二章 トモガラ編

第8話 トモガラ

 雲一つない青空に違和感を覚えた。田宮里香の目線の先には高層マンションの屋上があった。

 篠月の事務所に出勤する途中の出来事である。理由もなくふと空を見上げた。そのときにただただ屋上が目に入ったのだ。

 都会を代表するかのようにそびえたった摩天楼。コンクリートと青空の境界線に黒い人影が見え隠れする。

 鉄柵の外。片足が飛び出している。ゆらゆらと揺れる靴が雲がかかった太陽の光に照らされ、淡く光っていた。

 里香は即座に走り出した。獲物を前にしたチーターのように、衝動的に足を動かした。

 名も知らぬ高層マンションの入り口付近に足を進めると、ガラスに手を突き、エントランスを眺めた。見た限りではオートロック式で部外者が立ち入ることは出来ない。

 一歩下がり、周りに侵入する手段がないか模索する。すると建物の脇に設置された非常階段が目に入った。ステンレス製の扉は鍵も閉まっておらず、風で揺れ動いていた。

 里香はすぐさま非常階段に向かった。半開きになった扉を勢いよく開け放ち、駆け上がった。先は長いが終わりがないわけでは無い。息を切らし、一段を飛び越えながら屋上を目指した。


 道行く人だかりはその黒い人影に気が付いていない。このような昼間、都会の真ん中で空を見上げる人間などそうそういないのだろう。

 篠月の下で働くようになってから人の死に敏感になった。自殺だけではない。病気や事故死。占い師の言う死相に似た何かが見えるようになった。

 それだけではない。自分が見えない力でそういった輩に惹きつけられていると感じる出来事が多々あった。

 これも職業病に含まれるのだろうか。自殺に対する嗅覚がどんどん篠月に似てきている。

 自殺者を見つけては声をかける行為。一見すれば慈善事業のようだが決して、お人よしではない。営業マンが契約を一つでも多く獲得するため尽力するように、露店の店主が一人でも多くの客を呼び込めむように、いまの里香にとってはこれが仕事なのだ。

 汗を滲ませ、肩で息をする里香が最上階に到着する。屋上に繋がる扉に手をかける。こちらも同様に鍵はかかていない。ノブを捻ると、重い扉が開いた。

 里香の鼻腔に開けた屋上の空気が吸い込まれる。

 屋上を見渡し、影の真偽を確かめようとすると、男の声が聞こえてきた。


「お前もか」


 男は鉄柵にもたれて座っていた。片膝を立て、里香のほうをじっと見つめている。


「だったら首を吊ったほうがいいぜ。飛び降りるのは足が震えてダメだ。そんな連中を何人も見てきた。まぁここから飛んだ奴はいねぇがな」


 男は眉を上げ、鉄柵の外を目で示した。


「あたしはあなたが考えていることをやりに来た人間ではないわ」


 長い髪の毛をなびかせ、男を見下ろすように見つめた。


「じゃあなんだ? 日向ぼっこでもしに来たのか。それには少し雲が多すぎる気がするけどな」


 男は空を仰ぎながら言った。


「一人の自殺者を減らすためよ」


 里香がそう言うと、男は笑った。


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