第12話 初陣


 「では、もう一度依頼内容を確認しましょう。良いですね?」


 茂みに身を隠している俺達の先頭、ミーヤさんが静かに声を上げた。

 それに頷くのは俺とフレン。

 二人共、首には冒険者最低ランクのプレートがぶら下がっている。

 登録前から一悶着あった訳だが、一応その後は何事もなく済んだ。

 そして最初の依頼として選んだのが、コブリン退治。

 本来ならもっと軽いモノもあるのだが、実戦を経験するという意味ではコレが良いとミーヤさんにおススメされた。


 「私たちが受けた依頼は、あくまでも数匹のゴブリンを退治する事。巣を根絶やしにする、近くの村などを完全防衛するというものではありません。ここまでは良いですね?」


 俺も妹も無言のまま頷いて見せれば、ヨシッと頷き返してくれるミーヤさん。

 父さんから貰ったジャケットのせいで、今日は少しだけもっさりとした見た目になっているが。

 妹同様前は開けてあるので、ジャケットの中にはいつもの彼女の姿が見える。

 パッと見はサイズの合っていない大きな服を着ているようで、当然輪郭も大きくなる。

 だというのにその中には、ほっそりとした彼女が居るのだ。

 なんだろう、普通に服を着ているのに目のやり場に困るというか。

 やけに意識してしまって、思わず視線をそらしてしまった。


 「リックさん、ちゃんと聞いて下さい。大事な事です」


 そんな事を言いながら、彼女は俺の頬を両側から掴んでまた正面を向かせてきた。

 クッ、なんか色々な意味で辛い。


 「これから私たちは森に入ります、目標は三匹以上の討伐。しかし、複数体が一緒に居た場合は手を出さずに他を捜します。狙うは単体、一匹だけで行動しているゴブリンを捜す事が最初の仕事です」


 「三匹以上の集団を狙っちゃえば、一度で片付くんじゃないの?」


 不思議そうに呟くフレンに、ミーヤさんはクスッと微笑んでから妹の頭に手を置いた。


 「多分やってみれば分かりますよ、下手すれば今日は野営する事になるかもしれませんから」


 それだけ言ってから、妹の頭から手を離した。

 なんだか含んだ様な言い方。

 彼女にしては珍しいというか、体験しなければ分からないとでも言いたげなソレ。

 とはいえ、このパーティのリーダーは彼女だ。

 指示に従うのは当然であり、未経験者が想像だけで噛みついて良い内容では無いのだろう。


 「では、行きましょうか。あくまでも今回の私はサポート、分からない事があったらいつでも聞いて下さい。ソレ以外は、二人の判断にお任せしようと思います。先行、偵察がフレンさん。直接戦闘をリックさんに任せ、必要があれば私が補助。良いですね?」


 「「はいっ!」」


 そんな訳で、冒険者初日のお仕事が始まるのであった。


 ――――


 「兄さん、見つけた。数1、間違いなく単独」


 先行して、更には木の上に登っているフレンから小さな声が聞こえて来る。

 やっと見つけた……思わずそう言いたくなってしまう程、長かった。

 複数体の集団なら度々見かけたのだが、ミーヤさんが首を縦に振る事が無かったのだ。

 そんな訳で、ひたすら山歩きをした結果。

 何時間もかかってから、ようやく一匹目の獲物を発見した。


 「どうする? すぐ仕掛ける?」


 「そうだな、逃げない内に片づけちゃった方が……」


 「待ってください二人共、一度深呼吸して。それから飲み物を飲んでください。ホラッ、早く」


 急にどうしたんだろう? 何てことを思ったりもするが、言われた通り息を深く吸い込めば視界が少しだけ広がった気がする。

 あれ?

 ほんのちょっと違和感ではあったが、間違いなく変化があった。

 続けざまに水筒に口を付けてみれば、自分で思っていた以上にグビリグビリと飲んでしまう。

 おかしいな、さっきまでこんなに喉が渇いていると感じなかったのに。

 それは妹も同じようだったらしく、木の上でガブガブと水を飲んでいる。


 「良く聞いて下さい、コレは実戦です。魔物とは言え、相手を殺す必要があるんです。もしくは殺される事だってあるかもしれません。だから、一度落ち着きましょう。息を整えて、いつもの実力が出せるように。模擬戦と同じ様に動ければ、怖い相手ではありません。ですが、訓練の時以上に警戒しながら行動してください。種族が違えど、これは“殺し合い”ですから」


 そう言い放つ彼女の言葉が、やけに伸し掛かって来た。

 気楽に考えていた訳じゃない、遠足の様に感じていた訳じゃない。

 だというのに、今改めて感じる事が出来た。

 俺は、俺達は今からあの生物を殺す。

 生きる為に、金の為に。

 死にたくないと望むのは当然相手だって同じことで、こちらに気付けば全力で対抗してくるだろう。

 ソレを考えた瞬間、ゾクリと背筋に冷たいモノが走った。

 コレが実戦であり、命を奪う行為。

 今までの模擬戦とは違い、勝つ負けるの話ではないのだ。

 確実に相手の息の根を止める必要がある。

 相手はゴブリンだ、残しておけば人を襲う。

 だから殺さなければいけない。

 では俺達は?

 ゴブリンからしたら、俺達もまた同じ存在。

 絶対に殺さなければいけない相手で、生かしておけばまた自分を狩りにくるかもしれない冒険者。

 ごく自然な事だというのに、今この場に立って初めて気づかされた。

 殺さなければ殺される。

 ココは、そういう世界なのだ。


 「怖いですか?」


 呟くミーヤさんに対して、必死になって首を横に振った。

 大丈夫だ、出来る。

 出来る筈だ。

 短いながらも、俺は幾人もの人から戦闘を教わって来たんだ。

 だから、大丈夫。

 そんな事を思いながら、息を整えていれば。


 「それが普通なんですよ。何かを初めて殺す時、恐怖を抱かない人間はいません。慣れてしまえば楽なのでしょうが、なかなかそうならないのが人間です。良いんですよ、リックさん。存分に怯えて下さい、怖いと思う心を隠さないで下さい。それさえ持っていれば、貴方は臆病になれる、言い方を変えれば慎重になれる。ソレを捨て去ってでも生き残れるのは、ほんの一握りの強者だけですから」


 そう言って、彼女は俺の事を抱きしめて来た。

 普段なら慌てふためいた出来事だろう。

 近くにゴブリンが居る事も忘れ、焦って叫び声を上げていたかもしれない。

 だが、今だけは。

 スッと心が落ち着いていくのを感じた。


 「落ち着いて下さい」


 「はい」


 「大丈夫です、貴方達なら出来ます。それくらいの実力はとうに持っているんです」


 「はい」


 彼女の言葉に淡々と答えながら、気持ちを落ち着けていく。

 大丈夫だ、出来る。

 俺達なら、何とかなる。


 「もう、行けますか?」


 「はいっ!」


 「では、いってらっしゃい!」


 彼女の腕から解放された瞬間、この身をコレでもかって程低くしながら駆け出した。

 目指す先にはゴブリン。

 魔獣と別に、“魔物”の中では最下位と言って良い程にランクが低い相手。

 子供の様な体格で、思考力は本当に小さな子供程度と言われている。

 とはいえ、目の前に居る奴はフレンと同じくらいには大きいが。


 「フレン! 援護!」


 「了解!」


 俺の叫び声に反応したゴブリンが、腰に下げていた手斧を構えた。

 こういうのも、相手に気付かれず接近出来れば結果は大きく変わるのだろう。

 忍び寄ったり、矢が当たってから飛び出せばよかったかもしれない。

 そんな反省を胸に抱きながらも、腰から双剣を抜き放った。

 狙うは首。

 大丈夫だ、フレンならしっかりと援護してくれる。

 このまま飛び込めば、何の問題も無く――。


 「兄さん! 避けて!」


 「え?」


 フレンが放ったボウガンの矢が、相手の足元に突き刺さったのが見えた。

 外した? フレンが、この距離で?

 冷静じゃなかったのは、どうやら俺だけではないらしい。

 何てことを思っている間に、相手の斧が眼前に迫って来る。


 「チッ! くそっが!」


 グンッと無理な態勢で相手の斧を避けてみれば、兜を擦る様にして通過したゴブリンの武器が頭に衝撃を与えた。

 ガリガリと派手な音を立てながら、今しがた“死”が目の前を通り過ぎた。

 振り抜かれた斧を視線に収めながら、一度距離を置くために跳躍する。

 緊張でプルプルと震える拳に力を入れ、双剣を強く握りしめた。

 怖い、模擬戦と実戦というのはここまで違うのかと思ってしまう程。

 でも、逃がしてはくれないのだろう。

 相手はケラケラと醜い笑みを浮かべながら、手斧を弄ぶ様にして両手で持ち変えている。

 舐められている。

 それだけは分かった。


 「あぁ、そうか。お前は楽しんでいるんだな」


 ニタニタと笑みを浮かべ続けるゴブリンに対して、こちらも双剣を静かに構え直した。

 コイツは多分、俺なんかよりずっと実戦を経験している。

 今までに何人か人間殺しているのかもしれない。

 そんな風に感じられる程、相手からは“余裕”が感じられた。

 全く、こちらとは大違いだ。


 「落ち着け、フレンも。今度は外すなよ、お前なら絶対当たる」


 自分と妹に言い聞かせてから、思いっきり踏み込んだ。

 速く、もっと速く。

 相手が反撃を繰り出す前にこちらの剣を首に叩き込め。

 なんて事を思いながら剣を振り上げても、やはり相手だって反応してくる。

 このままだとこちらの剣を叩きこんでも、相手の攻撃を貰ってしまう。

 お互いに致命傷を受けて、痛み分けという最悪の結果になるだろう。

 あぁ、情けない。

 最弱に近い魔物に対しても、俺はこんなに全力になっている。

 近くで見ているであろうミーヤさんに、何を思われているのか。

 考えるだけでも怖いったらありゃしない。

 だったとしても、やる事は変らないが。


 「でやぁぁぁ!」


 片手の剣で相手の斧を叩き落し、もう片方の剣で相手の首を狙う。

 ゴブリンもソレが分かっていたのか、身を引いてこちらの攻撃を回避しようとするが。


 「当たった!」


 妹の声と共に、相手の肩に矢が突き刺さった。

 その痛みと衝撃で、相手は一瞬だけ身を硬直させた。

 これで十分だ、この隙だけあれば攻撃が届く。

 振り上げた片方の剣を思い切り横薙ぎに振るい、ゴブリンの首を両断した。

 その際に感じる肉を切断する感触と、ゴリッと掌に残る様な骨の感触。

 それらを全て、まとめて薙ぎ払ったのであった。

 ……気持ち悪い。


 ――――


 「やはり今日は野営になりましたね」


 「「ごめんなさい」」


 「いえ、予想していた事ですから」


 一匹目のゴブリンは、一応狩れた。

 しかし、二匹目を見つけた時。

 明らかに俺もフレンも腰が引けていたのだ。

 手に残ったあの感触が忘れられず、相手の前に立つと足が震えた。

 妹も酷い状態だったらしく、ボウガンはろくすっぽ当たらず、結局ナイフを手に前線に参加する始末。

 だが、最終的にミーヤさんの魔法に頼る事になった。

 飛び込んでも決めきれず、やけに防御ばかり意識してしまう。

 もうどうしたら良いか分からない状態になっていた頃、ミーヤさんが一人で殲滅したのだ。

 それで二匹。

 最低でも三匹狩らないと依頼達成にはならない、だからこそ後一匹。

 だというのに、俺達の間には重く暗い空気が蔓延っていた。


 「最初のクエストにしては、刺激が強かったかもしれませんが。コレも経験です」


 そんな事を言いながら、夕食のスープとパンを差し出して来るが。

 どうしても食欲が湧かなかった。

 人に近い形をした生物の命を奪った。

 覚悟はしているつもりだった、でも甘かったのだ。

 肉を裂く感触、骨を断つ感触。

 そして、命を奪うあの感触がいつまで経っても離れてくれない。

 震える手を空中で彷徨わせていれば、ミーヤさんからは厳しい視線を向けられてしまった。


 「食べなさい。私たちが生きる為には、食べなければいけません。いつまでも父親に甘えていないで、しっかりと食べなさい。そして自分の手で稼ぎなさい」


 その一言に押され、器を受け取ってみれば随分と柔らかい香りが漂ってくる。

 普段なら食欲をそそる香りの筈なのに、何故か今日だけは。


 「うっ!」


 思わず手で口を塞ぐほどに、吐き気が込み上がって来た。


 「吐かないで、内臓が痙攣して余計に食べ物を受け付けなくなります」


 そう言いながら、彼女は俺の頭を腕に抱いた。

 酷いモノだ。

 アレだけ冒険者になると意気込んでいたのに、いざなってみればこの様。

 生物の命を奪うという意味を、ちゃんと理解していなかったのだ。

 訓練の様に剣を叩き込めば、模擬戦の様に勝ち負けを決める勝負が上手くできれば、どうにかなるなんて勘違いしていた。

 実戦というのは、そんな生易しいモノじゃなかった。

 奪うか、奪われるか。

 ただそれだけだった。

 そして、賭けるのは自らの命。

 それが余りにも極端で、怖くて。

 どこまでも自分勝手な理由で相手を狩る事が、非常に恐ろしい事だと知った。


 「俺、俺はっ……」


 「大丈夫です、大丈夫ですから」


 片手で俺を抱きしめ、もう片手ではグズグズと泣きはじめる妹を膝の上に乗せているミーヤさん。

 あぁ、本当に酷い有様だ。

 父さんは、毎日こんな事を続けながら俺達を守ってくれたというのに。

 俺を抱きしめてくれる彼女は、たった一年生まれるのが早かっただけの少女だというのに。

 俺達兄妹は、情けなくも泣きながら彼女に縋った。

 怖い、生き物を殺すという行為が。

 今まで食べていた肉なんかも、何かの生物を殺す人が居て初めて俺達の食卓に並ぶのだと、本当の意味で理解した。

 俺は、その現場に立って居る。

 殺す為に、この場に立って居るのだ。


 「殺すというのは、悪い事ばかりではありません。生きる為、食べる為。そういう理由で生物は他の生物を殺す。その本質を肌で、感覚で感じられた貴方達はとても優秀です。気づけず殺すだけの人形になる人も多い。でも貴方達は気づけた、それは立派な事です。命の重さを知りながら、殺す事が出来る、戦う事が出来る。それはちゃんと理解して仕事をしている証拠です。貴方達が戦う事で救われる人々が居る、殺した分だけ救った命があるのだと理解して下さい」


 そう言って、彼女は俺達をギュッと強く抱きしめた。

 この時感じた優しさと、温もりを。

 多分生涯忘れることは無いのだろう。

 そんな風に思えてしまうくらい、脳裏に強烈に焼き付いた気がした。

 生きる事とは殺す事、それが冒険者。

 彼女は俺達に命のやり取りの意味を教えてくれた。

 そして、最初の反動に戸惑っていた俺達を優しく包み込んでくれた。


 「本当に辛ければ、逃げても良いですよ? 続けられないって思うのなら、冒険者は向きません。どうしますか? 帰りますか? あの温かい家に。それとも、戦いますか? あの家を守る為に」


 ポツリと呟いた彼女に対して、俺達は顔を上げた。

 覚悟は出来た。

 まだ慣れないけど、やってやろうという気持ちは湧いた。

 だからこそ。


 「やります、やらせてください!」


 「全然活躍出来てない。このままじゃ、帰れない!」


 二人揃って、そんな声を上げるのであった。

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