第13話 突然だった?
それは突然だった。
積み木で遊んでいたアーベルくんを、イーナさんとゼルマさん、ヴァーレリーちゃんと共に眺める。
一人の世界に入って、一生懸命積み木を積み上げているアーベルくん。正直真剣な顔もめちゃくちゃ可愛いです……。
実はこの積み木、国王様からの一歳のお誕生日のプレゼントらしい。イーナさんが教えてくれた。
彼女の説明によると最高級の木材を使用し、塗料も幼児が口に入れても良くて、尚且つ発色の良い最高級のものを使った最高級の知育玩具……らしい。
なんか最高級が沢山ついていた。流石国王様が孫の王子様の誕生日プレゼントの為に買った玩具……、幾らするのかちょっと考えたくない。
何故イーナさんがそんなに詳しいかと言うと、元々商家の出身なんだと。生まれ育った場所が場所なので、物を見る目がかなり養われていると本人は言っていた。
金持ちになって贅沢したいからって、国王の側室になって、下賜で子爵家嫁いで、子爵夫人になったらしい。
優しそうなお姉さんだと思っていたけど、かなり強かだった……。
余談だけど、ローデリヒさんはアーベルくんのお誕生日プレゼントに海の方の観光地に別荘を建てたらしい。
ちょっとよく分からない。
一歳児に別荘プレゼントとか、全く理解が追いつかないんだけど。
そして何より怖いのが、その別荘の建築に私も賛成してたらしいってこと。金銭感覚とか色々狂ってるよ……。
その他のプレゼントとして、ぬいぐるみとパズルをあげたんだと。誕生日プレゼント多いなとか思ったけど、王子様だしこんなもの……なのかな?
そしてアーベルくんはぬいぐるみに興味をあまり示さず、結局ローちゃんの獲物になったらしい。
積み木から興味が逸れたのか、ついと顔を上げたアーベルくんはキョロキョロと周りを見渡す。アーベルくんの近くで丸くなっていたローちゃんも、薄目を開けた。
何してるんだろう、と思いながらアーベルくんがよいしょと立ち上がるのを見守る。なんかもう行動が一々可愛いよね。
こんな天使が私の息子らしいんだけど、可愛いすぎて夢なんじゃないかって思う。
アーベルくんは私の方を向いて、大きな青い瞳をぱちぱちと瞬かせる。実はこの子もローデリヒさんと同じでまつ毛まで金色なんだよね。可愛い。
何やら私の事をじっと見つめていたので、私もじっと見つめ返して微笑んだ。
「ん?どうしたの?」
可愛い、という単語以外脳内から無くなっていた私だったけれど、それすらも次の瞬間消し飛んだ。
「かーたま」
一瞬、真っ白になった。
それ以外の音が全て消えたかのようだった。
考えるよりも先に、じわじわと口元が緩む。
アーベルくんの薄い金髪を撫で回して、ギュッと抱きしめた。
「か、母様って言った!!母様って言った!!言えたねアーベル!!偉いよ!!」
赤ちゃん特有の匂いがする。心の根底から、温泉のように温かいのがゆっくりと湧き上がった。
可愛くて可愛くて仕方がなくて、スリスリと頬を寄せる。アーベルくんのほっぺたはぷにぷにしていた。
アーベルくんはしばらくニッコニコしてされるがままになっていた。けれど、私が舞い上がりすぎてスリスリしまくってたお陰で、最後はちょっと嫌がられた。
大人しくアーベルくんを離したんだけど、お母さんは母様ってちゃんと呼ばれてめちゃくちゃ嬉しかったんだよ……。
そして、ハッと自分の胸をおさえた。
こ、これが母性……?!
しかもなんかちょっと重めな気がする。ローデリヒさんの親バカと同レベルなんじゃ……。
イーナさんとゼルマさんが「良かったですね」と穏やかに声を掛けてくれる。二人共ニコニコと温かく私を見守ってくれているような、そんな優しさを感じて心が沁みた。
ヴァーレリーちゃんもちょっと驚いたように目を見開いていたけれど、私とアーベルくんのやり取りに眩しそうに目を細めて、口元を綻ばせている。
いきなりアリサ・セシリア・キルシュライトって人になったり、悪阻で弱ったりで全く余裕がなかったけれど、意外と人に囲まれてる。嬉しい事を共有して、一緒に喜べるって素晴らしいね。ローデリヒさんも私の事を考えてくれているし。
この生活もそんなに悪くはないのかな……、なんて思ったり。
……その後すぐに悪阻が来たので、トイレからのベッドに直行しました。
「あーたま、いたいいたい?」
首をちょこんと傾げたアーベルくん。そろそろお昼寝の時間だそうで、「あーたまとねんね!」と元気よく自分の枕を持ってベッドに潜り込んできた。
吐き気と戦いながら、可愛さに悶えていた。
イーナさん達は私達を二人にしてくれて、ローちゃんは部屋のソファーで仰向けになって寝ている。
さっき「かーたま」って呼んでくれたけど、まだ言い難いみたいで、「あーたま」になっている。それも可愛い。
これは親バカ重症かもしれない……。
「うへへ、母様とねんねしよっか〜」
「あいっ!」
ベッドの中で擦り寄ってきたアーベルくんの背中をトントンと規則正しく叩きながら、瞼を下ろす。ちょっとだけ高い、赤ちゃんの体温が心地よくて微睡んでいた。
「あーたま、あーたま」
だけどアーベルくんに邪魔をされる。ぺちぺちと頬を叩かれて、私は上体を起こす。
「どうしたの?」
今にも泣きだす寸前の表情をしているアーベルくんに、私は顔を曇らせた。
「や」
「や?何が嫌なの?」
唐突にぐずりだしたので、「オムツが気持ち悪いのかな?」なんて確認してみたけど綺麗だった。
うーん、眠いのかな?お腹減ったとか?
分からなくてイーナさんとゼルマさんに聞きに行こうとベッドの上を移動しようとした時、一際大きな声でアーベルくんは叫んだ。
「やっっ!!」
突然だった。
この部屋の空気が変わった。
派手な甲高い音を響かせて、窓の硝子が割れていく。同時に外から入り込んだ暴風が、硝子を巻き上げてこちらに迫ってくる。
視界の片隅でローちゃんが部屋の壁と共に吹き飛ばされていくのが見えた。
同時に、私は動いていた。
「アーベル!!」
咄嗟にアーベルに手を伸ばす。小さな身体を力強く抱き締めて、窓へ背中を向けて庇う。
襲い来るであろう衝撃と痛みに怯えて、固く目を瞑った。
「…………あれ?」
いつまで経ってもやってこない痛みに恐る恐る薄く目を開けると、相変わらず暴風は収まっていないけれど、私達を避けて吹き荒れている。
壁もボロボロ。ドアはどこかへ飛んでいっている。
ローちゃんの姿はどこにも見えない。
それでも、私達のいる天蓋付きのベッドの周りだけ、何事も無かったかのようにそのままだった。
「――見つけたわ」
甘ったるい女の子の声がする。ちょっと媚びを売るような、そんな声。
黒いローブを深く被ったその人は、とても小柄だった。形の良い口元だけが覗く。
ゆっくりと割れた窓から小さな硝子の散らばった床へ降り立つ。彼女の靴からジャリ、と硝子を踏み潰す音がする。
「久しぶりだわ、アリサ。わたくしの事を勿論覚えているわよね。わたくし、ずっと会いたかったの」
――ずっと、ずっと会いたかったの。
どちら様ですか――?なんて聞ける雰囲気ではなかった。会いたかった、と同じ声が何度も響く。
私が唖然としているうちに、矢継ぎ早に彼女が言うもんだから、聞くタイミングを逃した。
どうやら私と彼女は普通に知り合いらしい。
「単刀直入に言うわ。わたくし達、アリサを助けに来たの。遅くなってごめんなさい。苦労したわよね?」
――かわいそうだわ……。本当にごめんなさい。
「た、助けに来た?」
展開についていけなさすぎて、オウム返しに聞き返すのがやっとだった。二重に彼女の言葉が響く。
口元はその言葉の形に動いていないのに、何故か彼女の声が聞こえた。
全然知らない彼女は、私のいるベッドまで一気に距離を詰める。
ふんわりと花の香りがした。多分薔薇系の香水だと思う。
真っ白で細すぎる手が私の腕を労わるように撫でる。
「ええ。助けに来たの。……こんなに痩せてやつれてしまって……、もう少し早く来れれば良かったのだけれど……」
――顔色が悪いわ……。やはりあの男の手から、助けなければ。何としてでも。
それ多分悪阻のせいだと思います。
そう言いたかったけど、香水の匂いにやられていた。普段だったらいい匂いって、いつまでも嗅いでいられそう。
だけど、ちょっと今は普通にキツい。
匂いでもう吐き気が……。
「今夜から三晩行われるパーティーに参加して欲しいの。ここからではアリサを逃がす事は出来ないわ」
――昔のわたくし達は無力だった。今も力の及ばない事もあるのが歯がゆくて仕方がないわ。
「……逃がす?」
口元に手を当てる。もうかなり限界だった。
――でも、わたくし達はアリサの為にずっと準備をして来たもの。
頭の中に直接少女の声が聞こえる。ホイップクリームのように甘い甘い声が。
その声音は真っ直ぐで、悪意なんかなくて、哀れみと親愛に満ちていた。
ねえこれは、一体何?
「待っているわ――アリサ」
少女がそう言い残すなり、周りの空間が歪に歪む。ぐにゃりと柔らかい粘土のように曲がった彼女の姿は、次第に小さくなって消えていった。
腕の中でアーベルくんがもぞもぞと居心地悪そうに動く。
「……硝子が危ないから大人しくしててね」
アーベルくんをあやしながら、私は無事だったベッドサイドの壺を引き寄せる。
もう無理限界。
薔薇系の残り香も駄目だった。
結局、めちゃくちゃ高そうな壺を思いっきり汚す羽目になってしまった……。
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