第19話 トモガラ

 逆光で視線の先に立っている男が誰なのかよく見えない。だがその声は聞き覚えがある。間違えるはずがない……顔を見なくても、すぐに分かった。

 ――麻ちゃん

 今にも春の目からは涙が零れそうだった。


「よう、四方田。おめおめと出てきやがって」


 足が震えた。だがそれを隠すように、拳を握り締め、太腿を強く叩いた。


「男に二言はねぇよな」


 男はさらに恐怖を煽ってくる。


「ああ、全て俺が引き受ける。だからその手を放すんだ」


 男は春から手を放し、両手を上げた。


「分かっていると思うが、次逃げたらそいつを殺すからな」


「もう逃げない。俺はそう決めたんだよ」


 支えが亡くなった春はその場に尻餅をつき、近づいてくる四方田を見上げた。


「なんでこんな場所に?」


「こんな場所、こんな時間だから俺はここにいるんだ」


 精一杯の引きつった笑みを浮かべ、手を差し伸べる。小学生の時とは何もかもが違う、だが春の目にはあのとき憧れた強き四方田が映っていた。


「麻ちゃん、一緒に飲もうと言ったじゃないか」


 体を引き上げられ、目線を合わせながら春がそう言った。


「悪いな、その願いは叶えられそうにない。お前にも色々、迷惑をかけちまった。これは俺のケジメなんだ」


 四方田がそう言うと、男が肩を叩いた。


「あっちに車を用意してある。来るんだったら早く来い」


「春、もう行くよ」


 そう言うと、握っていた春の手を放した。


「麻ちゃん、きっともう一度会えるよね」


「ああ、きっとな」


 これが四方田のついた三度目の嘘だった。男二人に腕を拘束され、連行されていく四方田。その姿を涙に耐えながら、じっと見つめていた。いつまでも自分の部屋に戻らず、その場で立ち尽くしていた。ミニバンの後部座席に乗せられた四方田は一度も振り返らなかった。

 エンジン音が閑静な住宅街に響き、ゆっくりと動き出す。

 春は去っていく車が見えなくなるまで眺め続けていた。


 大通りの曲がり角、路地からは死角になる場所に一台の車が停まっていた。


「篠月さん、終わりましたね」


 助手席の窓から一部始終を見届けた里香がそう言った。運転席には篠月が乗っている。手には「四方田麻徒」の名前が記載された契約書を携えていた。


「人は結果が怖いから踏み出せないんだ。そこに結果が無ければ、なんだって出来る。未来があるから、怖いし、未来があるから希望を持てることだってある」


「四方田は結果的に借金を踏み倒すことになりましたけどね」


「それも結果に過ぎない。だがこの契約書はその結果すらも消し去ってしまう。それが存在を無かったことにするということだ」


 篠月はそう言うと、指を鳴らした。高い音が車内に響き、契約書は燃えて消えた。深夜一時過ぎの大通り、車はまばらで実に静かだった。

 その道を一台の乗用車が駆け抜けていく。あまりスピードは出さず、夜風を切りながら。


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消し去る前に マムシ @mamushi2001

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