第44話 最強の手札


 「へぇ、君。おもしろいわね」


 その声は、すぐ近くから聞こえて来た。

 本当に真後、いつから立って居たのか。

 それすらも分からないというのに、耳に息が掛かってから気づいた程。

 反射的に回し蹴りを繰り出して、距離を取った。

 戦わなくては、死ぬ。

 それだけは分かるのに、腕が上がらない。

 左腕は深い裂傷を負い、右肩にはバールドの折れた刃先が刺さったまま。

 咥えていた双剣の片方も先ほど取り落としてしまった。


 「リッ君! もっと離れて!」


 声と共に、ダグラスさんが長剣を振り回す。

 しかし、掠る気配さえない。

 余裕の顔で剣を回避するその相手は。


 「サキュバス!」


 「そんな呼び方しないで、ラーシャって呼んでよ坊や。それよりさっきの狐女は居ないの? あんなものぶっかけてくれたお礼がしたかったのだけど」


 彼女は涼しい顔をしながらダグラスさんの剣を躱し、まるでダンスでもする様な気軽さで彼を蹴り飛ばした。

 その威力は、ウチの盾役がこちらまで後退させられる程だったが。

 二人して改めて彼女を睨み、静かに呼吸を整えていれば。


 「坊や、名前はなんていうの? 興味が出て来ちゃった。魔王になれるのはただ一人、でも“魔王”なんて言っても、実は種族は関係ないのよね」


 「……急に何の話だ、尻軽女」


 「あら、さっきと違って随分口が悪いのね? それに、私はまず名前を聞いたのよ?」


 拗ねた様に唇を尖らせた彼女が指を立てた瞬間、右肩から激痛が走った。

 何かが、貫いたのだ。

 偉く鋭い一撃で、後から衝撃が伝わって来る程。

 攻撃の衝撃で、バールドから刺された刃が傷口から飛び出して来たのが見える。


 「がぁっ!?」


 「リッ君! 大丈夫っすか!?」


 マジで見えなかった、彼女の攻撃が。

 気付いた時には、彼女の魔法を喰らっていた。

 こんな化け物、どうやって殺せば良い?


 「リッ君? あだ名かしら? でもちょっと可愛いわね、私もリッ君って呼んであげましょうか?」


 そんな事を言いながら、上品な微笑みを溢す彼女。

 あぁ、不快だ。

 コイツのせいで、コイツのせいでミーヤさんは……。


 「がぁぁぁ!」


 「ちょっと! マジでどうしちゃったんですかリッ君!」


 肩から飛び出した刃先に噛みつき、引き抜いた。

 それを口で構えたまま、姿勢を低くして彼女に突っ込む。

 彼女は魔法使いだ、なら懐にさえ入ってしまえば――


 「ざ~んねん。でも、その勢いは好きよ? まるで獣みたいに雄々しい、ますます気に入ったわ、リッ君?」


 「ううぅぅぅ!」


 折れた刃先を咥えながらも、首を掴まれて持ち上げられてしまった。

 間違いなく俺達より強者、そんな実力差を感じる。

 しかし、それがどうした。


 「んんんっ!」


 首を捕掴んでいた掌に対して、思いっきり首を捻じって刃先を突きつけた。

 薄っすらと溢れて来る彼女の血液、彼女の手に突き刺さった刃物。

 大丈夫だ、俺の攻撃でも“通る”。

 なら、殺せる。

 コイツを“殺せ”。


 「んんーっ!」


 両手が動かないからこそ、足を使った。

 相手の鳩尾に蹴りを叩き込み、一瞬手が緩んだ瞬間に彼女の手を振り払ってから。

 咥えた刃物を彼女の首に向けて突き立てようとしたが。


 「元気が良いわね? フフッ、ほんとさっきの出来の悪い獣と違って愛らしい雄々しさよ?」


 今度は首の後ろを捕まれ、地面に叩きつけられてしまった。

 やはり、強い。

 そう簡単には殺されてくれないか。

 なんて事を思いながら、彼女を睨み上げてみれば。


 「フフ、アハハ! 君はどこまで私を喜ばせてくれるの? いいわ、その憎悪。それに獣みたいになってもしっかりと急所を狙って殺そうとする姿勢。こんな状況でも逆転の機会を狙って刃先を口から離さない。普通だったら絶対口を開けて、そんなもの落としてしまうもの」


 高笑いする彼女は、愉快そうな笑みを浮かべながら俺の耳に唇を近づけて来た。

 吐息を感じる程近く、耳に熱い空気の流れを感じる。

 何処までも不快で、殺意が逆なでされる様な気持ちだったが。

 それでも、彼女は言い放った。


 「坊や、“魔王”になる気はない? 今よりずっと強くなれる、嫌なヤツを全部殺してしまうくらいに強くなれるのよ? 興味はないかしら」


 そう言いながら、彼女は俺が噛んでいた刃を取り去った。

 口の中は血の味でいっぱいだ。

 それらを一度ペッ! と吐き出してから、彼女の言葉に答えた。


 「もしその力を手に入れられたなら、まず真っ先にお前を殺してやる」


 「アハハハ! 本当に良いわ貴方。どこまでも鋭い殺気を放っている、こういう強い感情を持った者こそ、“魔王”に相応しいのよ」


 彼女は、俺の背中に跨ってそんな事を言い始めた。

 狂っているのか?

 俺は、お前を殺すと宣言したはずだったのだが。


 「魔王って言うのは、すぐすぐ“進化”出来るものじゃないの。何年もかけて変化し、成長する。その間貴方の上で私が腰を振り続けた場合、進化を終えた後……貴方は私を拒絶できるかしらね? サキュバスとの交わりは、脳裏に焼き付くぐらい濃厚で刺激的よ? 間違いなく、私に恨みを持ちながらも貴方から腰を振るでしょうね?」


 ゾワリとする様な囁きを洩らしながら、俺の耳に舌を当てるサキュバス。

 その全てが……“癇に障った”。


 「どけぇぇぇ!」


 無理やり体を回転させ、正面から馬乗りされている状態に変わる。

 思い切り足を振り上げて、つま先を彼女の後頭部に叩き込んだ。

 怖いとか、誘惑がどうとかじゃない。

 とにかく気持ち悪いのだ、この生物が。


 「離れろ! 気色悪いんだよ!」


 ガツンガツンとサキュバスの後頭部に蹴りを入れていれば、頭から血を流しながらも彼女は微笑んだ。


 「ほんと、いいわね。貴方……悲劇も、喜劇も、全部なくちゃ。それくらいじゃなきゃ“つまらない”。物語の主人公になりましょう? 坊や」


 にやぁっとサキュバスが口元を吊り上げ、バールドが嵌めていたのと同じ“黒い指輪”を近づけて来る。

 アレは、なんだ?

 まるで黒い靄が掛かっている様な、不思議な見た目。

 そんなモノが、俺の指に近づいて来た瞬間。

 横から盾が突っ込んで来た。


 「いい加減離れろクソ女! リッ君、大丈夫っすか!?」


 ダグラスさんが、まるで馬車みたいな勢いで突っ込んで来た。

 今まで俺に跨っていたサキュバスは吹っ飛び、俺も自由になった訳だが……武器が無い。

 無手のまま立ち上がり周囲を探すが、結局両腕が使えないのだ。

 このままでは、確実に負ける。


 「俺が囮になる、その間に逃げて下さい」


 「まだ馬鹿な事言ってるんすか!? いい加減怒りますよ!?」


 「決め手がないんだ! それに、今の俺には武器が握れない!」


 両手は駄目、先ほどみたいに咥えるにしてもそもそも武器が無い。

 だったら、これしかない。

 幸い足は生きているんだ、なら……。


 「絶対に嫌です! 俺はタンクです! 守る事が仕事です!」


 「ダグラスさん!」


 「いい加減聞き分けろよリッ君! 俺達じゃアイツに勝てない! だったら囮はタンクが務めるもんだ!」


 その叫び声に、思わず次の言葉を引っ込めてしまった。

 彼は、間違いなく本気だ。

 仲間の為に命を差し出す覚悟を決めている。

 コレがタンク、仲間を守る盾役なのだと言わんばかりに。

 彼は堂々と相手に向かって盾を構えて見せた。

 ガツンガツンと盾と剣を打ち鳴らし、不敵に笑って見せる。


 「ほ~ら、餌が目の前にいるっすよ。こっちだこっち、俺を見ろ。いや……俺だけを見ろ! クソサキュバス! こっちっすよ!?」


 「勢いは好きなんだけどねぇ……なんか燃えないのよ、貴方」


 「は? があぁっ!?」


 さっきまで、遠くに居た筈のサキュバス。

 そいつが、一瞬で距離を詰めて来た。

 しかも彼女の爪で、ダグラスさんの盾を易々と切り裂いて見せたのだ。

 こんな事って、あるだろうか?

 掴んでいた彼の腕は捥げ、盾と一緒に地面に落ちる。

 こんなのもう、どうしようもないじゃないか。


 「あぁぁぁぁ!」


 「ダグラス!」


 「あぁもう、うるさいわねぇ……」


 つまらなそうな顔を浮かべた彼女が爪を構えたその先には、片腕を失った俺の仲間が居る。

 間違いなく、その攻撃は彼の首を狙っていた。

 その腕が振り下ろされれば、俺はもう一人仲間を失う事になるだろう。


 「止めろぉぉぉ!」


 叫びながら飛びつくが、相手の方が速い。

 更には、腕が動かないのだ。

 今の俺に何か出来るとすれば、噛みつくくらい。

 そんな攻撃で彼女を止められる筈も無く、数秒後にはまた一人仲間を失う。

 止めてくれ、もうこれ以上。

 こんなにたくさん、俺から奪わないでくれ。

 両目から涙を溢しながら、目の前のサキュバスに噛みつこうと飛び込んだが。

 届かない。

 ちくしょう、ちくしょう!

 なんて、頭の中で悪態を付いた瞬間。


 「てめぇか、ウチの子にちょっかい掛けている馬鹿は」


 俺達の間を、“暴風”が駆け抜けた。


 「やってくれるね。こんなトラブルばかりじゃ、流石に眼を放すのが心配になるよ」


 声と共に光線が敵に向かって伸び、相手は舌打ちをしながらひたすらに“魔法”と“暴風”を避けている。


 「二人共馬鹿正直に突っ込み過ぎ! ファリア! 先読みしながら少しずらして魔法を放って! ドレイクは誘導! セシリーはドレイクに合わせて! こっちでも援護する!」


 彼の声と共に二人の動きが変わり、徐々に魔法と暴風が彼女を襲い始める。

 そして、もう一人。


 「あら、随分とはしたない恰好のお嬢さんですね。一度貞操観念と言うモノを叩き込んであげた方が良いかしら」


 どこからともなく現れた修道女がサキュバスの頭を掴み、地面に叩きつけた。

 その一撃は絶大で、相手の顔面は地面に亀裂を生む勢いでめり込んだ。

 まさに圧倒的。

 ソレ以外の言葉が見つからない。

 今さっきまで目の前に死が迫っていたのに、ガラリと雰囲気が変わる。

 戦場に、四人の“英雄”が登場した瞬間であった。

 勇者、聖女、魔術師、そして剣士。

 俺が知る限り誰よりも頼もしい四人が、今この場に揃った。


 「兄さん!」


 「リック! ダグラス! 皆無事か!?」


 少しだけ遅れて、フレンとリオも合流する。

 ミサさんの言いつけ通り、父さんのパーティを見つけて連れて来てくれたみたいだ。

 そして、当の本人達はと言えば。


 「待たせたな、お前等。大丈夫か?」


 皆頼もしい背中を此方に向け、その内の一人が巨大な“鉄塊”を担ぐのであった。


 ――――


 屋根に登って、ひたすらに笛を吹いた。

 だというのに、音が鳴らない。


 「何やってんだフレン! はやくドレイクの旦那達を探さなきゃアイツ等が!」


 「分かってる! だから呼び出そうとしてるの! なのに、なんで!」


 ファリアさんから貰った笛に必死で息を送り込んでも、全然音が鳴らない。

 「本当にどうしようもない時、これを吹くんだよ」なんて言って渡された笛。

 同じ旧市街に居る時くらいなら、どこに居ても聞えると言われたのに。

 だと言うのに。


 「なんで!? ファリアさん言ってた! これを吹けば助けに来てくれるって!」


 「んな事言っても、鳴らない笛に意味なんか無いだろ!」


 リオも苛立った様子で、私の笛を取り上げようとする。

 それは当然の反応。

 意味の分からない道具に頼ろうとする私は、この広い旧市街から一つのパーティを探すという目的に反した行動をしている。

 足でお父さんのパーティを探せば、いつまで掛かるか分からない。

 だからこそファリアさんに貰った笛で、どうにか出来ると思ったのに。

 でも音が鳴らないのだ。

 いくら吹いてもフーフーと息が漏れる音が鳴るだけで、気付いてもらえそうな警告音がならない。

 失敗作だったのか、それとも元々そんな都合の良い道具なんかなかったのか。

 どちらにせよ、涙が滲んだ。

 だというのに。


 「やれやれ、やっぱり音が出るようにした方が良いかな? 私にしか聞こえないと、吹いた本人は不安になるよね。ココまでピーピーと耳元で吹かれては、些か驚くよ」


 気付いた時には、ファリアさんが後ろに居た。

 その足元には、転移の魔法陣。


 「ファリアさん!」


 「やぁ、お待たせフレン。どうしたんだい? 何かトラブルかな?」


 思わず彼女に抱き着いてしまった。

 来てくれた。

 私の知る限り、最強の魔法使いが。

 いつだってお父さんに隠れながら、「内緒だからね?」なんて言って手を貸してくれた魔女。

 私にとって、第二のお母さんの様な存在。

 困った事を相談すれば答えをくれるし、無くしてしまった武器だって買い与えてくれる様な、頼ってばかりの隣人さん。

 いつだって支えてくれる、本当に強く頼もしいお母さんみたいな人。


 「助けてファリアさん……ミーヤさんが!」


 「説明してくれるかい?」


 私は、今までの事を全てファリアさんに話した。

 全部を聞いた彼女は、随分と険しい顔を浮かべて目を閉じた。

 ファリアさんでも、対処に困る事態なのだろうか?

 だとしたら、もう……。

 なんて、考えていたのに。


 「任せて、フレン。今丁度近くに“最強”のパーティが揃っているからね、呼びつける事にした。全勢力で、君達を虐めたカスを叩き潰そうじゃないか」


 そう言って彼女が片手を上げれば、背後に現れる複数の転移魔法陣。

 そこから現れたのが。


 「フレン、大丈夫か?」


 「虫地獄の次は緊急事態かぁ……つっら」


 「これも我々を頼ってくれる子供達が居るからこそ、まさか文句などありませんよね?」


 最強のメンバーが、ここに揃った。

 コレなら勝てる、絶対に。

 皆生きて帰る事が出来る。

 そう、確信した。


 「ごめん、なさい。手を貸してください。私たちじゃ、対処しきれない」


 頭を下げてみれば、リオも焦った様子で頭を下げた。

 最後に見た時のミーヤさん、聖女様じゃなければどうしようもないくらいに不味い状態だった。

 バールドとあのサキュバス。

 どちらも多分、兄さん達だけじゃ対処出来ない。

 今は隠れている筈だけど、アイツ等はまだ私たちの事を探している。

 易々と見逃してくれるなんて事態は発生しないだろう。

 だったら、私たちは更に強者に頼るのだ。

 情けなくとも、生き残る為に。

 皆を、そしてミーヤさんを助けてもらう為に、私の頭くらいいくらでも下げよう。


 「お願い、します。皆とミーヤさんを、助けて……」


 呟いてみれば、随分と大きな手が私の頭に乗せられた。


 「任せろ。親ってのは、子供に助けを求められたら自然と体が動いちまうもんだ。見捨てる選択肢なんぞ、はなから存在しない」


 その一言ともに、私たちは顔を上げた。

 そこには、頼もしい大人達が笑顔を浮かべていた。

 誰よりも頼もしい家族が、助けてくれると言っているんだ。

 戻ろう、戦場へ。

 この最強のパーティを連れて、皆を助けるために。


 「ありがと、お父さん……こっち!」


 今一度気を引き締めてから、私達は家屋の天井を走り始めた。

 一刻も早く、兄さん達の元へ戻る為に。

 お願いだから、無茶だけはしないで。

 それだけを願いながら、旧市街を走り抜けるのであった。


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