第46話 黒兎
「結構増えたんだけど、ひと騒ぎ起こすならまだまだかしらねぇ」
そんな事を言いながら、洞穴の中でグッと体を伸ばした。
服も着ないでこんな真似をすれば、周囲に裸体を見せつけている様にも映るだろう。
案の定反応したオークの一匹が、涎を垂らしながらこちらに歩み寄って来る。
「あぁ~はいはい。別に良いけど」
そう言ってから寝ころがってみれば、すぐさま相手が私に覆いかぶさって来た。
お盛んなのは構わないが、数が数なのでいつまで経っても終わらないのが考え物だ。
あの戦闘から、もう随分と時間が過ぎた。
もう、コイツ等の子供を何匹くらい生んだ事か。
幸いこういった魔物は生まれるのも早いし、授乳の必要も無い。
というか産み落とされた瞬間から肉を喰らう。
そして育児の様な真似をしなくても、勝手に雄の魔物が育てていくので、非常に楽ではあるのだが。
それでも、いい加減飽きて来た。
数が増えた影響か、そこら辺から女を攫って来ている。
なので私はそろそろ別の巣に移っても良いかもしれない。
とはいえ、短期間で数を増やすなら攫って来た女たちでは役者不足ではあるが。
普通の人間では、出産を繰り返すなんて不可能。
途中で壊れてしまうか、自害したくなる程の苦痛の毎日だろう。
でも私はサキュバスなのだ。
そう言った器官の調整は得意だし、コレと言って不都合も無い。
出来たら生んで、生んだらまた作って。
本当にその繰り返し。
生まれてくるのは愛着もクソも無いブタッ面だが、戦力は着々と増えて行った。
更に言えば、魔物は成長も早い。
もう少しマシなのが見つかれば良かったのだが、短期間で数を増やすならこういう雑魚がうって付けなのだ。
「ちょっと、ソレに触んないで」
指先から魔法を放ち、洞窟の最奥に手を伸ばそうとしたオークの頭をぶち抜いた。
一匹くらいどうという事は無い、最奥に納められていた“ソレ”の方がはるかに大事。
「“魔王”にはなれないでしょうけど、どんな化け物に変わるんでしょうね? 貴女は」
オークに腰を振られながら、ニッと口元を吊り上げて“ソレ”を見つめた。
そこには、蟲に囲まれた兎の獣人が静かに横たわっていた。
その指に、“黒い指輪”をはめて。
本来なら間違いなく死んでいただろう。
放っておけば全身に毒が周り、更に呪いによって屍人に変わるのも早かった筈。
しかし、そのどちらも私が用意したモノとなれば話は別だった。
自分が使う毒に対しての解毒薬を持っていない筈もなく、呪いは私の得意分野。
その二つを取り去ってみれば、まるで仮死状態の様な実験体が手に入った訳だ。
抵抗も無くただただ眠り続ける彼女に、私の作った“指輪”を嵌めた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと“魔王の残滓”が彼女の体を蝕んで行った。
無垢な状態の彼女を、“何か”が着実に侵食していく。
しかしながら、ちゃんと生きているのだ。
今この時でさえ、しっかりと生きている。
「フフッ、楽しみで仕方ないわ。貴女にはちょっと特別なモノを付けたから、精々良い子の“化け物”に変わってね?」
ちょっとした実験のつもりだった。
失敗すればその辺に捨てるか、“あの子達”をまた呼び出す餌にでもしようかと考えていた。
だというのに、予想外の事態が起きているのだ。
ただただ静かに眠り続ける彼女は、指輪の影響もあってかその身に想像以上の魔力をため込んでいる事が判明した。
非常に面白そうなモノが出来てしまった。
動かぬままただの魔力貯蔵庫になってしまう可能性もあるが。
だが何も口にしなくとも生きているという事は、肉体は回復している証拠。
魔力で全て補っている、まるで以前の魔王の様な状態になっている訳だ。
果たして、何処まで進化してくれるのか。
今から楽しみで仕方がない。
とはいえ、この状態のままもう随分と時間が過ぎてしまったのも確かだが。
「貴女は何時になったら起きてくれるのかしらね? 可愛い兎さん?」
もしも最後まで動かなければ、他の魔物に抱かせてみても面白いかもしれない。
一体どんな子供が生まれるのか、非常に興味深い。
そしてその魔物は、どうせならオークなんかじゃなくてもっと強い魔物で試してみたい。
だからこそ。
「出来る事なら、早く目覚めて頂戴ね? そうじゃないと、勝手に種を仕込んじゃうわよ?」
ニヤァっと口元を吊り上げながら、私の実験体を見つめた。
私の手には、いくつもの魔王の欠片がある。
勇者達が討伐した後の、魔王の遺体。
その一部を回収する事に成功したのだ。
ほんの少しの肉片だったとしても、ソレはとんでもない魔力を含んでいた。
そして同時に、“呪い”とも言える何かが渦巻いている。
コレが魔王、魔人の最終兵器とも言える存在。
たった一片だけでも、それが分かる程。
こんなチャンス、二度と訪れないだろう。
魔王とは兵器、兵器なんていうのは使う者が居てこそ価値が有る。
ただ使われるだけの存在。だったら私は、“使う側”に立ちたいと望んだ。
「貴女が面白い“モノ”に変わって、あのリッ君って呼ばれていた子が魔王になってくれれば。私としては最高に楽しいんだけど。見た目も結構好みだったし、貴女も可愛いからね」
クスクスと笑いながら、オークの欲望を受けとめ続けた。
これからだ、私が望む世界が訪れるのは。
これからもっと面白くなるのだ。
だからこそ、私は。
「飽きちゃったけど、とりあえずもう少し増やしましょうかねぇ」
今日も今日とて、野良のオークを増やし続けるのであった。
――――
夢を見ていた。
皆が笑って、私を受け入れてくれて。
いつも通りの光景、ずっと目にしてきた光景。
愛する人が隣に居て、大好きな人達が周りに溢れている。
そんな優しい夢を見ていた。
だというのに。
「こんな事も出来ないのか?」
冷たい声が、耳に響いた。
「ちょっと、どころじゃない……力不足」
落胆した様な声が聞えた。
「流石にコレは……足手まといだろ」
憐れみを含んだその声に、胸の中が冷たくなっていくのを感じた。
家族だった彼等が、私に向かって冷たい眼差しを向けて来る。
コレは夢だ、それは分かっている。
だというのに、心に突き刺さる様だった。
いつだって不安に思っていた事だったから、いつかはそう言われると確信していたから。
だからこそ彼等の言葉に納得しながらも、涙が零れた。
「わ、私だって……頑張って……それでも、上手く行かなくて」
ボロボロと両目から零れる雫に頬を濡らしながら、必死で仲間達に手を伸ばした。
でも、届かないんだ。
皆の背中はずっと先にあって、私じゃとても追いつけなくて。
必死で走っても、いくら泣き叫んでも。
彼等の背中はどんどんと遠くなっていく。
まるで幼子に戻ってしまったかのように、力無い手足を振り回しながら必死で「置いて行かないで」と声を上げた。
しかし彼等は光りの射す方向へ進んで行く。
暗闇に、私を置き去りにしたまま。
「お願いです……置いて行かないで……私を、一人にしないで……」
もはや立ち上がる力も無くて、その場に蹲って嗚咽を洩らした。
私は、弱い。
どこまでも中途半端で、何をやっても突起した何かが見つけられなかった。
それでも、私を認めてくれる人が居たのだ。
隣に居て欲しいって言ってくれたのだ。
だからコレは夢だ。
皆なら、きっと私の手を引いてくれる。
あの人なら、こんな私でも寄り添ってくれる。
そんな事を思いながらも、涙が止まらなかった。
『本当に? その人の言葉は、本心だったの?』
自らの声が、空間に反響しながら響いて来た。
止めろ、聞きたくない。
思わず耳を塞いで、更に嗚咽を溢す。
『本当は分かっているんでしょう? 私みたいな無能は、皆の足を引っ張るだけ。同情を引く様な言葉を放ってまで一緒に居るくらいなら、居ない方が良い。だというのに、未だに縋りついている。彼等の足枷になっている。“彼”の重荷になっている』
「やめて!」
いくら耳を塞ごうと、その声は頭の中に響いて来た。
いくら泣き叫ぼうと、その声は私を逃がしてはくれなかった。
「だって、言ってたもん! ちゃんと言ってくれたもん! 隣に居て欲しい、“いってらっしゃい”って送り出して欲しいって、“お帰りなさい”って言って良いって! 一緒に居る事を許してくれたもん!」
まるで子供の様に言葉を連ねながら、私は暗闇の中泣き叫んだ。
徐々に体に何かが纏わりついて来るみたいに、どんどんと重くなっていく。
真っ暗な中でも分かる程、もっともっと“黒い何か”が私を包み込んでいく。
そして“ソレ”はまた耳元で呟くんだ。
『不安だったね、怖かったね。でも大丈夫、もう大丈夫だ。だって君は強くなれるもの、もっともっと強くなって、皆に置いて行かれない様にしよう』
その言葉はまるで麻酔の様に頭の中に染みわたって、私の思考を曇らせた。
強く、なれるの?
『そうだとも、受け入れてしまえば後は簡単だ。全部が全部、君より弱くなる。君が強くなりすぎて、皆だって見捨てたりしなくなる』
受け入れてしまえば、強くなれるの?
また皆と一緒に歩けるの?
私は、見捨てられずに済むの?
『見捨てるどころか、皆から連れて行ってくれと懇願してくるんじゃないかな? 強い力を持つ者の周りには、いつだって人が溢れるものだ』
胸を張って、彼の隣に居られる?
『なれるさ、当然だ』
もう、一人にならなくて済む?
『そうだね。でも怯えてばかりじゃ駄目だ、自ら手に入れに行こう。欲しい物は、全部。自分の手で掴み取れば良い。その力が、もうすぐ手に入るのだから』
グルグルと渦巻く思考と声に、いつの間にか平衡感覚さえ失っていた。
今自分が何処を向いているのか、立って居るのか座っているのか。
目を開けているのかどうなのかすら分からない。
それでも、変わらない一つの願いがあった。
「リックさん……もう一度、貴方に逢いたい……」
それだけは、はっきりと言葉になって口から零れ落ちるのであった。
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