第47話 明日を生きる為に


 「今日もまた収穫無し、全く……どこに行ったんだろうね」


 「もう旧市街に居ない可能性もある、もっと探索の幅を広げようか。はぁ……」


 アルマとファリアが、ため息を溢しながらグラスを傾ける。


 「そちらも重要ですが、子供達はどうですか? 私たちでは、朝稽古か食事の時くらいしか様子を見られませんから」


 「皆、毎日働いておるよ。リックは特に、アレから随分と無茶をしておる……いや、アレは違うな。自らを大事にしなくなったと言うべきじゃ」


 心配そうな表情をするセシリーの声に、暗い顔のミサが答えた。

 最近、ずっとこんな調子だ。

 ミーヤを死なせてしまったその時から、彼女は商人としての仕事を休んでいる。

 自らの責任だと感じているのだろう。

 今では俺達の家で、まるで家政婦の様に働いていた。

 リックの次に彼女の死を重く捉えているのは、間違いなくミサだ。


 「ミサ、何度も言うがお前のせいじゃない」


 「分かっておる……運が悪いというだけで人は死ぬ、どうしようもない事態だって平気でそこらに転がっておる。しかし、やり切れんのじゃ。まだ、飲み込めんのじゃよ」


 乾いた笑いを溢しながら、彼女は皆の皿につまみを配る。

 このままではいけない。

 それは分かっているのだが、彼女に掛ける言葉が他に見つからないのだ。


 「しっかし、また魔族かぁ。全員が全員危険な訳じゃないし、良い人が居たのも確かだけど。また“魔王”が関わっている……魔王の欠片だっけ? アイツが使ってた指輪。そうなってくると」


 「なかなか厳しいですね。アレほど強力だった相手が、また出現するかもしれない……すぐすぐと言う訳ではないでしょうが、欠片とやらを装備するだけでもかなり強力になる。現に私とドレイクの攻撃を喰らって平然としていましたからね」


 大きなため息を溢すアルマの肩に、セシリーが手を置いた。

 あぁくそ、気持ちが滅入る話題ばかりだ。

 今焦ったって仕方ないのも分かっているし、この場で俺達が暗い顔のまま話していても事態が進展しないのは分かっている。

 それでもやはり、ため息は漏れてしまうモノで。


 「このままじゃ駄目だ」


 「ドレイク? どうしたんだい?」


 思いっ切り息を吐き出してから、目の前にあるツマミの載ったデカい皿を手に取った。

 ホッケの塩焼き。

 居酒屋でゆっくり飲みたい時には絶対頼むソイツが、誰にも手を付けられず皿に乗ったままになっている。

 というか、他の料理だってそうだ。

 皆難しい顔を浮かべながら、全然料理に手を付けていない。


 「腹が減っていたら、頭は回らないし体も動かない」


 そう言ってから、ドデカいホッケに齧りついた。

 噛みついた瞬間からブワッと広がる魚の旨味と、酒の肴ってのが分かる濃い味付け。

 普通なら箸で突く様に食べるのだが、今はそんなチマチマ食べている気分では無かった。

 だからこそ、骨も皮も関係なくガブガブと頬張っていく。


 「旨い!」


 魚を食べ終えてから叫び、次に手を伸ばすのはシュウマイ。

 随分と綺麗に並べられているそれを、端から口の中に放り込んだ。

 プリプリとした海老と肉の食感、そして柔らかいシュウマイの皮と独特な香りが口の中に充満する。

 旨い、全部旨い。

 コレを感じる事が昔の俺の生きる理由で、守るモノが増えても変わらない生きる意味の一つ。


 「旨い! お前等も食え! どんどん食え!」


 そう言ってから、次の皿に手を伸ばす。

 俺の奇行に目を丸くした仲間達だったが。


 「ハ、ハハッ。確かにその通りだ、いつまでも辛気臭い顔をしていても事態は好転しないからね! 俺も食べる!」


 「腹が減ってはなんとやら、ですかね。せっかく美味しい料理が並んでいるのですから、冷ましてしまっては勿体ないです」


 「ほんと、変わらないね。ドレイクは」


 皆して呟いてから、各々料理をモリモリと口に運び始めた。

 夜のこんな時間に腹いっぱい食うというのもどうかと思うが、俺達はアレから毎日戦っているのだ。

 だったら食って寝て、また明日頑張れば良い。

 そうすれば明日も頑張れる、今日より良い結果が残せるかもしれない。

 だからこそ、皆してミサの料理を胃袋に納めていくのであった。


 「おかわりだ、ミサ」


 「悪いね、私たちは毎日走り回っているものだから」


 「コレ、旨かったです」


 「すみません……こんな事を言うのは忍びないですが。おかわりをどうか」


 全員揃ってミサに視線を向けてみれば。

 彼女は困った顔で、今までより少しだけ柔らかく微笑んだ。


 「全く、悲しんでいる暇もないな。お前等は」


 ニヘッと困った笑みを浮かべながら、彼女は空いた皿を持ってキッチンへと足を運んでいくのであった。


 ――――


 「今日も、父さん達は賑やかですよ。ミーヤさん」


 テーブルの上に置いた、彼女から預かった指輪に語り掛ける。

 ミーヤさんの形見と言える代物は、あまりにも少ない。

 彼女の部屋にあったのは、最小限の私物。

 替えの服や、道具。

 非常に実用的と言う他ない、寂しい空間だった。

 フレンならぬいぐるみだったり良く分からない小物だったりと、色々置いてあるのに。

 そう言った類のものは、一切置かれていなかった。

 まるでいつでも出て行けるかの様に準備していた、そんな部屋。


 『私は、いつか邪魔になる』


 そんな台詞を度々彼女は口にしていた。

 きっとパーティを外されたら、すぐにでも出て行くつもりだったのだろう。

 中途半端な技術しか持っていない斥候で、中途半端な魔術師だから。なんて、彼女は言っていた。

 でも、俺達のリーダーだったのだ。

 貴女が居たから、安心して戦えたのだ。

 ミーヤさんが居る、それだけで。俺は剣を握る事が出来た。

 貴女の為なら、普段以上に無茶をしてでも戦える。

 そう、言ってあげたかった。

 でもまぁ、実際に言葉を紡げば彼女は怒るのだろう。

 「無茶をするなって」お説教してくるのだろう。

 以前だったら正座しながら、申し訳ない気持ちばかり思い浮かべていたというのに。

 今その彼女が目の前に現れたら、絶対に抱きしめてしまうだろう。

 逃がさない様に、もうこの手から零れ落ちる事が無い様に。

 そして、言ってあげたい。

 俺達が、ミーヤさんを放り出す事なんて絶対にないと。

 皆で強くなろうと、胸を張って答えられる気がする。

 でも、その彼女が居ない。

 いくら望もうとも……もう、彼女には会えないのだ。


 「何で……ですかね? あの日から、全然泣けないんです。悲しいのに、辛いのに。貴女を思い出すと、胸に穴が開いたみたいで。全然、泣けないんですよ。壊れちゃったんですかね?」


 言葉を紡ぎながら、指輪を撫でた。

 元々は彼女の父親の形見。

 でも今では、彼女の形見である指輪。


 「結構、頑張ってるんですよ? まだ全然ですけど、大剣を振れる様になりました。前みたいに、変に防いだりする癖もありません。貴女の評価が聞いてみたいです。ココが駄目だとか、ココが良くなったとか。色々言って欲しいです」


 呟きながら、彼女から預かった指輪を首に掛ける。

 月の光に反射して美しく輝く銀色の指輪を見つめて、両方の掌で瞼を抑えた。


 「なんでも良いんです。本当に、なんでも。貴女の声が、聞きたいです……ミーヤさん」


 泣き叫んでしまえば、少しは楽になるのだろうか?

 持ち去られたミーヤさんの遺体が見つかれば、少しは安心出来るのだろうか?

 彼女を殺したあの魔族を叩き斬れば、少しは気分が晴れるのだろうか?

 色々な感情がごちゃごちゃに混ざり合い、涙の一つも零れてくれない。

 それが、今の俺だった。

 何処までも不完全で、どこまでも不安定な存在。

 一体何を求めているのかも不明であり、ただ強さだけを求め続ける哀れな子供。

 それが、俺だ。

 情けないったらありゃしない。

 英雄の息子であり、今では父と同じ武器を扱っているというのに。

 俺は、どこまでも未熟だ。

 その現実に、毎日打ちひしがれている。

 もっと強くなりたい、貴女を取り戻せるくらいに。

 過去に戻れば、貴女を救えるくらいに。

 何故俺はあの時目の前の敵ばかりに集中して、周囲を警戒しなかった?

 全体を見ろと、何度も教わっていた筈なのに。

 何故あの時の俺は、ミーヤさんを救う事が出来なかった?

 弱いからだ。

 全部が全部弱いから、どこまでも追い詰められる場所まで踏み入ってしまった。

 俺がもっと強ければ、そもそもあの状況に陥らなかったかもしれない。

 俺がもっと強ければ、ミーヤさんに迫る脅威を感知できたかもしれない。

 俺がもっと強ければ……今も彼女が、隣で笑ってくれていたのかもしれない。

 しかし“その時”は、もう……永遠に訪れない。


 「ごめん、なさい」


 謝罪の言葉を述べた、彼女に対して。


 「すみません、でした」


 今更どうしようもない現実に対して、許してくれと頭を下げた。


 「代わりに俺が死にます、だから彼女を返してください」


 まるで神でも祈るかのように、俺は窓から見える月に向かって呟いた。

 あぁ、本当に惨めだ。

 今の俺には、これくらいしか出来ない。

 惨めだ、哀れだと思いながらも。

 毎晩のように繰り返してしまう。

 俺はただ、彼女の隣に居たいだけだったのだから。


 「兄さん、起きてるよね」


 ノックもせずに、フレンが扉を開けて来た。

 全く、何度も言っているのに。

 そんな事を思いながら笑みを向けてみれば。


 「笑わなくて良いよ、無理しないで。今は、私しか居ないから」


 そんな言葉を紡ぎながら、妹はベッドに潜り込んだ。

 ミーヤさんが居なくなってから、度々こうやってフレンはやって来る。

 多分、妹も寂しいのだろう。

 本当の姉の様に慕っていたから。

 俺達は父さんに拾われるまで、ずっと一緒に過ごして来た。

 昼間も寝る時も、それこそ風呂だって。

 だからこそ、その癖が出てしまっているのだろう。


 「もう寝よう、兄さん。明日が辛くなっちゃうよ?」


 「あぁ、そうだな」


 短い言葉を返しながら、俺もまた布団に潜り込んだ。

 すぐ近くに妹の体温を感じる。

 最近では“懐かしい”と思ってしまう様な、少しだけ低い体温。

 昔は妹が凍えているんじゃないかって、必死で温めようとしたものだ。


 「寒くないか?」


 「平気」


 「狭くないか?」


 「平気」


 そう言いながら、フレンは俺の胸におでこをくっ付けて来た。

 暖かい、暖かいのだが。


 「ほんと、体温高かったんだな。ミーヤさんは」


 思わず、口元が緩んでしまった。

 いつかの野営の際、背中からくっ付かれた事があった。

 凄くドキドキして、一晩中眠れないじゃないかってくらいに緊張した。

 でも、凄く暖かかった記憶が残っている。

 まるで包まれている様で、凄く緊張していたのにいつの間にか眠りに落ちていた。

 そっか、俺は。

 戦闘以外の面でも彼女に甘えっぱなしだったのだ。

 手当をしてくれている時は、安らぎを覚えた。

 抱きしめてくれた時は、ドキドキしたけどやっぱり安心した。

 唇が触れた時は、心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいに緊張した。

 しかし、それでも。

 どの記憶でも彼女は笑っていたのだ、幸せそうに。


 「……っ!」


 思わず奥歯を噛みしめるが、彼女との記憶が何度も蘇る。

 楽しかった時、辛かった時、嬉しかった時。

 本当に、色々だ。

 だというのに、いつだって彼女は。

 コロコロと変わる表情を俺に向けてくれた。

 普段他者に向けていた無表情を俺に向ける事は、最期まで無かった。

 それが嬉しくて、心地良くて。

 いつの間にか、甘え切っていたのだろう。

 パーティリーダーで、全体の事も考えてくれて。

 時にはフレン達と一緒に斥候として活躍し、戦闘になれば魔術師として戦ってくれる。

 危険な時には指示をくれて、怪我をすれば治してくれて。

 失敗した時は叱りながらも、慰めてくれる。

 俺は、俺達は。

 多分彼女に頼り過ぎていたのだ。

 今なら分かる、それがどれだけ大変だったのかと。

 しかも俺達を見て、いつか離れる存在なのだと自覚していた状況なら余計に。

 本当に気を使ってくれていたのだろう、どこまでも可能な限り手を回してくれていたのだろう。

 今では想像する事しか出来ないし、ちゃんとした答えを聞く事も出来ないが。

 どれ程苦しかった事か、どれ程大変だった事か。

 一人で何役もこなす彼女は、俺には想像出来ないくらい頑張っていたのだろう。

 それでも。

 いつだって、彼女は笑っていたんだ。


 「っ! ……くそっ」


 「無理しなくて良い、本当に。私は、兄さんの強い所も知ってるし、弱い所も知ってる。だから、無理しなくて良い。もう私は寝ちゃったから、全部聞いてないから。吐き出して良い」


 妹の言葉を聞いてから、嗚咽が漏れた。

 苦しい、悲しい。

 そんな感情が表立って押し寄せて来るのに、何故だろう?

 涙が出ないんだ。

 心と体も泣いている筈なのに、瞳だけはずっと乾いたままなのだ。

 多分、あの日の出来事を焼き付けてしまったのだろう。

 ミーヤさんを救えなかった事、彼女が力尽きるその瞬間。

 そして手の届かない強敵と、あの人の遺体すら奪われてしまった屈辱。

 その全てが、この瞳に焼き付いているんだ。


 「今じゃなくても良い。だから、いつか泣いてあげよう、兄さん。ミーヤさんだって、兄さんが壊れる事なんか望んでない。望むはずがない、あの人は……凄く優しかったから」


 そう言って、フレンは俺を抱きしめて来た。

 多分、妹の言う通りなのだろう。

 生きていれば、彼女だって今の状態の俺に説教の一つでもするのだろう。

 だがしかし、許せないのだ。

 あの人を奪ったアイツが。

 叩き斬ってやりたいのだ、俺は。

 なんて事を考えながら妹を抱きしめてみれば。


 「兄さん、痛い。あと、殺気が凄い……こんなんじゃ、ミーヤさんに嫌われるよ。それに……兄さんも壊れちゃうよ」


 痛いと言いながらも、妹は大した反応は見せなかった。

 そのまま腕に収まり、静かに眠ろうとしている。

 ごめんな、本当に情けない兄ちゃんで。

 心の中で謝ってから腕の力を意図的に緩め、布団を掛け直す。

 あぁ、駄目だな。

 俺は妹からも心配されている。

 本当なら俺が安心させてやるべきなのに、俺が引っ張ってやるべきなのに。

 今の俺は……本当に未熟者だ。


 「ちゃんと強くなるから」


 「ん」


 「アイツを倒せるくらいに、強くなるから」


 「……」


 「ごめんな、心配掛けて。おやすみ、フレン」


 そう言ってから、妹の頭を撫でて目を閉じた。

 もう眠ろう。

 いくら考えたって、答えなんか出ないのだ。

 だったら、明日に備えよう。


 「兄さんまで居なくなっちゃうなら、強くなんか、ならなくて良いよ……」


 小さなその呟きは、俺が瞳を閉じた随分後に聞えて来た。

 ぼんやりとする意識の中で、その声は……まるで泣いてばかりの昔のフレンを連想させるものであった。

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