第12話 もしかして、親バカ?

 ベッドに誰かが入ってくる気配がした。

 眠りが浅かったみたい。ぼんやりと瞼を上げる。

 スタンドライトの優しいオレンジ色が、人影を映し出していた。


「……悪い。起こしたか?」

「……ぅ……ん?」


 出した声は完全に寝ぼけていて、頭もボーッっと霞みがかったようにぼんやりしていた。もぞもぞとローデリヒさんが掛け布団を動かしている。


 なんだかだいぶ端っこの方で横になったな……なんて、思ってると不意に彼がこちらの方を向く。


 パチリ、とやっと目が段々覚めてきた。口元をゆるりと緩めるローデリヒさんが、私の隣に寝ている人へと手を伸ばす。


 私の方に顔を向けて、すやすやと寝息をたてているのはアーベルくん。どうやら頭は私に近いのだけれど、布団の中の身体が斜めになっているらしく、ローデリヒさんの寝るスペースを占領しているみたい。


 今日の夜は早くベッドの中に入ったのだけれど、アーベルくんがくっ付いてきたのだ。私が体調悪いのを知っていて、ずっと心配そうな顔をしていたんだよね。


 ……なんていい子……!!


 やはりアーベルくんは天使だ。可愛すぎる。


 ちなみにデブ猫ローちゃんもアーベルくんの隣で丸くなってた。だけど、今はソファーに移動しているらしくて、こちらを一瞥してまた目を閉じる。


 お腹を上向けて寝てるんだけど、あの猫の野生どこ……?


 アーベルくんの薄い金髪を、起こさないように慎重な手つきで撫でるローデリヒさん。


 結構な頻度で眉間に皺を寄せてるし、愛想がないんだけど、アーベルくんを見る海色の目が優しくて、子供めちゃくちゃ可愛がってるんだな〜ってのが伝わってくる。

 発言は完全に親バカ丸出しなんだけどね。


 若いのにいい父親じゃん、なんて思ってる。甘やかしすぎそうな所が心配だけど。


 ふふっ、とローデリヒさんとそっくりのアーベルくんを見比べて、笑みが漏れる。

 そしたらアーベルくんの安心しきった寝顔を覗き込んで、微かに表情を緩ませたローデリヒさんとバッチリ目が合ってしまった。


 どう声を掛けたらいいか唐突に分からなくなる。しどろもどろになりながら何とか言葉を口から出した。


「お、お仕事お疲れ様です……」


 ――嫁か!


 言い終えるか言い終えないかのうちに内心自分に突っ込みを入れてしまった。


 いや、他人に認められてる嫁なんだけど!

 ……嫁なんだけど!


 ローデリヒさんはびっくりしたように目を少し見開いたが、口元を上げた。


「ああ。ありがとう」


 多分今は深夜に差し掛かってる時間帯だろう。王太子の仕事ってやっぱり忙しいのか……。

 途端に降ってくる沈黙に何とも言えない気持ちになった。


 ……あ、あれ?!今までどうやって話してたっけ?!


 思い返してみると、ローデリヒさんと言葉を交わしたのはそう多くなかった気がする。


 オマケに離縁してもいい、なんて言われてるものだから、どうすればいいのこれ。


「吐き気はどうだ?今は落ち着いているのか?」


 眉間に皺を作りながら、眉尻を下げたローデリヒさんは私の顔を覗き込む。


「えーっと、今は大丈夫みたいです……」


 食べられるうちに食べておこうと、ナイトテーブルに乗ったビスケットを口に入れた。


「それならば良かった……。楽に越したことはないからな」


 ホッとしたように息を吐いたローデリヒさん。よく見たらお風呂上がりなのか、髪の毛がまだ濡れている。


「ローデリヒさん、髪の毛濡れてますよ?」

「ん?……ああ、すぐに乾く」


 髪の毛を指先で摘んだ彼は、結構大雑把な反応をみせる。男の人ってこんな感じなのかな……?


「生乾きで寝ちゃうと風邪引きますよ?」


 ビスケットと共に、何かあった時用のタオルを常備してくれていたゼルマさんに感謝だ。ベッドサイドに腰掛けるように促して、私は立ち上がる。


 何やら分からない顔をして座っているローデリヒさんは、眉間に皺を寄せてる時と違って年相応に見える。


 ……なんて、彼を見下ろして、私はタオルを抱えたままふと我にかえった。


 ローデリヒさんの髪の毛をタオルドライしようとしたけど、触って良いのかな?


 っていうか私、男の人に対して大胆すぎない?なんか風邪引いちゃ駄目だって思って、特に深く考えずにここまで来たけど、これって……なんか、恋人に対してやるみたいな……?


 女子校育ちは男に耐性がない。どうしよう。

 何が起こるか全く予測出来ていないらしいローデリヒさんは、訝しげに私を見上げる。ここでやっぱりやめる、ってのも不自然だ。


 深く考えちゃ駄目だね!深く考えるな!私!

 自己暗示を掛けつつ、勢いのままにタオルを広げて彼の頭に被せた。


「わっ?!」


 驚きの声を上げたローデリヒさんはタオルを退かそうとしたけど、それよりも素早く私はわしゃわしゃとタオルドライを始める。ローデリヒさんもそれが分かって、中途半端に上げた手を大人しく下ろした。


 再び沈黙が舞い降りた。けれど、さっきみたいな気まずさはなくて、ローデリヒさんの金髪やっぱりキラキラしてて理想の王子様みたいだ。

 王子様なんだけどねこの人。


「……身体は本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。今は気持ち悪くないんで、ちゃんと水分と軽食取っておきます」

「……ああ」


 歯切れの悪そうに頷いたローデリヒさん。しばしの間黙っていたけど、やがて重々しく切り出した。


「…………中絶する、とは言わないんだな」


 タオルドライしていた手が止まる。確かに女子高生の時だって、中絶の法律とか倫理的な問題が云々とかいうニュースを見てきた覚えがある。


 こちらに中絶がある事は知らなかったけど、中絶という言葉も意味も、別に知らなかった訳じゃない。


「中絶、して欲しかったんですか?」

「いや、違う!そんなことは無い……。ただ、貴女にとっては見知らぬ男の子供をいつの間にか宿している事になるからな……。男でもそんな状況になれば嫌かもしれないと想像がつ……」


 ――嫌だ。

 中絶は絶対に嫌だ。


 まるで自分の中に元々あったかのような答えだった。

 今まで凪いでいた自分の奥底が揺らぐ。絶対にそれだけは、と。


「――待て、何故泣いているんだ?」


 私のしゃくりあげた声に気が付いて、ローデリヒさんはギョッとしたように顔を上げる。私は手で目元を拭いながら、首を横に振った。


「分からない。……分からないんです。ただ……、悲しくて」


 狼狽えるように私に手を伸ばそうとしたけれど、ローデリヒさんは触れるか触れないかの所で、握り拳を作った。


 流石に私だって気付いてる。

 この人は、いつも私に不用意に触れないようにしている。


「……すまない。貴女を泣かせてばかりで」

「違います!」


 ローデリヒさんの声に被せて否定した。だって、こればっかりはローデリヒさんのせいじゃない。

 確かに彼の言うとおり、知らない場所で、知らない人の子供を妊娠していて、産めなんて、到底出来るものじゃない。


 私だって逃げたいって思ってる。

 まだ妊娠初期段階。これから先は長い。

 悪阻だって苦しくて、辛くて、正直言うともう嫌だ。


 でも、中絶っていう具体的な言葉も、方法も全く浮かんでこなかった。


「本能、なんですかね?中絶しようなんて思いもしなかったんです。確かに悪阻は辛いけど、中絶って考えるだけでなんだか泣けてきちゃって……」


 また一つしゃくりあげた。ひくり、と引き攣る喉を抑えたくて、私はギュッと拳を握る。

 彼はまるで自分が怪我をしたかのように、痛々しい表情を浮かべた。


「……中絶して欲しくはない。……だが、辛そうな貴女を見ていると、私も辛くなる。逃げたいのなら、逃げ道を用意したいと思う」


 ローデリヒさんは片手で自身の顔を覆う。


「どうしていいか分からないんだ……。どの選択が正解なのか分からない。……王太子としてはアーベルだけでは、キルシュライト王族の直系に何かあった時に心もとない。その理由で産んでもらうのが正しいのだろう。アーベルの時は最大限サポートした。産んでもらうのが当たり前だと思っていたから。しかし、今回は違う。貴女は記憶が混乱していて、跡継ぎはもう既にいる」


 骨ばった指の隙間から、穏やかな海色の瞳が揺らいでいるのが見えた。


「…………本音を言うと、子供に会いたい。会って、独り立ちするまでしっかり面倒を見たい。……すまない、私が産むわけではないのに」


 その言葉に私はホッと一息ついた。ずっと胸に渦巻いていた漠然とした不安の一つが、解決したみたいな。


 産まなければいけないという、一方的に確定事項のように押し付けられていたように感じていた事が、実はそうではなかったんだな、と。


 何よりローデリヒさんが、私の事を考えてくれている事が嬉しかった。

 ただの女子高生って言葉で言い訳して、ずっとその場で立ち止まっていたままの自分が一歩だけ、前に進めた気がした。


 本当は私じゃなくて、アリサに役目を早くバトンパスしたい気持ちも残ってる。まだまだ怖い事は沢山ある。


 ローデリヒさんは子供が生まれたら、ちゃんと面倒見てくれそうだ。アーベルくんと一緒にいる所を見てて予想出来る。


「中絶は絶対にしません。……私が嫌なんです、きっと。……だけど、覚悟もまだまだ出来ていないし、普通に辛いので、泣き言は言ってしまうかもしれません」


 私の気弱な声に、ローデリヒさんは少しだけ泣きそうな顔をして微笑んだ。


「ああ、気が済むまで言ってくれ。……頼りないかもしれないが」

「いえ、ローデリヒさんは結構心配してくれましたし。今までいきなり妊娠って事で、全然心の整理がつかなくて……。逃げたいってずっと思ってたから……」

「そうか……。気付かなくてすまなかった」


 座れ、と言われてローデリヒさんの隣に腰を下ろす。ポツリ、とローデリヒさんは後悔を滲ませた声で呟いた。


「前の貴女もアーベルに対して愛情深いと思っていたが、裏で子供を産む事に対して苦悩していたのかもしれないな……」


 ……ん?んんっ?

 なんでそこでアーベルくんが出てくるの?


「あれ、アーベルくんのお母さんって……」


 私の問いに訳が分からないといった顔をしたローデリヒさん。


「アーベルの母親はアリサ、貴女だが?」

「えっ……、えっ?!」


 思わず大きな声が出て、慌ててバッと口を塞ぐ。ベッドの上のアーベルくんは起きてなかった。よかった……。


「あ、あれ?ローデリヒさん、前に『子供が出来るような心当たりは一度しかない』って……」

「アーベルが産まれてから、その……そういう関係になったのは一度しかないというだけで……。そして、アーベルの時も一度だけだったんだ……」


 頬を掻きながら、気まずそうに目を逸らされる。やや頬が赤く染っているけれど、なんかもう私にとっては衝撃が大きすぎて開いた口が塞がらない。


 そういえば全体数が1だなんて、誰も言ってなかったね!!


 日記によると初夜は一応ちゃんと達成してたって書いてたし……。


「あれ?つまり、初夜で子供が出来たってこと?!」

「……そうだ」


 若いのに枯れてるな……とは若干思ってたけど、……いや、やっぱりちょっと枯れてる感じはする。


「その……下世話だが、閨教育では数をこなせと教わってきたからこんなにすぐ出来るとは思わなかった」

「うん、それはびっくりだわ……」


 遠い目になってしまった。多分現代でもあんまりないと思う。

 だから初対面の時、あんな反応だったわけか……。


「しかし、アーベルをとても可愛がっていたから、実母だと自覚しているのかと思っていたが。……今振り返ると辻褄の合わないところは多々あったな」

「え、だって誰も教えてくれなかったし――」


 あれ、確かヴァーレリーちゃんに聞いたような……?

 ローデリヒさんの子供としか聞いてなかったんだけど。


 というか、今思い出すと、私アーベルくんの事、天使だのなんだの言ってたな……。

 だって一目見て、心撃ち抜かれたっていうか、すっごい可愛いと思ったっていうか。


 他人の子供に入れ込むなんて自分でびっくりだわ……、とか思ってたけど、自分の子供だったって事か。


 あれ……?私、ローデリヒさんに負けず劣らずの親バカって事?


 めちゃくちゃ自分の子供の事、可愛い可愛い言ってたんだけど……。

 それに日記も知らないうちに育児日記レベルでアーベルくんの事しか書いてなかった。


 無意識のうちに母性本能が出てたって事なの……?


 まだまだぺったんこのお腹に手を当ててみる。本当にこの中に子供が一人いるって不思議な感覚だなあ。

 どうやらこちらは、まだ母性は芽生えてないみたいだ。


 私の様子を見ていたローデリヒさんが、そわっと触りたそうにしていたので、彼の手を取って私のお腹に当てた。


「……魔力を感じる。まだ小さくて、可愛いな」


 口元に小さな笑みを浮かべながら、オカルトっぽい事を呟かれた。魔法については全然分からないけど、もう既に親バカになりそうな気しかしない。


 そのままお腹に向かって話し掛けそうな勢いの彼を見下ろして、私は自然と顔をほころばせた。


 なんだかこの人、意外と可愛いな。

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