第11話 修道院行きをプレゼント。(他)

 空はよく晴れた快晴。太陽はほぼ天頂に登っている。

 予定通りにその一行は王城に訪れた。


「やあ、久しぶりだね。ローデリヒ殿。歓迎ありがとう。急に悪かったね。ティーナが貴国の海が見たいと言い出して」

「……ああ、久しぶりだな。ルーカス殿、我が王国へようこそ。海の方は人気の観光地だ。昼間は勿論、夕日も綺麗だから是非見ていってくれ」

「そうさせてもらうよ」


 同い年の王太子同士。国際的な会議でも以前に何度か顔を合わせた事がある。隣国という事もあって、ルーカス・コスティ・アルヴォネンの情報はそれなりに入ってくる。


 項で一つに結んでいる黒髪は、肩につく位の長さ。ややたれ目気味の紫眼は、優しそうな印象を受ける。

 見た目通り、誰にでも分け隔てなく優しく、浮いた話は一つもない王太子。……らしい。


 ただ優しいだけではないだろう、とローデリヒは常々思っている。

 優しいだけで一国の王太子が務まるとは思っていない。


 ――それに、アリサの元婚約者だった男だ。


 あんまりアリサに会わせたくないし、ローデリヒ自身も関わりたくないといった私情もある。


「お久しぶりです。ローデリヒ様」

「ああ。奥方も久しぶりだ」

「ええ。一年前の結婚式ぶりですわ」


 小さくお辞儀をする少女はまだ年端のいかない幼い顔立ちをしているが、これでもアリサの一つ年下。妖精のような顔立ちに惹かれ、求婚する男は数多かったという。


「実は今回の新婚旅行、わたくしが我儘をルーカス様に申したのです。海が見たいという気持ちも勿論ありましたが、キルシュライト王国に来たんですもの。せっかくだから、お友達に会いたいと思いまして」

「お友達?」


 嫌な予感がして、ローデリヒの声がやや低くなった。

 ティーナはそれに頓着せずに、手袋を嵌めた両手を胸の前で組んだ。


「アリサ様にお会いしたいのです。だってわたくし、もう二年と少しもお会いしていないんですもの。一年前のわたくし達の結婚式では、アーベル殿下がお生まれになった頃でしたので、会えませんでしたもの」


 お友達。


 そう言われると難しい。……難しいが、記憶が混乱しているアリサとティーナを会わせたくはない。


 ローデリヒは思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたくなった。

 何がきっかけで思い出すかなんて分からない。トリガーが分からない以上、アリサが記憶を思い出したいと思うまで、過去に関係する人々とは距離を置かせたかった。


 明らかに以前に比べて明るくなった妻に、自分がやっている事が本当に正しいのか分からなくなった。


 今でも時々フラッシュバックするみたいだが、彼女に心の傷を負わせた一件から、社交界に出回り始めた評判を貶める噂、水面下でルーカスとの婚約破棄。


 そして、彼女がまだ歳若いのに修道院に行くという情報を手に入れて、ローデリヒは動いた。


 元婚約者である公爵令嬢が修道院に行こうとしているのに、ルーカスは何もしなかった。その後、まるであらかじめ決まっていたかのようにティーナとの婚約発表。


 自国で散々な目にあっても、他国ならばあまり影響はないだろうと思って求婚した。これからの長い人生を諦めて欲しくなかった。


 いや、、ローデリヒの自己満足だ。


「すまないが、アリサは今体調を崩している。今回は申し訳ないが控えてもらいたい」


 嘘は言っていない。そして、体調が悪いのに無理を通そうとはしないだろう。

 案の定、残念そうにしていたが、ティーナはそれであっさりと引き下がった。




 ーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーー




 キルシュライト王国首都キルシュ。その中心にそびえ立つ王城の来賓室の一室で、少女は顔を悔しげに歪めた。


「ありえないわ!!わたくしとアリサを会わせないなんて、ありえないわ!!……あの男、一体何を考えているのかしら?!」


 淑女にあるまじき激情を見せ、ティーナは思わず爪を噛みたくなった。――だが、理性で口元まで来た指先を膝の上に戻す。


「まあ、キルシュライト王国の社交界でも元々必要最低限しか出席していなかったようだし……、あまり彼女を表には出していないようだよね」

「本当に憎い男だわ!!すんなりわたくしの要求を通して下さるとは思わなかったけれど、もう二年以上も会っていないというのに!!アリサの祖国のアルヴォネン王太子夫妻に会わせないなんて、そんな事ったらないわ!!」

「うん、そうだね」


 同調するように頷いたルーカスに勢いづいたのか、くわっとティーナは薄氷色の目を見開いた。そこには氷でさえも溶かしてしまいそうな怒りが宿っている。


「それにアリサに第一王子を産ませているのよ?!」

「まあ、そりゃあ……一応王太子妃だからね」


 ミシミシとティーナの手に握られた扇子が悲鳴を上げる。ルーカスはそんな彼女の様子を頬を掻きながら、「落ち着きなよ」と優しい声で宥めた。


「なんでアリサに第一王子を産ませているのよ?!側室でも何でも娶ればいいのだわ?!一応顔だけは良いし、王太子ともなれば入れ食い状態に決まってるわ!!なのになんで、側室の一人もいないのよ?!おかしいわ!!」

「僕も一応側室いないんだけど……」


 少しだけ主張したルーカスだったが、ティーナの睨みに口を噤んだ。ティーナは頬を膨らませる。


「貴方は駄目よルーカス。わたくし浮気は許容出来なくてよ?」

「分かってるよ。心配しないで」


 おいで、と言外に座っていたソファーの隣を軽く叩くルーカス。ティーナは勧められた通りに大人しく座る。


 幾らか言葉で吐き出したお陰で、ティーナは先程よりは落ち着きを取り戻していた。


「まあ、こんなに身近な所でティーナが怒っていて、アリサが僕達の存在に気付かない事はないだろうから、僕達と会えない場所に居るんだろう。そもそも王城にはいないかもしれない可能性も少しあるけれど」

「それならわたくしから会いに行くわ」

「王城の南に膨大な魔力を感じるんだ。目に見てる訳じゃないけれど、多分結界だと思う」

「流石だわ、ルーカス」


 ティーナの言葉にルーカスは口元を上げる。得意気に、というよりは皮肉気に微笑んだ。


「王族だからね。力のある者が上に立つのはいつの世でも同じだ。魔法の扱いには長けてる」


 一つ息を吸って、ルーカスは笑みを悪戯っぽく変える。


「小細工なら任せて。バレないように結界を解除するよ」

「頼もしいわ。わたくしはこっそりアリサに会いに行くわ」

「頼んだよ。それは君の役目だからね」


 ルーカスに釣られて、ティーナもクスクスと楽しそうに声を上げる。嬉しくて仕方がないというように。


「明日から三日、毎晩ある歓迎のパーティーも乗り越えられそうだわ」

「よく言うよ。意外とパーティーは楽しんでいるくせに」

「ふふっ。社交界では色々な情報が集まるからだわ。それにね、お友達が悪く言われるのは嫌だけれど、裏で他人が他人の悪い噂を言っているの、とても滑稽で見苦しいけれど、退屈はしないんですもの」

「本当、いい性格してるよね」


 少し呆れた声音で肩を竦めるルーカスは、テーブルに出されていた手付かずのカップに口を付ける。ティーナは焼き菓子を一つ摘んで、「だって、」と綿菓子のような甘い声を出した。


「せっかくわたくし達がアリサに修道院行きをプレゼントしたのに、それを潰してくれたあの男の事がどうしても許せないんだもの」

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