッドに転がったままの状態。

 だというのに右手にはカラクリの大剣“ダッジ”が握られており、形状は先程夢で見たギャリギャリ音を立てるソレに変わっていた。

 更に言うとベッドの外側に出ていたダッジは、今でも床をゴリゴリと削りながら一階に向かって埋まっていく最中。

 待て待て待て。

 穴開いてる、床に完全に穴開いてる。


 「ダッジ! もう良い! もう大丈夫だ!」


 そう声を掛けてみればピタッと刃の回転が止まり、元の大剣へと姿を変える。

 まさか夢の中だけではなく、実際にもこの形で暴れているとは思わなかった。

 思わず溜息を溢してみれば、部屋に入って来た二人からは驚愕の眼差しを向けられてしまった。


 「兄さん……今のナニ?」


 「魔剣ってのは色々不思議な事が起きるものだが……随分と気に入られたんだなリック。俺もさっきみたいな形状は見た事が無い」


 片方からはドン引きした眼差しを、もう片方からは驚きの眼差しを向けられてしまった。

 しかし、コレ。

 どうしたものかな。


 「ごめん父さん……床に穴開けちゃった」


 大人しく頭を下げてみれば、父さんは盛大に笑いながらダッジを壁に掛け直した。


 「怪我が無くて良かった。寝ている間にこうなったとすれば、今度からは気を付けるんだぞ? 無意識の内に怪我人を出しかねない」


 えらく緩い雰囲気で、床に穴を開けた事については何もお咎めなし。

 いや、うん、いいのだろうか?

 なんて思いながら、ポカンと呆けていれば。


 「兄さん……おはよ。朝ごはん、出来てるよ」


 何故か目尻に涙を溜めた妹が、柔らかく微笑むのであった。


 ――――


 「ホラ! ちゃんと見る! 盾に隠れれば確かに防げるかもしれないけど、相手を見失うよ!」


 「う、うっす!」


 普通なら絶対出来ない経験を、今俺は味わっている。

 英雄と称えられ、勇者と呼ばれた彼から直接教えを請える立場。

 普通なら逆立ちしたって得られない、超が付く程貴重な経験だろう。


 「君の仕事は何だ!? 守る事だろう! それだけに集中して! 君の後ろには仲間が居て、一撃でも通してしまったら仲間が傷つくんだよ!? 集中! 怖いからこそ目を逸らさない! どうしても駄目なら目を瞑っていても相手の位置が把握出来るようにするんだ!」


 「そんな無茶なっ!」


 とんでもない事を言い放つ勇者様から、連続攻撃が休む暇もなく盾に叩きつけられる。

 右に左に、翻弄するみたいに移動しながら。

 こちらは必死で防いでいるというのに、ちょっとでも気を抜けば……いや。

 気を抜いていない時だって、この人は隙をついて切り込んでくる。

 こんな相手、今まで一人だって居なかった。

 一秒どころか、瞬きの間すら惜しい。

 その隙に、相手はこっちの死角に回ってくるのだ。


 「そこぉっ!」


 「お、いいね。今のを防げたのは驚いた」


 軽い声を洩らしながら、今度は逆側から攻撃してくる勇者様。

 ほんっと、どんな速度で動き回ってるんすかこの人!

 もはや頭が真っ白になりそうな勢いで、ひたすらに彼の攻撃を防いでいれば。


 「ホラホラ! 集団戦だ! どう防ぐ!?」


 「んなぁ!?」


 目の前から、勇者様が三人迫って来た。

 いやいやいや、なんで増えてるんすか!?

 三つ子!?

 いやそんな馬鹿な事あるか、魔術によって分身か何かを拵えたのだろう。

 分析しながら、どっしりと構えて膝に力を入れてみれば。


 「違う! そうじゃない! 一人の俺でも翻弄されてたのに、三倍に耐えられるのかい!? 違うだろ! 相手に合わせるな! 君のペースに、ダグラス君のやりやすい戦況に変えるんだ!」


 その声に、ハッと息を呑んでから走り出した。

 待っているだけじゃ駄目だ。

 これまでの様に、防いでいるだけじゃ置いて行かれる。

 自ら敵に突っ込んで行って、全部の注目を集めるくらいじゃないと。

 今のパーティで、俺はお荷物になる。

 皆よりも足が遅く、今ではリーダーが突っ込めば皆薙ぎ払ってしまうのだ。

 だったら、俺の役目は。


 「どらぁぁぁ!」


 手に持っていた長剣を一人の勇者様に投げつけ、後二人を盾で横薙ぎに払った。

 攻めろ、そして守れ。

 誰よりも前に走り抜け、そこで囮になれ。

 俺達のパーティに求められるのは、“動けるタンク”だ。

 多少傷を貰ったとしても、仲間に怪我を負わせるな。

 それが、俺の役目だ。


 「ウォォォ!」


 叫びながら盾を振り回し、予備の剣を引き抜いてみれば。


 「そう、それだよ。とても勇気が要るけど、君なら出来る。でも、一つアドバイス。俺みたいな弱虫は、囮を使って隠れるんだ。だから、こういうのも注意しようか」


 そう言いながら、彼はコツンッと背中を長剣で叩いて来た。

 マジっすか。

 目の前に居た三体とも分身で、本体は隠れてたという事なのだろう。

 どれか一つが本物、なんて思ってしまった時点で彼の掌で踊らされていた様だ。

 完敗、それしか言葉が浮かんで来ない。

 だとしても。


 「もう一戦、お願いするッス」


 「いいね、逞しいよ。そうこなくちゃ。俺とは大違いだ」


 ニッと口元を上げる勇者様が、再びこちらに向かって長剣を構えるのであった。

 待ってて下さいね、皆。

 俺、もっと強くなりますから。


 ――――


 「魔術と神術というのは違う。なんて教えられていますが、結局は同じようなモノです。自ら学び、理解して行使できる様になるのが魔術。神を信じ毎日祈りを捧げ、修行した先で得られるのが神術。とは言われますが、能力が得られる経緯が違うだけです。得意不得意はあれど、私もファリアも同じような魔法が使えますから。とはいえその経緯こそ大事なのです。基本的には努力と理解、そして持続。神術の場合、祈りが最も大事だと言われます。信じていれば神様も力を貸してくれるという事ですね。分かりましたか?」


 「りょ、了解!」


 説教を永遠と呟きかねない聖女様を背中に乗せたまま、腕立て伏せを続けていた。

 リックはドレイクの旦那から大剣を譲り受け、フレンはファリアの姉さんから今まで以上に魔術を習っている。

 ダグラスだって勇者様と日々稽古しているというのに。

 俺は未だに、筋トレしていた。

 哀しい。


 「得られる結果が同じでも、魔術の場合は詠唱、神術の場合は祈りが必要です。コレらを全部ひっくるめて“魔法”と呼びます。なので私の魔法が使いたければ、神への感謝を忘れない事です。無事に敵を打ち取った時、食事にありつけた時、暖かいベッドで一日を終える事が出来る時。その都度、感謝の祈りを捧げなさい。例え自身の功績で得られた事実があろうと、“運が良かった”と感謝しながら心の中でも良いですから祈りを紡ぎなさい。“運が悪ければ”、人はすぐ死んでしまうのですから」


 「こちとら孤児院育ちでねっ……嫌という程神様に感謝の祈りを捧げる機会はありましたよ、聖女様っ!」


 「では、続けなさい。それも貴方の力になります。神様の力を利用してやる、くらいでも良いのです。とにかくそういった“祈り”を真剣に行う事が大事なのです。言葉や仕草、そして心意気で色々と変って来るモノですよ。少しペースが落ちましたね、“重力グラビティ”」


 「ぐ、ぐぉっ……このなまぐさ聖職者……」


 妙な説法を頂きながら、ひたすらに腕立て伏せを繰り返した。

 聖女様が魔法を使う度、どんどんと重くなる。

 重力魔法を使っているのだから当たり前だが、重いと言ったら最後。

 今までの倍は重量が増すのだから堪ったもんじゃない。


 「貴方の経験が功を成しているのか、治癒はすぐ使えるようになりましたね。良い傾向です。しかし、常時使える様になりなさい。ホラ、集中」


 えらく軽い台詞を吐きながら、背中に乗った彼女の重量が更に重くなった。

 腕からブチブチと嫌な音が聞こえてきそうなくらい、負担が掛かっているのが分かる。

 しかしながら、コレを自分で治療して上体を起こさないと訓練は終わらない。

 この人の訓練は、とにかくスパルタ物理なのだ。


 「うぉぉぉ!」


 「いいですね、その意気です。次は足を鍛えましょうか、立ちなさい」


 そんな事を言いながら彼女は他人の背中の上で動き回り、俺の頭に手を乗せたまま逆立ちしやがりましたよ。

 なんだこの身体能力、本当に聖女かよ。


 「ぐぬぬぬっ!」


 「貴方の目的は身体能力の向上、そして速度を上げる事。私に教えを請うのなら、まずは人の肉体の限界を超える所からです。しっかりと壊して、しっかり治しなさい。ソレに慣れれば、頭が勘違いし始めます。これくらいやっても大丈夫だろうと、制限を外してくれるのです」


 それはもう色々やべぇって。

 なんて事を思いながら、重力魔法を受けつつ上体を起こして立ち上がった。

 未だ頭の上で片手逆立ちしている聖女様は、バランスの一つも崩さない。

 マジかよ。こんなバランス感覚があったら、通るのでさえ怖いと思える足場だってスイスイ渡って行ける事だろう。

 俺は、この能力が欲しい。

 それにもっと鍛えて、速くなりたい。


 「ホラ、治癒魔法を続けなさい。足を鍛えますよ、このまま屈伸運動二百回。始め」


 「こ、このゴリラ聖女……」


 「何か言いましたか? “グラビティ”」


 「いだだだっ!? 折れる! 首が折れる!」


 「折れる前に治しなさい、骨にヒビが入った程度では死にません」


 もしかしたら俺は、教えを請う人間を間違えたのかもしれない。

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