第20話 暴風


 一瞬の出来事だった。

 彼の声が聞えて来たかと思えば、風が吹き荒れた。

 私はその人を知っている。

 知ってはいるのだが、間近で戦う姿を見たことはなかった。

 前回は草木に隠れていたし、太ももに矢が突き刺さっていた状態だったのだ。

 眼前で彼の戦う姿を見る事は叶わなかった。

 思わず目を見開き、その姿を眼に焼き付ける。

 分厚い大剣を軽々と振り回し、集まったゴブリンどころか建物まで一緒に叩き斬っている。

 まるで遺跡の石板かと言いたくなるような見た目の、鉄の塊。

 ソレを振り回す度に、暴風が吹き荒れる。

 剣がココまでの風圧を放つ事などあるのだろうか?

 ポカンと口を開いていれば、その場で暴れ回った彼の後ろに、ボトボトとゴブリンの死骸が降って来る。

 まるで血の雨。

 臓器や何やらも降って来て、べちゃべちゃと随分汚い音を立てているが。

 そんな中に、彼は立っていた。

 肩に、その大剣を担いで。


 「やぁ、ミーヤ。奇遇だな、ここら辺の担当だったのかい? アイツ等はどこだ?」


 「ドレイク、さん……」


 全身鎧に身を包んだ彼は、和やかな雰囲気で話し掛けて来た。

 普通なら恐怖してもおかしくない光景。

 血の雨を降らせ、鎧を赤く染める彼は。

 どう見ても私と同じランクの冒険者には見えなかった。

 圧倒的強者の雰囲気を放つ彼に対し、ライアさんは剣を構えるが。

 彼に掌を向けて制した。


 「ちょっと先に済ませて欲しい仕事があるとかで、使いっぱしりにされてたんだ。遅刻したけど参加したよ。それで、大丈夫か? 怪我してるじゃないか」


 「ドレイクさん、お願いがあります」


 肩に担いだナオさんを地面に横たえ、スッと頭を地面まで下げた。


 「以前頂いたエリクサー、まだ在庫はありますか? 何でもします、私に出来る事なら、何でも。だから譲っては頂けませんでしょうか? もちろん代金は払います、何年何十年掛かっても、絶対に。この方が重症なんです、いち早く治療しないと手遅れになります」


 そう言い放てば、彼は早足に近づいて来てナオさんの状態を確かめ始めた。


 「エ、エリクサー!? そんな物をこの依頼に参加する冒険者持っている筈が……」


 「ライアさん、黙って下さい」


 ピシャリと彼の言葉を遮ってみれば、彼もまた膝をつく。


 「あ、あの。エリクサーとまでは言いません。何か回復薬などは持っていませんか? ナオはいつまで経っても目を覚ましませんし、ミーヤさんもこの通り負傷を負っています。魔力も底を尽きそうなんです、それに二人を預けたら俺は戻らなきゃいけない。せめて、彼女達とキャンプまで同行して頂けませんか?」


 お願いしますと言葉を続け、彼もまた頭を下げる。

 が、しかし。


 「すまない、無理だ」


 彼の言葉は、私達の願いを否定した。

 やはりあんな高級な薬、早々手に入る筈がない。

 あの時私の足になんか使わなければ、今この時の為に取って置く事も出来たかもしれないのに。

 グッと奥歯を噛みしめながら耐えていれば。


 「エリクサーはある。あるが、この薬は死者蘇生が出来る訳じゃないんだ。もう、彼女は手遅れだ」


 その言葉に、「え?」と小さな言葉を洩らしてしまった。

 慌てて頭を上げ、ナオさんを覗き込んでみれば。


 「気が動転していたか? この傷ではもう、助からない」


 ドレイクさんの声が、頭の中を反響した。

 フラフラとする視線をどうにか定めながら、隣に横たわっているナオさんの姿を見てみれば。

 何故助かるかもと希望を抱いたのか、そんな疑問が湧いて来る程酷い状態だった。

 私と違って、レンガの直撃を受けたのだろう。

 顔に掛かった前髪を退かしてみれば、頭は陥没し、口から赤い泡を吹き、瞳からは血の涙を流していた。

 半開きになっているその眼に、もはや光りはない。


 「ナオ……嘘だろ? ナオ、起きろ。ナオ!」


 彼女の亡骸を揺さぶるライアさんの肩に、ドレイクさんがスッと手を乗せた。

 そして、小さく首を横に振る。


 「私は今までずっと、彼女の遺体を守る為に……ライアさん一人に戦わせ、皆を置いて来たの?」


 言葉にすれば、非常に恐ろしい事態だった。

 確かにあのままナオさんを放置すれば、屍人となっていたかもしれない。

 だとしても、だ。

 ソレを防ぐ為の行為としては、代償が大きすぎた。

 三人を置き去りにして、ライアさんにだけ戦わせて。

 それで、たどり着いた結果がコレなのか?

 頭がクラクラする。

 私の判断ミスだ。

 もっとあの時ナオさんの事を観察していれば、こんな事態にはならなかった。

 申し訳ないとは思うが、この子を見捨てて自らの治療に専念すれば、まだあの場で戦えていたかもしれない。

 だというのに、私は。


 「あっ、あぁ……あぁぁぁぁ!」


 死ななくて良い人を、死の境地に送り込んでしまった。

 しかも私のパーティメンバー。

 もっと言えば、目の前のドレイクさんから預かった大切な後輩達。

 なのに、私は。


 「ごめっ、ごめんなさいドレイクさん! 本当に申し訳ありません! ごめんなさい! 私のせいで二人が、それにもう一人居るんです! 私達を逃がす為にその場に残って、それで!」


 もはや縋るしかなかった。

 全てが狂ってしまった、全部間違えてしまった私は誰かに頼る他なかった。

 私じゃどうにも出来ないから、私じゃ助けてあげられないから。

 だからこそ、強者に縋りついた。

 ポツリポツリと降って来た雨が周囲を濡らし、やがてザーっと強い音を立てていく。

 強い雨に当てられ、彼の鎧の血が洗い流されていく中。

 私は今日起きた全てを語った。

 断罪されても良い、この場で首を刎ねられても構わない。

 だから、残った皆を助けてくれ。

 そう、叫びながら縋りついた。


 「ライア君と言ったかな、ナオちゃんをベースキャンプまで連れて帰ってあげる事は可能かい?」


 「……はい」


 ナオさんの死に唖然としていた彼が、ビクッと体を揺らしながら声を上げた。


 「二人共、コレを飲んで。楽になる筈だ」


 差し出されたのは、以前も見た事のある薬。

 その存在に気付いたのかどうなのか、ライアさんは戸惑いながらも喉の奥へと液体を流し込んでいく。

 そして、私はと言えば。


 「コレは、どうか他の方に……きっと皆、怪我している筈ですから……」


 「いいから飲みなさい。ミーヤには、もう少し働いて貰わないといけないから」


 普段は聞かない様な強い口調で命令され、恐る恐るポーションを口に運んだ。

 コレと言って味はないが、傷めていた部分が瞬く間に回復していくのが分かる。

 流石は幻のポーション。

 治療どころか、使い果たしたと思っていた体力や魔力までもが体の中に漲って来た。


 「大丈夫そうだね。ライア君、この先を真っすぐ走ればベースキャンプにたどり着く。敵は掃討してきたから、出会う事はないはずだ。そこに着いたら、ゆっくりと休みなさい。くれぐれも、ナオちゃんを一人にしない事だ」


 「で、でもっ!」


 「足手まといになる。後は、分かるね?」


 ドレイクさんの言葉に、グッと唇を噛みしめるライアさん。

 だが彼との実力差を肌で感じた為か、大人しく言葉に従い、外したマントでナオさんを包み始めた。


 「ミーヤ、それじゃ行こうか。案内してくれ」


 「……ハイッ! 全力で走ります!」


 「いや、それには及ばない」


 「え?」


 戸惑いの声を上げた瞬間に、私は肩に担がれてしまった。

 ヒョイッと、まるで荷物の様に。


 「あ、あの……」


 「“上から”行くから、方向を指示してくれるか?」


 「それはどういう――」


 言葉は最後まで紡がれる事は無かった。

 急に感じる空気の圧力と、浮遊感。

 言葉通り肝が冷えるという感覚を身をもって味わった。


 「どの辺りだ?」


 えらく普通な声を洩らしているが……私たちは今、飛んでいた。

 今まで見上げていた筈の建物達が、足元よりずっと下にある。

 ヒッ、と声を上げそうになるのを必死に我慢しながら視線を動かしてみれば。


 「あそこです! 十一時の方向、あの石壁が崩れている辺りで分断されました!」


 「了解、しっかり捕まってろよ?」


 「へ? うきゃぁぁぁ!」


 リックさんとフレンさんの命が掛かっているのだから、急ぐのは分かる。

 分かるけども。

 やっぱり、この人普通じゃない。

 フルプレートを着た剣士は普通ココまで高く跳躍出来ないし、空中で何かを蹴って移動したりしない。

 むしろ剣士じゃなくたって無理だ。

 浮遊系の魔法を使う魔術師は見たことがあるが、こんなに速く移動しない。

 だというのに彼は、普通よりもずっと重い装備を全身に纏いながら高速移動を繰り返す。

 空中に浮かび上がった魔法陣を蹴り、その度に加速し、肌に当たる雨が痛いと感じる程の速度で旧市街を走り抜けた。


 「ド、ドレイクさんって一体何者ですか!? なんですかこの魔法!?」


 いつも思っていた疑問を、この時ばかりはぶつけずにはいられなかった。

 だというのに、彼は。


 「こういう事が出来ないと生き残れないパーティに数年参加しただけの、ただの元傭兵だよ。この魔法は便利だからファリアから習った、俺が使える数少ない魔法の一つだな」


 「絶対おかしいですってぇぇ!」


 私の叫び声は、旧市街の空に響き渡ったのであった。


 ――――


 「二人共、大丈夫か?」


 声を掛けてみれば、荒い息を上げる二人が苦笑いを浮かべた。


 「ったく……途中から雨が降って来たのは痛かったな。ろくに音が拾えねぇや」


 いつもの軽い雰囲気を醸し出しながらも、リオは肩に刺さった矢を引き抜いた。

 すぐさま水で洗ってからポーションを振りかけ、包帯をきつく巻いてやる。

 くそっ、ゴブリンの使う矢だから汚れがひどい。

 傷口の周りに錆が付いているのが見えた。

 後でしっかりと洗浄するか、位が少しでも高い神官に治療をお願いしないと痕が残るかもしれない。

 それどころか、膿んだり病気になったら大変だ。


 「こっちも、酷い。ナイフいっぱい使っちゃった」


 そう言いながら服を捲り上げるフレン。

 そのお腹には少し深い裂傷。

 痛みに耐えるように奥歯を強く噛んでいるが、血で張り付いた衣類を剥がす時なんかは涙が滲んでいた。


 「フレンも、ごめんな。情けない兄ちゃんで」


 「ううん、平気。痛くない」


 嘘つけ、こいつめ。

 そんな事を思いながら傷口を洗い、リオと同じ様に治療してやる。

 最後にちょっと苦しそうなくらいに、ギュッと包帯で縛る。

 未だジワリと血が滲んでくる程に出血しているのだ、痛いかもしれないが強めに結んでおかないと。


 「大丈夫か?」


 「ヘーキ、ギュッてしてお腹が細くなった。ファリアさんみたい?」


 「ハハッ、確かに。あの人の腰はやけに細いからな」


 冗談を言い合えるくらいには、まだ大丈夫みたいだ。

 とはいえ、言葉通りの安心できる状態では無いのだが。

 建物内に明かりは無く、外では未だにゴブリン達が俺達を捜している状況。

 更に、ホブもだ。

 妙に太ったアイツは、執着心がハンパじゃないらしい。

 いくら逃げても、あの重い足音が付いてくるのだ。

 だからこそ、随分遠くまで逃げて来てしまった訳だが。


 「担当エリアを結構外れちまったな……」


 「だね。こっちの担当冒険者と合流できればとも思ったけど……この調子じゃ撤退してるかな」


 言葉にはしないが、もしくは死亡したか。

 今集められている冒険者はランク3まで。

 パーティ全員が最上位の集まりなら、まだ対処出来るかもしれない。

 でもソレ以外だった場合は、ちょっと厳しいだろう。

 ちょっとどころじゃない、多分無理だ。

 ランクが全てと言うつもりはないが、実力があればソレに見合ったランクが与えられるのが冒険者。

 ライアさんやミーヤさんでも撤退を余儀なくされた相手が居るのだ。

 それにこの数は異常だ。

 ランク3の集まりでも、相当腕が立つ人たちじゃないと掃討は難しいと思える。

 ギルドが報告を受けていた数は本当に一人握りの魔物だっただろう。

 それとも姿を隠す様に命令を出していた親玉がいるのか。

 どちらにせよ、あのホブはイレギュラーの塊だ。

 あんなのが確認されていたのであれば、もっとランクの高い冒険者を寄越したはず。

 ミーヤさん達がベースキャンプに戻り、状況を報告すればあるいは。と言った所だろうか?

 思わず、ため息が漏れてしまう。


 「皆、大丈夫かな」


 ポツリとフレンが呟けば、リオと揃って視線をそらしてしまった。

 大丈夫だと、そう信じたい。

 でも負傷を負っているメンバーが二人、盾役が一人。

 その状況で来た道を戻るのは、結構時間がかかる。

 更にはリオの耳が捕らえた周囲から集まって来たゴブリン達。

 ソレも考えれば、かなり険しい道のりだと言う他ないだろう。


 「とにかく、今は自分達の事に集中しよう。かなり深くまで踏み込んじゃったけど、俺達が生きて帰らなきゃ、情報の共有も出来ない」


 場の空気を変えるように、出来るだけ明るい声を出した。

 だいぶ無理矢理感はあったけど、二人共静かに頷いてくれた。


 「まず夜の内に動くのは危険だ、アイツ等は俺達よりも夜目が効く。だから移動開始は明日の朝。出来れば一直線に帰りたいけど、そんな事をすればあのホブが居る可能性がある。だから迂回して、隠れながら進む。幸い隠密行動に長けた二人と、俺ならそこまで音が立たない。だから時間を掛けてでも他の人が担当したエリアを通る、ここまでは良いね?」


 なんだか俺が仕切っているみたいで、ちょっと気が引けるのだが。

 二人共真剣な表情で聞いてくれている。

 なら、話を進めよう。


 「次にコブリン達と接敵した場合だけど、可能な限り戦闘は避ける。こっちは怪我を負った斥候二人、ランク1の剣士が一人だ。複数体のゴブでも撤退戦を余儀なくされると思う。もしもホブに遭遇した場合は逃げの一手、アレは俺たちの手に余る」


 つらつらと言葉を重ねるうちに、時間は過ぎていく。

 随分周りも大人しくなったし、そろそろ交代で見張りを立てながら眠った方が良いかも。

 なんて、思っていた時だった。

 ズドンッ! と音を立てながら、潜んでいた家屋の壁がぶち抜かれた。


 「なっ!? 嘘だろ!? 大した音聞えなかったぞ!」


 バッと飛び上がるリオは両耳をピンと立てながら、音のした方向を睨んだ。

 そこに居たのは。


 「ゴブリンシャーマン……」


 何者からか奪ったのだろう、やけに装飾の入った杖を握るゴブリンが立って居た。

 その後ろには、先程まで嫌という程見ていたホブゴブリンが。

 ゴブリンシャーマン、もしくはマジックゴブリンなんて言ったりするソレ。

 見た目だけなら他と変わらない。

 だがしかし、コイツは魔法を使うという。

 ホブと同じく、ゴブリンの進化個体。

 恐らくこの建物を囲む様に、“沈黙サイレンス”の魔法を張ったのだろう。

 その証拠とばかりに、数多くのゴブリン達も建物内になだれ込んで来て、その瞬間からガヤガヤと騒がしくなる。

 不味い、完全にしてやられた。

 まさか特殊個体が二体も居るとは思わなかった。

 あのホブだけでも異常だというのに、魔術師までいるのか?

 あり得ないだろ、こんな状況。


 「だぁくそ! やるっきゃねぇ!」


 「周りから来るのは任せて! 正面は……兄さん、ゴメン!」


 二人が飛び出した瞬間、戦闘が始まった。

 そこら中で響く戦闘音。

 生き残る為だ、戦うしかない。

 ソレは分かっていても、やはり。


 「これは……ちょっときついんじゃないかな」


 俺が剣を構える前には、二体の特殊個体。

 やけにデカくて太ったホブと、シャーマン。

 運命を決める神様が居るとすれば、俺達は相当嫌われているのだろう。

 そんな事を思いながら、俺もまた全力で地を蹴るのであった。

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