第42話 魔人
速い、本当に速い。
カサカサと動き回るバールドは、一瞬でも目を離したら見失ってしまいそうな程だった。
しかも、俺達の周りを常に動き回っている。
「チッ! オラこっちだこっち!」
ガツンガツンと盾と剣を打ち鳴らし、ダグラスさんが必死でアピールするが。
「ダハハハハ! 木偶の坊! 立ってるだけか!? そんなだからランクアップ出来ねぇんだよ!」
周りを走り回る相手はそんな声を上げながら、俺達を翻弄した。
やり辛いどころじゃない。
相手は一応人間の形をしているし、動きも早い。
更にはしっかりと知性があるのだ。
それが、よりにもよって実力だけだったらランク4の冒険者。
「まるでゴキ〇リの様な速さで動き回りますね! 気色悪いったらありません!」
「そう嫌うなよミーヤ、どうだ? こっちに来ないか? そうすりゃお前だけは殺さないでおいてやるよ?」
魔弾を連射していたミーヤさんに、相手が取り付こうとしていた。
俺達の間をすり抜けるみたいに、彼女に向かって進んでいく。
「離れろクソヤロウが!」
感情のままに双剣の片方をぶん投げてみれば、相手は余裕の笑みを浮かべながら回避して見せた。
マジか、アレでも当たらないとかかなりキツイんだが。
「助かりましたリックさん……正直ゾッとしました」
身を震わせながら俺の背後に回ったミーヤさんが、背中合わせで掌を構える。
不味いな、片方の剣は投げてしまったし相手を見失った。
ほんと、ミーヤさんの言う通り見たくも無い害虫の様だ。
「兄さん!」
「助かる!」
どっかに飛んで行った俺の剣の代わりに、フレンがマチェットを渡してくれた。
いつも使っているモノより心もとないが、それでも無いよりかはマシ。
これで双剣スタイルに戻れるというものだ。
「んで、どうするんだ? そんなチンケな刃物で俺を殺せんのか?」
耳元から聞こえたその声に、体の方が先に反応した。
今しがた受け取ったマチェットを逆手に持ち替え、声のした方向に思い切り突き刺してみれば。
「テメェェ!」
相手は悲鳴を上げながら距離を置くが……多分致命傷にはなっていないだろう。
しかし、今ので分かった。
おかしな見た目に変異してはいるが、肉体そのものは普通の人間と変らない様だ。
やけに筋肉が膨張している感じはあったけど、刃が通らない程ではない。
そして相手は俺に対して執拗に攻撃を仕掛けて来るのと、ミーヤさんを狙っている。
俺の方は嬲り殺したいという感情で、ミーヤさんの方は捉えたいという感情の違いはあるようだが。
「リック喜べ! 近くに刺さってた!」
「ありがとリオ!」
先程投げた片方の剣をリオから投げ渡され、いつも通りの構えに戻るが……ヤバイ、相手をまた見失ってしまった。
速すぎっていうか、カサカサ動きすぎなんだよホント。
「ちくしょう……タンクなのに全然守れてねぇ……」
悔しそうに呟くダグラスさんが、再び俺らの前へと飛び出して来る。
と同時に、周囲からはゲタゲタと笑い声が上がり始めた。
「ダグラース、本当にお前は使えねぇな? どこにいっても木偶の坊、ただ立って居るだけか?」
そんな声が聞えて来た。
あぁ、なるほどそういう事か。
コレなら例え見失っても対処が可能になりそうだ。
「お前はいつだって役に立たねぇ、ただただ敵に攻撃されて耐えるだけの使えねぇ丸太だったなぁ?」
バールドの煽り文句が飛び交う。
強い感情を、知性を残しているというのは、ある意味では欠点になるかもしれないな。
奥歯を噛みしめる音が聞こえて来る程に、その言葉に耐えているダグラスさんには悪いが……精神面でもタンクになって頂こう。
彼の背中を軽く叩いてから、思い切り前に飛び出した。
「リオ! フレン! まさか場所が分からないなんて事は無いよな!?」
「兄さん、それは私たちを舐め過ぎ」
「これだけベラベラ喋ってたら、場所を教えてる様なもんだろうが!」
合図と共に二人が飛び出し、建物の影に向かって矢やらナイフやらが飛んでいく。
次の瞬間には、ソレを回避したバールドが飛び出して来て。
「皆援護よろしく! 逃げる方向を絞って!」
周りから刃物やら魔弾が飛んで来る中、両方の剣を全力で振るった。
肉を裂いた感触はあった、でもまだ足りない。
回避行動を取る彼に張り付くように移動しながら、ひたすらに双剣を振り回した。
「うざってぇ!」
「だったら振り解けば良いだけだろ! 実力不足だ馬鹿め! 俺くらい振り解けないのに威張り散らしてたのか!」
とにかく煽る。
コイツはバールドだ、化け物みたいな姿になってもソレは変らない。
煽られれば怒り、行動は単調になる。
更に言えば今の彼の能力と、本人の性格が見事に噛み合っていないのだ。
黙ったまま行動すれば、リオでさえ聞き逃してしまう程隠密能力に長けているのに。
当の本人の性格がソレを良しとしない。
それに、自分が誰かから見下されるのは随分と嫌いなご様子。
だったら。
「ハッ! ランク4で粋がっていた先輩は違いますね。随分な姿になった挙句この程度ですか! あ、失礼。今は降格してランク3でしたね」
「クソガキがぁぁぁぁ!」
「こんな挑発に乗るから安っぽく見えるんですよ貴方は!」
今まで回避行動を重視していた筈の相手が、急に攻め込んで来た。
隙だらけ、とまでは言わないが。
感情に任せた突進をして来る彼に対して、両方の刃を叩き込んだ。
とはいえ流石はランク上の冒険者。
致命傷になりそうな個所を狙ったにも関わらず、ギリギリで避けられ片腕を切り裂くだけに終わった。
しかし、一本は貰った。
かなり深い裂傷を負ったはずだから、確実に機動力は削いだ事だろう。
「リックさん!」
「大丈夫です! 怪我してませんから配置に戻って下さい!」
声を上げるミーヤさんに答えてから、俺も相手を睨んだまま一旦元の位置に戻る。
大丈夫だ、なんとかなる。
この戦法を繰り返して行けば、いつかは。
そんな希望を抱いた瞬間。
「ハァイ、ボク達。敵は一人とは限らないって、教わらなかったのかしら?」
偉く軽い声を上げる女性の声が、その場に響き渡った。
は? 誰? 思わず周りに視線をやってみるが、敵の姿が見えない。
「三時方向! 屋根の上だ!」
リオの言葉に、バールドまでもが視線を向けている。
そこには、捻じれた角を生やす女が立って居た。
やけに露出の高いドレスを身に纏い、長く赤い髪を揺らしている。
「……魔人?」
「そ、魔人。そしてサキュバスとも呼ばれているわ、よろしくね坊や達」
クスッと、目を奪われそうな微笑みを浮かべる彼女。
しかし、その美しさにゾワリと妙な寒気を覚える。
彼女を長い間見つめてはいけない、そんな気がするのだ。
「ラーシャ! 何でここに居る! その角はなんだ!?」
誰しも彼女の空気に呑まれそうになっていた時、バールドだけは鋭い声を上げた。
知り合いなのだろうか? とてもではないが、仲間という雰囲気はないのだが……。
「あらあら、見た目が少し変わっただけですぐ怒鳴り散らすのね? コレだから小物って嫌なのよ。貴方、化粧を落とした女を見るの嫌いなタイプでしょ。モテないわよ、上っ面しか見ない男は」
「ふざけるな! 何を企んでいるラーシャ!」
なんだかよく分からないが、二人は言い争いを始めてしまった。
バールドが一方的に叫んでいるだけだから、言い争いとは言わないのかもしれないが……何がどうなっているんだ?
「はぁ、全く……いつまでその偉そうな口調で喋っているのかしらね。ただの失敗作の癖に」
「あぁ!?」
やれやれと首振りながら、彼女は大きなため息を溢してバールドを指さした。
まるで虫けらでも見下ろすかのように、顔を顰めながら。
「てめぇ、今俺の事を何だとほざきやがった?」
ギチギチと歯ぎしりの音立てるバールドが、額に青筋を浮かべながら剣を構えた。
もう訳が分からない。
急に三つ巴の状態になったかと思えば、やけに不穏な空気が漂っているし。
「だってどう見ても失敗作だし……そんな子供達に良い様にされて、姿だって魔力に耐えられなくて変異してるじゃない。醜いわね、ほんと」
「てめぇ女! また犯されてぇのか!?」
「サキュバスだから、キライじゃないけど。でも貴方下手くそだし、色んな意味でつまらないのよね」
「クソアマがぁ!」
ラーシャと呼ばれた魔人の女性にバールドが飛び掛かった瞬間、彼女は間違いなく口元を吊り上げた。
待っていましたばかりに両手を広げ、彼を抱きかかえるようにして……そのまま反対側に放り投げた。
「ほんっと、クソ雑魚ね。貴方」
触れあったのは一瞬だったはず。
だというのに彼女の手には、バールドが付けていた黒い指輪が指ごともぎ取られていた。
「はぁい、残念でした。もう用済みでぇす」
クスクスと笑う彼女は、周囲の建物を突き抜けていったバールドに妖艶な笑みを向けている。
なんだ、なんなんだ“アレ”は。
とてもじゃないが、勝てる気がしない。
彼女の横顔を見ているだけで、膝が震える。
「それじゃ、次は坊や達の番ね?」
そう言いながら、彼女はこちらに向かって人差指を向けた。
たったそれだけ、本当にコチラを指さしただけ。
だというのに、全身からブワッと汗が噴き出すのを感じる。
「防御!」
ミーヤさんの叫び声と共に、俺達はすぐさま防御陣形を作った。
普通なら、コレで防げるはず。
相手が攻撃した瞬間、俺達が飛び出せば良い。
もしくはどうにか隙を作って、その間に逃げれば良いだけ。
ダグラスさんの後ろに隠れながら、相手の様子を伺っていれば。
「いいわねぇ、威勢があって。でも、無~駄」
「え?」
一発、小さな魔法が飛んで来た。
ソレはダグラスさんが余裕で防げる程の威力で、なんて事は無い低級魔法。
あれ? なんて、皆して声を上げた次の瞬間。
「ッ! あぁ……あぁぁぁぁっ!」
ミーヤさんが首元を抑えて蹲った。
何が起きたのか分からなかった。
相手の攻撃は防いだ筈なのに、ミーヤさんの体はガクガクと痙攣している。
両目からは涙を流し、口を大きく開けながら必死で呼吸をしようとしている。
「ミーヤさん!? どうしました!?」
彼女の肩を支えながら声を掛けてみるが、返事は返ってこない。
ただただ震えながら、首元を必死に抑えている。
「兄さん! 動かないで!」
「フレン? 何を――」
急に声を掛けられ、動くなと言われたのに思わずそちらに振り返ってしまったが。
フレンのナイフが、俺の首元を通り過ぎた。
え? は? 今俺、妹に首を斬られ……
「次が来てる! 皆も周りに気を付けて! 兄さんは早くミーヤさんを!」
混乱しながら首元に手を当てるが、傷跡は無い。
その代わり、真っ二つになったムカデが足元に転がっているが。
「な、なんだコレ。頭が二つある……」
「さっきもう一匹逃げて行った! 多分ミーヤさん、ソイツに噛まれた!」
この二頭を持つムカデ……物凄く気持ち悪いが、フレンによって真っ二つにされたソイツを見てみれば、紫色の体液をまき散らしながら未だに暴れている。
どう見てもヤバイ毒虫。
ならば早くミーヤさんに解毒を、と言いたい所なのだが。
「良く気が付いたわねぇ、君。可愛い顔もしてるし、君だけは私のペットにしようかしら」
「お断り、虫は嫌い。あと、お前も嫌い」
「あら、それは残念」
クスクスと笑みを浮かべる彼女が片手を上げれば、周囲からカサカサと言う音が響き渡って来る。
まるで反響するノイズの様に、俺達を囲む様にその音が近付いて来た。
まさか、これ全部さっきの……。
思わずゴクッと唾を飲み込んだ次の瞬間。
「息を止めて口を塞いでおれ! ガキ共!」
その声と共に、周りから大量の白い煙が上がった。
それは目の前の魔人にも予想外な光景だったらしく、目を見開いて周囲を見渡している。
「ホレ、貴様にはこっちじゃ!」
「急に何なの? この程度の攻撃で……って、なによこれ!?」
投げつけられた小瓶を、相手が手で弾いた。
だが、それがいけなかったらしい。
衝撃を受けた途端に瓶が砕け、何やら粘着質な液体を頭から被っていた。
「強力な瞬間接着剤じゃ、しばらく遊んでおれ。お前等はこっちじゃ! はよせい!」
煙の中から飛び出したミサさんが、ミーヤさんを抱えて一直線に走り出す。
来てくれたのか、エルメリアの付き添いで合流はもっと先になるかと思っていたのに。
「いくぞ! 今は撤退だ!」
「「「了解!」」」
そんな訳で俺達は、皆揃って真っ白い煙の中を突き進むのであった。
――――
あの戦場から少し離れた建物に、俺達は逃げ込んだ。
ミーヤさんの服を慌ただしくナイフで切り裂くミサさんが、彼女の衣服を剥ぎ取っていく。
そこから現れるのは、毒々しい色にそまった素肌。
「チッ! こんな解毒薬じゃ効くかどうかも分からんな……フレン、リオ! ドレイク達を探せ! まだ旧市街に居る筈じゃ! 立て込んでいる様ならエリクサーを貰ってくるか、聖女だけでも借りて来い!」
慌ただしく状況が動いてく。
一時の危機は去った、そのはずだったのに。
「クソ! こりゃ多分呪いの類じゃ、耐えろミーヤ。すぐ解呪してやるからな……」
ミサさんが苦々しく奥歯を噛みしめながら、幾つものスクロールを惜しげもなく使っていく。
それでも、苦しそうにするミーヤさんの表情は和らぐことは無い。
なんだ、何だこれ。
唖然としている内に、建物の外が騒がしくなって来た。
「チッ! こんな時に……表は俺が担当するっす! 皆はココに、とくにリッ君は……一緒に居て上げて下さい」
ダグラスさんも、そんな事を叫びながら野外へと飛び出して行った。
おかしいな。
危機は去ったはずだ。
バールドだって退けたし、あの魔人だって。
それにミサさんだって来てくれたのだ。
だったら後は、ミーヤさんを治療して逃げるだけ。
その筈なのに。
「リック、さん……居ますか?」
弱々しい声を上げるミーヤさんが、震える手を上空に伸ばす。
違う、違います。
俺はそっちじゃない、こんなに近くに居ます。
そう思いながら、彼女の掌を掴んだ。
「良かった、居てくれたんですね」
小さく呟きながら、彼女は微笑んだ。
なんで、こうなった?
たかが毒虫に噛まれただけだ。
だというのに、何故彼女はこんなにも真っ白になってしまっている?
青白いという表現すら生易しい程に。
俺は何も言葉を返す事が出来ず、ただただ震えながら彼女の手を握っていた。
俺達はただの冒険者だ、ふとした瞬間に死ぬことはあるかもしれない。
でもこんなのってない、だっておかしいじゃないか。
相手はヤバイ奴だったとしても、攻撃してきたのはたかが虫なのだ。
そんな小さな攻撃で、些細な出来事で。
“こんな風になる筈がない”。
そう、高をくくっていたのかもしれない。
だからこそ、目の前の現実を受け入れられなかった。
「お願いがあります、リックさん。どうか、私を――」
その言葉は、彼女のその時の微笑みは。
一生忘れることが出来ないだろう。
辛くて、悲しくて。
そして優しい微笑みだったのだから。
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