東京都江東区―若洲海浜公園

「で、なんですか話って。変わりませんよ授業は」

「いやそういうのじゃなくて。ってか、私が授業の代返頼んだことないでしょ」


13時。大学内のカフェは混んでいたが、志木宮癒美しきみやゆみ先輩が席をとってくれていた。彼女の漆黒の髪の毛がふわりと揺れる。薄目で私を見る。


「あなた本当に人間不信っていうか、被害妄想がクソデカね。1を見て10を知ろうとするとロクなことないわよ。これは年上としてのアドバイスだけど」

「同い年ですけど」


癒美が「はぁーー……」とため息をつく。心底私に呆れているようだ。呆れているなら私のもとから立ち去ればいいのに。

ゆるっとした黒いアイライン。泣きはらしたような赤い目元。そして真っ赤な口紅。スマホケースとLINEのアイコンはマイメロ。

地雷を集めすぎてもはや紛争地帯と化している志木宮癒美は、なぜか私をよく気にかけてくれる。


「それはいいとして、あなたにお願いがあるのよ」

「お願い?借金の連帯保証人ですか?嫌です」

「違うわよ」

「じゃあなんだって言うんですか。人質?色気ないので突っぱねられると思いますよ私」

私の予測を遮るかのように、志木宮癒美は言った。

「仲良くして欲しい友達がいるの」




「はぁーーーーーーーーーーー??????????」


コーヒーを持つ右手がフリーズする。そのまま右手は自然と、ほぼ自由落下のようにテーブルへと戻る。広瀬康一のスタンド能力にやられたように。


「いや、いやいやいやいや?分かってます?私の性格」

「ええ。だいぶコミュ障よね」

「そうですね、分かってるならなんで?私に新しい友達を作成するとか無理です。そんなMiiみたいにポコポコ生み出せるわけじゃあないんですよ、友人って」


志木宮は私の反発もガン無視し、どんどん話を進めていく。両手で持っているコーヒーの温度の下がるのが、どんどん早くなっていく。


「明後日、若洲海浜公園って所の海釣り施設があるんだけど、そこに集まって、だそうよ」

「え?釣りやるんですか?癒美さんと趣味同じなんですか」

「え?あ、あぁ、そうなのよ」


志木宮は髪の毛を指に巻きながらそう言った。




あ、これ、嘘だ。

私を釣りに誘いたいんだ。


女の勘、と言うやつが働いた。確かに、こんな可愛らしい女の子の趣味が「釣り」なんて知ったら大学内ではたちまち噂になるだろうし。


「私と志木宮さんの二人で釣り、ですね。わかりました」

「あ、あはは……バレちゃったかしら」


志木宮はそう言って苦笑した。「はるかちゃんには敵わないわね」と。


やはりそうだったか。しかし、なぜ私を誘ったのだ?

私を黙らせるつもりなのだろうか?私を海に突き落としたり海水を飲ませたりして、この志木宮癒美という女の趣味が釣りであることを、黙らせたいのだろうか?

なんて恐ろしい!こんな「行けば死ぬ事がわかっている」ような誘いに、一体誰が行くのだろうか!?




来てしまった。言われるがまま。

東京都江東区、若洲海浜公園。

私の家から国道254線―川越街道を東京方面にひたすら真っ直ぐ行くと日本橋に着く。そこからナビの通りに右へ左へと曲がると、ある。

明らかな人工島。そしてそこにそびえ立つ工業地帯。その中にポツンと佇む緑のオアシス。それが、若洲海浜公園。


別に、釣りが楽しみというわけではない。ちょっと気になっただけだ。この志木宮という女の生態が。


時刻は朝の6時になろうとしている。私は朝方なので大丈夫だったが、一般大学生のデフォルトたる夜型人間であったらこの時間には来れなかっただろう。


「……おはようございます」

「おはよ!ささ、準備しちゃお!」


5時40分。眠すぎる。そして寒すぎる。こんなに眠たい状態でバイクを動かしていた私の潜在的バイク操縦能力にはほとほと感服してしまう。

志木宮は大きなリュックとと釣り竿入れを背負う。「持ちますよ」、と私が言って釣り竿入れを持つ。


6時になると、堤防の門が開く。ぞろぞろと人が入っていく。志木宮のケツにひっつくように、私もその列の中へと入っていく。

「はい」

「え、ど、どうするんです?これ」


竿を渡される。釣り糸には、何かカゴのような物がついていて、その上には針が何本かくっついている。

「ここのカゴの中に餌を入れるのよ。はいこれ、ミンチにしたプランクトン」

「うへぇ~……」


生クリームのチューブのような形をした袋の中には、赤いミンチ状のなにかが詰まっている。私は、袋の先端をハサミで切り、生クリームのトッピングをするように、カゴの中に餌を入れる。冷たい潮風に吹かれ、私は奥歯をガタガタと震わせていた。


「よし、もう入れていいよ」

「え、どどどど、どうやって投げるんです?」

「投げなくていいよ。ひょいっと、入れるだけ」


ルアーを釣り糸にくっつけながら、志木宮はそう言った。こっちも見ずに。初心者たるこの私にも見向きさえせず。


「は、はぁ……」

言われたとおり、海にカゴをヒョイッと放り投げる。さっき言われたとおりに、銀色の針金状の糸を巻くやつを上げ、少し巻く。


「……ん?」


ブルッと竿が震える。少し竿を上げてみると、また震える。


「……な、なな、なんか、竿が震えてるんですが」

「え!?早っ!釣れてるよそれ!!」








「はるかちゃんすごいよ……初めての釣りで20匹釣る人なんて珍しいよ」志木宮はキッチンの方からそう言った。じゅわっ、と魚を油に入れる音が聞こえた。


「え、えへへ……運が良かっただけですよぉ……」


志木宮のクーラーボックスには小魚が20匹。志木宮の釣った大きい魚が二匹。スズキ、という魚だそうだ。

小魚はすべて、私の手柄である。

志木宮の家は意外にも私の家の隣町にあった。というか、私の家から徒歩圏内だ。

本日の昼食は釣った魚で揚げ物だ。志木宮は車を親から借りていたようで、魚や竿はその軽ワゴンの中に放り込めたし、私はほぼ手ぶらで帰路につくことができた。

時刻は14:00。本日は休日。バイクは私の家に置いてきた。

キッチンから魚の揚がる良い匂い。小魚は小麦でまぶして素揚げし、スズキは醤油煮で。

私は一浪しているし、志木宮は大学二年生。つまり、成人している。


「できたわよ」


ちゃぶ台に置かれる煮物と小魚の素揚げ。そしてキンキンに冷え、汗をかいているビール。

やることはひとつ。


「「酒!飲まずにはいられないッ!!!」」


素揚げした小アジのサクサク感!そしてよい塩加減!スズキの醤油煮の味の濃さ!!

止まらない!!!酒が!ビールが!!!!


「ね、はるかちゃん、釣り、楽しかったでしょ?」

「……悪くないですね」


飲み、食い、そして飲み、食い、ひとしきり喋り、私達は昼間から酔いつぶれて爆睡してしまっていた――





確かに釣りは楽しかった。釣れた時の快感は底知れないし、新鮮な魚も美味しい。しかし、朝は早いわ寒いわ眠いわ、後々調べてみたら意外とお金がかかるわで効率が悪い。

普通にスーパーに行って魚を買ってきたほうが遥かに安上がり。私はそう感じる。

しかし、


「……来ちゃった。一人で」


朝の6時。東京都江東区。若洲海浜公園。私は今、ここにいる。

堤防の門が開く。真新しいクーラーボックスと竿、そして仕掛けの入ったリュックを背負って、私は堤防の中に入る列に加わった。


私の大学人生を掛ける趣味が、ひとつ増えた。





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