第14話 囁き声が、迫ってくる?

 ある程度残り香が消えて深々と息を吐く。アーベルくんがちょっとだけ居心地悪そうにしていた。でもお利口さんに大人しくしてるの偉い。


 部屋は酷いことになっていた。ドアどっか行ってるし、窓は全部割れてる。

 全く価値の分からなかった額縁に入った絵画なんかは、壁ごと抉り飛んでいったみたい。


 シャンデリアも無惨な姿になっている。家具なんて元々置いてあった?みたいな感じで影も形もない。どこ行ったんだ……。


 ローちゃんが吹き飛ばされて行ったのも心配だ。

 とりあえず、ベッドの上に硝子が散らばってないか確認しようとして、私はシーツに伸ばした手を止める。


「ん?アーベルくんなんか言った?」


 誰かの声が聞こえた気がして、アーベルくんを見下ろす。アーベルくんは何が何だか分かっていないような、きょとんとした顔をした。


 ――……、…………て…………ろ。


 なんか、耳が今まで使ってなかったみたいな感じ。聞こえそうでちゃんとした言葉が聞きとれない。


 随分と長い間、機能していなくて、錆び付いてしまったかのような。


 それでも錆び付いた部分が動こうとしている、そんな気がした。今まで堰き止められていた様々なものが押し寄せようとしている。


 迫ってくる。

 幾重にも重なる囁き声が。

 まるで人混みの中に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚えた。


 ――くそっ!キルシュライト国王のお気に入りだからといって!!今に見ていろ!!

 ――何か王城の南側の方で音がしたような……?気のせいか?

 ――今日も騎士団長様素敵だわ!

 ――俺の研究全然進んでねぇんだけど……。あー、遊びてえ。

 ――大変!!パン焦がしちゃった!!

 ――ローデリヒ殿下、今日も麗しくていらっしゃったわ……。偶然だったけど、すれ違っただけで幸せ……。

 ――は〜。マジでこの仕事の分量どうにかなんねえの?……いつか上司殺してやりてえ。

 ――やっぱり有名店の焼き菓子は違うわ……。食べすぎちゃったわ。太ってしまうから気を付けないと……。

 ――全くコイツは仕事をなんだと思っているんだ?親のコネで入った貴族のボンボンなど邪魔でしかない。

 ――あの女……絶対に許さないわ。


 怒り、疑問、歓喜、怠惰、焦り、思慕、殺意、後悔、苛立ち、拒絶。

 サワサワと竹の葉を揺らしたように聞こえてくる囁きと共に、感情がダイレクトに伝わってくる。


 気持ち悪い。


 頭を殴られるかのような衝撃に、耳を塞いだ。聞きたくなかった。

 こんな悪い感情も含まれた全然知らない人の声が聞き苦しかった。


 耳を塞いでも、壊れた機械のように流れ続けるざわめきに、呑まれそうになる。


 ――うぅ……。ゼルマ様とイーナ様はなんとか守り通せた。けど、奥方様はどうなったんだろう?いた……痛い。けど、私の足、動いてよ!!


 ヴァーレリーちゃんの声が聞こえる。酷く苦しそうにしていた。悔しさを直接感じる。


 ――ローデリヒ・アロイス・キルシュライトを僕は絶対に許さない。アリサ、君を必ず助けに行くから。


 知らない若い男の人の声がする。

 確実に私に向けて言ったであろうそれに、困惑する。


 多分王城のある方から、私に語りかけてきた。


 正義感と親愛と義務感と、ほんの少量の哀れみ。やるせなさすら感じたその感情は、ひたすら私の為を考えてくれているかのようだった。


 一体、誰なんだろう。何故ローデリヒさんを許せないんだろう。


 ――アリサ!!


「何があった?!」


 勢いよく部屋に飛び込んできたローデリヒさんは、いくらか服装を乱していた。丈の長い、刺繍の沢山入った上着は所々汚れている。頬には切り傷だってある。


 とーたま、とアーベルくんがローデリヒさんに向かって手を伸ばす。


 ――見たところ、怪我は無さそうだな。よかった……。


 安堵の声。口に出して言ったわけではない。彼は真顔でアーベルくんを抱き上げて、全身素早くチェックをしていたから。


「ロ、ローデリヒさん。なんか……」

「どうした?何があった?」


 ――大丈夫か?


 いくらか冷静になったらしいが、それでもまだ焦りが伺えるローデリヒさん。唇の動きと重なるようにして彼の声がする。


 先程の少女と同じ感じ。二重に言葉が頭に響く。


 ――もしかして、何か重大な怪我でも?!


「おい誰か!!ジギスム……」


 ローデリヒさんの言葉は最後まで紡がれなかった。私が彼の服の袖を引いたから。


「ローデリヒさん……なんか、あの、」

「なんだ?どうした?」


 彼がやや身を固くする。訝しげな表情だったけど、心配している気持ちをすごく感じる。

 いつもとは比べ物にならないくらい、感じてる。


「声が、沢山聞こえるんです。……これって一体……」

「結界が……っ?!」


 ――結界が壊されているのか。まずい。


 窓の外へと視線を向けたローデリヒさんは険しい顔つきで、私を見る。服の袖に掛かっている私の指を恐る恐る握って、安心させるようにジッと私の目線に合わせた。


 彼に触れられている手が温かくて、優しくて、不意に泣きそうになった。

 濁流のように私を呑み込もうとする感情達から、引き上げてくれるようで。


「無視しろ。それは聞かなくていいものだ。すぐに聞こえなくなるから、今は無視しろ」


 ――貴女には必要ないものだから。


 どうしていいか分からずに、ローデリヒさんの言う通り、そのまま一つだけ頷く。


 この知らない人々の声は、嫌なもの――そう、私の中で元々勝手に位置付けられてたかのように、すんなりとローデリヒさんの言葉に従った。


 まだ、言の葉は軽やかな音を立てて、さざめいていた。




 ーーーーーーーーーーーーー

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「……うっ、駄目だわ……。転移魔法酔いしてしまったわ。何度やっても慣れないわ……」

「……まあ、転移魔法は反動が大きいからね。初めて行った場所からの転移は特に」


 ソファーでしどけなく寝転ぶ少女は、手で口元をおさえる。妖精のような顔は、真っ青に染まっていた。


「そして行ったことない場所には行けないとか、一人しか移動出来ない、なんて面倒な縛りがあるのよ!」


 憤慨する少女に構わず、青年は遠眼鏡を王城の南部に向ける。特別な遠眼鏡は、部屋の壁を透明化し、目当ての場所をはっきりと映し出していた。


 分厚く、高さも有る白亜の塀。一貴族の邸宅のような雰囲気の屋敷だったが、ティーナが散々暴れたせいで、今はかなり損壊している。

 塀は屋敷の周りを囲み、外からも中からも見えなくなっているような造りだった。


 可哀想に、とルーカスの心は傷んだ。


 王太子妃ならば、本来は王城に住むべきだ。というか、本来は王城が居住地だ。側室ですら、 王城の後宮に入るのに。


 ローデリヒには側室はいない。愛人もいると聞いた事はない。

 ルーカス自身も、側室はしばらく娶るつもりもないし、何より結婚したばかりだ。子供ができれば側室は不要と言ってもいい。


 ルーカスにはまるでこの状況が、牢獄のような鳥籠にアリサを閉じ込めて、世間から隔絶しているように見えた。


「精神属性。傾国の美女のほとんどが持つ能力……」

「アリサ、とっても可哀想だったわ……。やせ細って、酷くやつれていたの。顔色も悪かったわ!今にも消えてしまいそうな位よ……」

「そうか……」


 いつもは穏やかな表情しか見せないルーカスだったが、厳しい顔つきになる。やはり、大国の王太子妃という身分負担になっているのだろう。


 現にアリサは外にあまり出てこない。結婚式を含めて片手で数えられる位しか表に出てきていない。


 アーベルを身ごもっている時は、体調が思わしくない。生まれた後は、産後の肥立ちが良くない。


 ローデリヒの意向か、アリサのワガママか――?そんな不躾な憶測すらある。


 だが、実際に三年目の大国の王太子妃にはあるまじき公務の少なさだった。後継を産むという一大の仕事を成していても。


(ローデリヒ・アロイス・キルシュライトを僕は絶対に許さない。アリサ、君を必ず助けに行くから)


 決意を新たにし、ルーカスはいつもの優しげな表情を意識的に心掛けた。きっとこの気持ちはアリサに届いているはず。


「そうそう!子供もいたの。たぶんあの子がアーベル殿下ね。アリサは優しいから、きっと可愛がっていると思うの」

「流石に子供を連れ帰る事は出来ない。アーベル殿下はこの王国の跡継ぎだからね。いくらアリサが可愛がっていたとしても……僕はアリサを辛い環境から逃がす事を優先させる」


 ええ、とティーナは異論なく頷いた。アーベルの事に対して罪悪感を覚えたような、沈痛な微笑みと共に。


 ティーナとて、ここで引き下がる訳にはいかなかった。


 念入りにローデリヒ達のことについて調べて、アリサの現在を追い続けて、アルヴォネンの腐った貴族達を再起不能にまで追いやった。

 時間も手間も掛かったけど、全部アリサというの為に、ルーカスと二人三脚で頑張ってきたのだ。


 共犯者はルーカスの一人だけだった。でも、これ以上にない共犯者だった。

 自分の一生を後悔と罪悪感と無力で終えたくはなかったから、ティーナとルーカスは手を組んで立ち上がったのである。


 全ては大事な友人の為に。


「でもまるでこれは、『傾国の美女に入れ込む王太子』……みたいだね」


 遠眼鏡から目を離して、ルーカスはポツリと呟く。

 その言葉を唯一聞いていたティーナは、小さな手のひらを震える程にキツく握り締めた。

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