第7話 魔法は使えない?

 ミミズ字ーーじゃなかった。キルシュライト語の法則を見つけた私は、キルシュライト語表をちょくちょく利用しながらも、ほぼほぼ使いこなせるようになった。

 ローマ字みたいなものだから、慣れると早かった。


 学習を始めてから二日目。これって凄くない?

 私の適応力高すぎるわ……とか自画自賛してしまう。


 例えるなら、自販機の下に落ちた百円玉が取れた時のような達成感がある。あと一歩で届きそうで届かなかったけど、ようやく取れたみたいな。


 そして私はキルシュライト語表を手元に置きながら、毎日つけていたらしい日記を机上に乗せた。


 いやあ、人の日記って覗くのワクワクしちゃうよね!


 だって覗く機会なんて全くないんだし。今回だってほら、この状態の背景詳しく知りたいからだし。


 良い子は真似しちゃ駄目なやつ〜とか思いながら、私はウキウキして日記を開いた。


「ええっと〜?こ……の、け……」



 ーー『この結婚は必ず破綻する』



 闇を見た。私は思わず遠い目になる。

 一行目からとてもヘビィじゃん。朝から読むものじゃない。


 誰よワクワクするなんて言ったの。嫌な意味でドキドキだよこれ。私の事なんだけどね!


 この一文を見て、続きを読まない訳にはいかないので、再び集中する。



『この結婚は必ず破綻する。

 結婚式は明日。始まってすらないけれど、結末は目に見えている。


 相手は大国キルシュライト王国の王太子様。

 アルヴォネンは決して小国じゃない。でも大きな王国の王太子様から指名された縁談は、滅多な事では断れない。


 そして、私達側に利点しかない政略結婚だった。


 ローデリヒ様がアルヴォネンの社交界で流れる噂を知らないわけがない。

 火のない所に煙は立たないように、噂も全てが偽りじゃない。


 同情なんていらなかった。

 哀れみなんていらなかった。


 私は修道院にでも逃げ込んで、ただ静かに生を終えたかった。

 それが、貴族令嬢としての役割なんて到底担えそうにない私が取れる、最後の抵抗だった。


 ルーカス殿下との婚約が破棄された時、私が密かに喜んだことを、ローデリヒ・アロイス・キルシュライト殿下は知っているのだろうか?』



 社交界で流れる噂?……ぜ、全然分からない。

 というか、ルーカスって誰だろう。アルヴォネンっていうのは国……、アリサの出身地かな?


 一つだけ確実に言えることは、アリサがローデリヒさんとの結婚を望んでいなかったという事だ。


 貴族令嬢の役割もあまりよく分からない。ただ、アリサは貴族令嬢としての役割が担えないから、静かに生きたいって事だったのかな?


 情報量が足りなさ過ぎる。ゼルマさん辺りにそれとなく聞いてみようかな。


 ちょうどその時、部屋がノックされて気楽に返事をする。ゼルマさんだと思ってたけれど、声と入ってきた姿は全く知らない人だった。


 あれ、これつい最近にも同じような事をした気が……。


「失礼します。ローデリヒ殿下のご命令でお傍に侍る事になりましたヴァーレリーと申します」


 ワイシャツにベスト。丈の長い落ち着いた色合いの上着を羽織った子が現れる。栗色の瞳はパッチリしていて、女の子で言うところのショートヘアをしていた。


 すごく可愛い。え、女の子?男の子?どっち?

 ローデリヒさんと似たような服着てるから男の子かな?

 身長も私より少し高いくらい。たぶん年下かな?


「アリサっていいます。よろしくお願いしますヴァーレリーさん」

「ヴァーレリーで大丈夫ですよ」


 真顔で彼は言った。なんだか少し取っ付き難い感じがする。

 見るからに年下っぽいし、ヴァーレリーさんよりもヴァーレリーくん?ヴァーレリーちゃんの方が何故かしっくりくる。可愛すぎる。


「じゃあ、ヴァーレリーちゃんでいいですか?」

「ヴァーレリーちゃん?……あ、いえ、それで大丈夫です」


 自分で言ってなんだけど、よくヴァーレリーちゃん呼び許可してくれたね。


「えっと、ローデリヒさんの命令……って」

「はい。ローデリヒ殿下から奥方様のお傍に侍るようにとのご命令を賜っております。あと、魔法についての説明をするようにとも。記憶の件については、イーヴォーーローデリヒ殿下の護衛騎士共に伺っております」

「魔法?!」


 あの昨日の火の玉か!




 ーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーー




 さっそくヴァーレリーちゃんと中庭に出る。実はまだ中庭は窓からしか見た事がなかった。


 この屋敷はどうやら、周囲を高い塀で囲われている。塀には蔦が沢山生い茂っているけれど、塀自体はそれ程古くないみたいでまだまだ白い。塀の向こう側に城らしきものが近くに見える。


 一面芝生と色とりどりの花が咲いていて、手入れが行き届いている場所だった。


 犬とか猫とかが喜びそうだと、ローちゃんを引きずって庭に出したけど、あの猫は芝生の上にぐでんぐでんと寝転がっている。というか、ローちゃんがめちゃくちゃ重くて私は持ち上げられなかった。


 ヴァーレリーちゃんが妊婦に運ばせるわけにはいかないと、即代わってくれたけど、ひと運動したくらいの汗をかいていた。


 ローちゃんどんだけ重いの……。


「魔法についてですが、今奥方様はどの程度までご存知ですか?」

「火の玉だけしか見たことないかな?」

「火の玉………………もしかして、コレですかね?」


 少し悩んだヴァーレリーちゃんが手のひらを上に向ける。


 その数センチ上に光が集まり始める。小さな蛍のような淡い光。それが幾つか集まって、ピンポン玉位の大きさの光が現れた。ふわふわと浮かんでいる。


 LED電球位の光量の火の玉だ。明るい所で見れば全く怖くない。というか、すごい超常現象。超ファンタジー。


「そうです!これこれ!」

「これは《魔灯ライト》と呼ばれる暗い所を照らすだけの魔法です。要するに、奥方様は魔法についての知識はほとんどないということですね」

「はいそうです」


 背筋を伸ばして頷く。オカルト系には詳しくないんだよね。

 ヴァーレリーちゃんが軽く手を振ると、火の玉は跡形もなくなった。


「まず第一に、魔法という現象には魔力というものが必要になります。

 魔力は万物全ての源。魔力で構成されていないものはありません。奥方様も、私も、魔力で身体は作られています」

「原子みたいだ……」

「ゲンシ?」

「あ、ごめんなさい。こっちの話しです」


 ポツリと呟いた言葉を拾ったヴァーレリーちゃんは首を傾げていたが、そのまま続きを話す。


「魔力は属性というものを帯びていて、その力でその人の使える魔法が違います。

 例えば先程使った《魔灯ライト》。これは光属性を持つ人のみが使えて、光属性を持たない人は使えません。

 属性は一属性しかない人もいれば、複数属性を持つ人もいます。時には珍しい属性や、魔物でしか確認されていない属性もあり、その数は理論上では無限にあると言われているんです」

「えっと、持ってる属性と使いたい魔法の属性が合っていれば、その魔法が使えるってこと?」

「そうですね。そのように捉えていただければ」


 私の言葉に頷いたヴァーレリーちゃんは、次は妊婦についてですが、と前置きをした。


「妊娠中は胎児の身体が魔力で作られています。母親の魔力を使っているので、母親の体の変調が起こるのです。

 なので、妊娠中は基本的には魔力を使わないようにしてください。ただでさえ、常に魔力を使っているようなものです」


 ファンタジーだと思ったのに、まさかの魔法使えない宣言。とても悲しい。


「お腹に妊娠の証が出ておられると伺っているのですが、あれは母親の魔力がスムーズに胎児へと行けるようにする為の身体の反応なのです」

「へ、へえ……、そんな意味が……」


 見栄えよくないとか思ってごめん。

 なんか臍の緒みたいな役割なのかな?


「ちなみに妊娠の証の色は、その人が持つ属性の中で一番持っている割合の多い属性です。奥方様は何色でしたか?」

「ピンク色だったかな」

「その色は精神属性ですね。かなり珍しい属性です。一カ国に一人いるかいないか、といった所でしょうか」

「せいしんぞくせい?」


 オウム返ししか出来なかったけど、ヴァーレリーちゃんは詳しく解説してくれた。


「ええ。人の精神に干渉出来る属性です。魔法の種類はあまり多くないのですが、人に対して好印象を与えるように操作したり、人にトラウマを植え付けたり出来るそうです」

「怖っ!!」


 なにその物騒な属性。


「ハニートラップしやすくなるので、歴史上に有名な傾国の美女が持っていた属性と言われています」

「えっ、怖」

「妊娠中は使わないようにして下さいね」


 いやそんな物騒な魔法、妊娠してなくても使いたくない。


「魔法を使っていなくても、たまに魔力切れを起こして倒れてしまう方がいるのですが、この場合は父親の魔力で補うことになります。なにか不調がありましたら、遠慮なくローデリヒ殿下に仰って下さい」

「でもローデリヒさん忙しそうじゃない?大丈夫?」


 王太子様なんだし……、って思っていたら、凄まじい形相でヴァーレリーちゃんは私と距離を詰めてきた。


「何仰っているんですか。王太子殿下の御子ですよ?何かあったら一大事です。第一、王族の血を引く御子よりも大事な執務なんてありません。

 奥方様、大切なお身体です。何かあってからでは遅いのです」


 そっか。そうだよね。

 人の命よりも大事な仕事なんてないよね。

 初めて聞く仕組みだったから、イマイチ事の重大さが分からない。


「……そうですね。ごめんなさい。気を付けます」

「いえ……、申し訳ありません。私こそ分を弁えていませんでした。記憶が混乱されていても、大事なお身体に代わりはないので、お気をつけ下さい」


 ヴァーレリーちゃんが深々と礼をする。

 やっぱり私、この状況をどこか他人事のように思っている。


 妊娠の心当たりは勿論、ファーストキスだってまだだし、彼氏すら出来たことない。

 結婚はまだまだ先にするものだと思っていた。思っていたのに、いつの間にかしちゃってた。


「いえ、私の実感がないからなんだと思います。なんだか、少しここでの当たり前が、私の中の当たり前と違うみたいで」


 苦笑いをこぼす。お城にしたってそうだ。


「私、王太子様と王太子妃様ってお城に住むものかと思ってましたし……」


 現実は二階建ての立派なお屋敷だ。図書室もあるし、とにかく広いし、部屋数とんでもなくありそうだけど。

 私の言葉にヴァーレリーちゃんは首を横に振って、塀の向こうの城を示す。


「いえ、通常王太子殿下と妃殿下はあちらの王城に住みますが……」


 …………んっ?んんっ?

 えっ、それじゃあこの屋敷は一体何?

 そしてこの塀は何?


 なんだかすごく……、隔離されている感じがします。


 目の前に立ちはだかっている物理的な壁を見上げていると、舌っ足らずな声が庭に響いた。


「あーたま!」


 ヴァーレリーちゃんと共に声の方へ向くと、ぷくぷくとした真っ白な肌に薄い金髪のちっちゃい子供ーーいや、まだ歩けるようになったばかりの赤ちゃんがいた。


 真っ直ぐ私の方へ両手を突き出して、ニッコニコ笑っている。


 胸がとても苦しくなった。可愛すぎて。


「はうっ?!えっ、えっ、ちょっと待って、なにあのめちゃくちゃ可愛い赤ちゃん。え、めっちゃ可愛い。え、なに天使?え、誰の子?可愛過ぎない?」

「ローデリヒ殿下の第一子、アーベル殿下です。少し前に御年一歳三ヶ月になられました」

「マジか。ローデリヒさん子持ちか」


 まだ少し足元がおぼつかないような調子だけれど、大丈夫みたい。後ろにいる二十代半ば位のお姉さんが、優しい顔をしてアーベルくんを見守っている。


 私もアーベルくんの可愛さに悶えながら、しゃがんで恐る恐る近寄るとニコニコと上機嫌そうに抱き着いてきた。


 何この子、めっちゃ可愛い。


 高い体温と子供特有の匂いが伝わってくる。すごく機嫌よくキャッキャとはしゃぐアーベルくんは、ペタペタと私の頬を触る。


 その様子を見ていたシンプルなドレスを着たお姉さんは、しゃがんで私に挨拶をしてきた。


「おはようございます、奥方様。私はイーナと申します。記憶の件については、ゼルマ様から伺っております。ご無理をなさらず、お大事になさってください」

「ありがとうございます。イーナさん」


 お団子にした栗色の髪。紫色の瞳が優しい色をして私とアーベルくんを映した。


「アーベル様も奥方様に会えて大層喜んでいらっしゃいます。……ですよね?アーベル様」

「あうー」


 アーベルくんなんか言っているようだけど、全然分からない。分からないけど、とにかく可愛い。

 すぐに興味が違う事に移ったのか、今度はローちゃんを見つけて指さした。


「にゃんにゃん!」

「そうだね〜。にゃんにゃんだね……ってちょ、えっ、私もついて行く感じ?!」


 服を引っ張られて、アーベルくんについて行く。

 この日はアーベルくんが疲れきって寝ちゃうまで、散々振り回された。胸はキュンキュンしっぱなしだった。

 ちなみにマイペースそうなローちゃんもめちゃくちゃにされていた。


 赤ちゃん意外と体力あるのね……。

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