第8話 結婚初夜は生存競争?
顔面、こめかみ、顎、肋骨、みぞおち、脛。
人体の急所のうちの六つ。綺麗に蹴りや拳が入ったーー。
プロレスや格闘技の話じゃない。
新婚夫婦の結婚式後の初夜の話。
結論から言うと、無事に初夜は済んだらしいんだけど、どう読んでも命懸けの生存競争並みの荒々しさを感じる。
これは無事に初夜が済んだと言えるかは疑問だ。
日記では、アリサが全部ローデリヒさんにヒットさせたらしくて、謝りながらボッコボコにしていたらしい。
ローデリヒさんはやめようか、って提案してくれたらしいけど。王太子の結婚はそういう訳にはいかないらしい、義務だからってアリサは言ったらしい。
でも、どんだけ拒絶してんの。めっちゃ嫌いじゃん。
仮面夫婦になるわこんなの。
ビンタした私が言えることじゃないけど。
「……はあ、それにしても、本当にアーベルきゅん可愛いすぎて天使なんじゃないだろうか。可愛すぎて可愛い以上の言葉が出てこない」
アーベルくんと会って一週間。ちまちまと日記を読み進めてやっと結婚一ヶ月目まで終わった所。
最初は時間かかったけど、慣れてきたのか段々と読むスピードが早くなっている。新しく覚えた言語というより、頭の中の引き出しにしまい込んでしまったものを段々と引き出していっている感じかな。
でもまあ、日記の読み解きは結構スローペースでやってる。
だって、アーベルくんが可愛いんだもの!!!!
同じ屋敷に住んでるって事もあってか、とても会いやすい。だから通ってしまう。
アーベルくんも私に懐いてくれていて、会うと必ずベッタリくっ付いてくれるんだよね。天使か。
いやあ、赤ちゃんは可愛いくて癒されるけど、他人の子供にここまで入れ込んだのは初めてだよ。会った瞬間、胸を撃ち抜かれたっていうか。
ローデリヒさん顔イケメンだし、今でさえアーベルくんは天使みたいな顔をしている。めちゃくちゃ可愛い。
「アーベル殿下は、ローデリヒ殿下のお子様ですから。可愛くないわけがありません」
何故か得意気なヴァーレリーちゃんとも一週間でだいぶ打ち解けた……とも思っている。ヴァーレリーちゃんは職務だからと堅苦しい話し方だけれど、私は完全にフランクに話していた。
ちなみにデブ猫ローちゃんは全く痩せない。長期戦覚悟だ。
「赤ちゃん見ると欲しくなるよね〜。お腹にいるんだけどさ」
「確かに子供見ると欲しくなりますね。でもいつかは産むことになりますし、私はあまり焦ってはいません」
「産む……?」
引っ掛かりを感じたけど、それはとある人の登場によってどうでも良くなった。
「奥方様、ヴァーレリー様、どうなさったんですか?」
「イーナさん!」
振り返ると今日も簡素なドレスを着て、お団子ヘアーにしたイーナさんが立っていた。今日は一人らしい。
「あれ、アーベルくんは一緒じゃないんですか?」
「アーベル様は陛下とローデリヒ殿下とゼルマ様が見てくださっています」
陛下って国王様だよね?つまり私の義理の父親……、やだ怖そう。
「陛下がこちらに?」
「はい。奥方様とアーベル様に会いに来たと」
不思議そうなヴァーレリーちゃんにイーナさんは頷く。私は自分を指さした。
「私?」
「ええ。顔を見ておきたいのだとか……」
と、イーナさんが言い終わるか、言い終わらないかのうちに、廊下の向こうからドスドスと重々しい音が聞こえてきた。
三人共思わずそちらの方を向く。
金髪の男の人ーーオブラートに包んでぽっちゃり系の中年の男の人が、廊下を走ってこちらへ向かってきていた。
「なにあれ」
思わず口から疑問が出たが、思ったよりも俊敏だったのかあっという間に距離を詰められる。そして男の人は白い歯を見せて軽く手を挙げた。
「アリサ!久しぶりじゃな!懐妊したと聞いておるぞ!めでたいことだ!子供は何人いてもいい!」
「あっ、はい」
勢いに押されて首を縦に振ると、男の人は立派な顎髭を撫でながら遠い目をして呟く。
「しかしローデリヒのやつめ……、百発百中とか我が息子ながら男として尊敬するな……。ワシ、沢山側室おったというのに……」
「そんな事もありますよ。気を落とさないでください陛下」
「おお、イーナではないか。昔も愛らしかったが、更に美しくなったのう……。どうじゃ?またワシの側室にならんか?」
本当にさり気なく、とてもナチュラルにイーナさんの腰に手を回した中年男性。若干犯罪臭がする。
イーナさんはニッコリ微笑んで、バッサリと切り捨てた。
「申し訳ありません。私、下賜先の子爵様に大事にされているんです。一年ほど前に女の子も産まれたんですよ」
「そ、そうか……。それは……めでたいのう……」
イーナさんの言葉に明らかに気落ちした男の人。だけど、未だにイーナさんの腰にガッツリ手を回したまま。
「父上!!アーベルの乳母に手を出そうとしないでください!!」
中年男性が現れた方からローデリヒさんが慣れた手つきでアーベルくんを抱いてやって来る。中年男性ーー多分きっとおそらく、この王国のトップの人は焦ったような表情で私に向き直った。
「身体に気をつけるのじゃぞ!第二子楽しみにしておるぞ!」
脱兎のごとく走り去っていく中年男性を、呆気にとられながら私は見送った。
なんというか……、ローデリヒさんと全くタイプが違いすぎる。ローデリヒさん廊下を走るなんてしなさそうだし。
「……イーナ、父上がすまない」
「いえいえ。お元気そうでよかったです」
アーベルくんはローデリヒさんの腕に収まっていたけれど、私の姿を見るなり「あーたま!」と手を伸ばしてきた。可愛い。
ローデリヒさんからアーベルくんを受け取る。アーベルくんは今日も機嫌よくニッコニコ笑っていた。
あんまり泣いたりしないんだよね、この子。
「にゃんにゃん!」
「にゃんにゃんだね〜」
私の足元にいたローちゃんを指さして、はしゃいでいる。
「アーベルくんって結構よく喋りますよね」
「ああ。アーベルは天才だ。だが、まだカ行、サ行、ハ行、ラ行が言い難いみたいだがな。同じくらいの子供も似たようなものだから、これから話せるようになるだろう」
流れるように親バカを披露されたけど、振り返ってみると確かにアーベルからその行の言葉は聞いたことがない。
っていうか、キルシュライト語と日本語ほぼ同一視してるけど、今のところ全く問題ないんだよね。ずっと話してきた言葉って感じ。
「とーたま!」
今度はローデリヒさんの方へと手を伸ばしたアーベルくん。ローデリヒさんは『父様』と呼ばれてとても嬉しそうに顔を緩める。
そのままローデリヒさんに渡すと、ふと思い出したような顔を彼はした。
「そういえば遠征に掛かりっきりで、二周年の結婚祝いを出来ていなかった。一ヶ月と少し過ぎてしまったが……何か欲しいものや行きたい所はあるか?」
遠征って言われて部活を思い浮かべたけど、多分絶対違う。というか、結婚祝いとかしてくれるのか。マメだなあ。
「去年は何したんですか?」
「去年は図書室を作ったな。本が欲しいと言われたので、好きそうなものを集めてみた」
思わず言葉を失った。あの図書室、結婚一周年祝いのプレゼントだったのか……。王族のプレゼントの豪華さが庶民の感覚と違いすぎて話にならない。
「い、今思いつかないから今度で大丈夫ですか……?」
「分かった。思い付いたらいつでも言え」
財力あるからポンポンなんでも出来るのか……。流石王太子様だわ……。
ーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
夜中に目が覚めた。
初日はあんまり考えてなかったけど、一週間も続けば分かる。
やっぱりトイレの回数が増えている。ローデリヒさんの言った通りだった。
お陰でほぼ毎日ローデリヒさんを夜中に起こしてしまっている。どうやら仕事も忙しそうで、目の下に隈が出来ていた。本当にごめんなさい。
今日は特に深く眠っていたようで、私が上体を起こしてこっそりとベッドから降りても起きなかった。
ちょっと位、大丈夫だと思ったんだ。
スタンドライトが明るく照らす寝室から、廊下に出ることくらい。廊下も真っ暗な訳じゃない。
ひとつ飛ばしで燭台に火が点っている。すぐ隣に行くだけだ。何も問題はない。
ホラー苦手だけど、一週間も住んでいたら、流石にこの屋敷の雰囲気には慣れてきたし。
廊下へと踏み出す。辛うじて、足元が見えるくらいの明るさ。
なんだ、意外と怖くないじゃん。
ホッとした私の耳に、激しい水音が聞こえた。
聞いたことがある。これは雨の音。
湿っぽい匂いがする。空は夜に入る一歩手前。
足元は大雨でぬかるんでいた。
遠くの方から雨に紛れて、声が聞こえる。
知らない男の人達の話し声。いや、話し声なんかじゃない。もっともっと激しい、怒声。
私の周りにいた女の人がガタガタ震えている。必死に声を漏らさないように、口元を手で覆っている人もいた。ほとんど泣いている子もいる。
雨音が唯一の救いだった。私達の音を消してくれるから。
見つかっては駄目。
見つかったら終わってしまう。私の貴族令嬢としての全てが。
すぐ後ろで男の人の声が聞こえる。
一人、また一人、と女の人の悲鳴が上がる。
私の近くを走ってくれていた彼女達がどんどん犠牲になっていく。
悔しくて、辛くて、怖くて。
きっと頬を流れる熱いものは、決して雨粒なんかじゃなかった。
足元がぬかるみに囚われて、バランスを崩す。
慌てて手を近くの木の幹について、転ぶのを回避した。息が熱い。喉が焼け付くようだった。
けれど、男の人の手がすっぽりと私の手を覆い隠した。
ーー急いで死ななければ、と。
死ななければいけない。はやく。
手遅れにならないうちに。
急いで死ななければ。
どんな方法を使っても。
「ーーサ!!アリサ!!」
ハッと我に返る。目の前には必死の形相のローデリヒさん。私の肩を掴んで軽く揺さぶっていた。
廊下に出たはずなのに、いつの間にか私は部屋のバルコニーに出ている。何故か分からないけれど、手足がガタガタ震えていた。
「あ、……あれ?私一体何を……?」
私の間抜けな声に、ローデリヒさんは安心したように深々と息を吐いた。私の肩からパッと手を離す。
「よかった……」
「え、ちょ、なんだったんだろ、あれ?何が起こったの?えっ、自分が怖いんですけど」
「忘れておけ。怖ければ全部忘れてしまえばいい」
頭を抱えた私だったけど、ローデリヒさんは室内から上着を持ってきて掛けてくれた。
「ローデリヒさんは何か知っているんですか?」
「……知らない、と言えば嘘になる。関係者の一人だったからな」
流石に『暗い所が怖い』の意味が単なるホラーが苦手とか、そういったようなものじゃないのを理解した。
ローデリヒさんの手を振り払ったのもそうだ。
やけに生々しくて、まるで本当に過去にあったかのような。
「貴女は多くの事を忘れている。だが、それで良かったのかもしれない。前までの貴女は時々アーベルを見て口元を緩めるだけで、日々を空虚に過ごしている雰囲気さえあった」
ローデリヒさんはバルコニーで立ち尽くしている私の隣に立つ。彼が指を1つ鳴らすと、一気に庭に蛍のような光が満ち溢れた。場が一気に明るくなる。
多分暗い所が苦手な私に配慮したんだろう。
「わぁ……っ!」
「今の貴女は楽しそうにしている事が多い。表情も豊かになった」
光が蝶の姿を形作る。手を出すとひらひらと私の指先に乗ってくれた。
「そんなに前の私、元気なかったんですか?」
「そうだな……」
ローデリヒさんが目を伏せる。長いまつ毛が白い肌に影を落とした。
「私は貴女に簡単に人生を諦めて欲しくなかった。だから求婚したんだ。貴女がこの結婚に乗り気でないのは知っていた。……自分がやったことは本当に正しかったのかは分からない」
穏やかな海色の瞳が眼下の庭を映す。花々の周りに光が飛び散る光景は美しかった。
「キルシュライト王族は光属性の一族。幼い頃より国民を導く光であれと教わる。私も誰かの道を照らす、道標になりたかっただけなんだ」
何かを決めたように私の方へ向き直って、ローデリヒさんはふっとほんの少しだけ寂しそうに、柔らかく微笑んだ。
「今度、貴女の元婚約者が王城にやってくる。私も貴女の元婚約者もその妻も、全員が少なからず貴女の忘れるべき過去と関係している。
貴女は何かやりたい事があれば遠慮なく言うといい。もし貴女が私と別れたいと言うならば、離縁だって受け入れる。貴女の不利にならないよう、最大限に動くつもりだ。子供についての意向も聞き入れる。生活の保障だってする。
貴女は、ーー過去から離れた方が良いのかもしれない」
フラッシュバックのように甦る身に覚えのない記憶。
明らかに異常だって事は、自分自身でも分かっている。
忘れた方がいいとローデリヒさんは言ったけれど、私も知らない方が良いんじゃないかと思ってしまう。
だって、王太子様って離婚なんて滅多な事じゃないと出来ないんでしょ?
それに、だ。
私のまだぺったんこのお腹を触って父親の顔をしていた彼が、アーベルくんを可愛がって親バカしている彼が、簡単に子供を手放そうだなんて思わないはずだ。
これって、やっぱり相当の事だよね?
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