第4話 到着
十星(じゅっせい)大学。
もともとは女子大だったそうだが、ここ数年の少子化の影響で、数年前から共学になった大学だ。
偏差値的には、お世辞にも恵まれている、とは言い難い大学だったが、女子大だった頃には、自由な雰囲気と、様々な分野について学べる学部が多かったらしい。
が、共学になり、新理事長が就任してからは、偏差値を上げ、良い就職先に就職する、という事にばかり重きがおかれ、いくつかの学部が閉鎖に追い込まれてしまったらしい。
「……」
そんなこの十星大学のキャンパスの入口に、焔は無言で佇んでいた。
時間は午前九時半。
既に授業が始まっており、学生達は教室にいる時間だ。
だから焔が構内をうろついていても、学生達と顔を合わせる事は無い、調査をする上でも、その方が楽だろう、という、あの中里の配慮だった。
焔は黙ったままで、キャンパスに向かって歩いて行く。
「ようこそ、十星大学へ」
キャンパスに入ると、既に中里が待っていた。昨日とまったく同じスーツ姿だ、今日はあの荷物は抱えていない様子だが、それでもやはり、何処か疲れた表情なのは、何か原因があるのだろうか?
まあ、どうでも良い事だ。
「……どうも」
焔は軽く会釈をし、そして中里を見る。
「……それじゃ、早速捜査へ」
焔が言いかけると、中里は疲れた表情を、より一層曇らせる。
「……その事なのですけれど……」
中里は、ややうつむき加減に言う。
「……」
焔は何も言わない。
ややあって……
「まずは、理事長室へ、うちの理事長が……どうしても貴方に話をしたい事がある、と」
「……」
焔は、まだ黙っていたけれど、恐らくこの『理事長』からの話、とやらが、決して良い物では無い、という事と……
彼女の疲れた表情は、どうやらその理事長が原因である、という事は、何となく察しがついた。
「……良いでしょう」
焔は、言う。
いずれにしても、この大学を調べるのに、理事長からの許可が無くてはダメだろう。
「案内を、お願いします」
理事長室は、この大学のキャンパスの真ん中にあった、もともと別な部屋だったのだけれど、今の理事長になってから、この場所に移されたらしい。
焔は、中里の案内で理事長室の前に、ゆっくりと立った。
こん、こん、と、中里が心底嫌そうに理事長室の扉をノックする。
「……中里です、理事長、探偵の方を、お連れしました」
『どうぞ』
部屋の中から男の声がする。
「失礼します」
中里が、ゆっくりと扉を開ける。
「……ようこそ、十星大学へ」
部屋の中に入った焔を見て、奥にある窓際に置かれた机に座っている男が、立ち上がって言う。
さっきの中里と同じ台詞なのに、その口調と表情は、胡散臭いものを見る目だった。
「……どうも」
焔は、軽く会釈する。
「……君かね? うちで起きている妙な事件を調査しに来たという『探偵』は?」
男が言う。
焔は黙って頷いた。
「……」
中里が、軽くため息をつくのが聞こえた。
自分の事はどうやら、中里が『探偵』という風に紹介してくれたらしい、まあ確かに、『霊能者』などと言ったところでこの男は信じないだろう。
「……」
焔は、男をじっと見る。
綺麗に禿げ上がった頭、顔にかけられた四角い眼鏡の向こう側では、小さい目が神経質そうにぎょろぎょろと落ち着き無く動いている、身につけている薄い灰色のスーツとネクタイは、それなりに高価な物だ、という事は解るが、この男には合っていない。
「まあ、そんなところです」
焔は、男に向かって言う。
「……その事だがね」
男は、じっと焔を見て言う。その目が明らかに不審者を見る目だ、という事に、焔は気づいたけれど何も言わなかった。
『探偵』という表の顔で、この手の眼差しを向けられた事は何回かあるし、『霊能者』という『仕事』をする上でも、こういう目を向けられる事はある。
「こういう場所は、非常にデリケートなんだ、多感な年齢の少年、少女が沢山いる」
男が言う。
「……」
大学生は、もう『少年』とも『少女』とも呼べないとは思うけれど、焔は黙っていた。
「そんな中を、部外者……特に、『探偵』なんていう、あまり一般的で無い職業の人間が歩き回ると言うのは、非常に問題なんだ」
男は、何も言わない焔を見て何を思ったのか、さらに続けた。
「そうですか」
焔は頷く。
「……君には申し訳無い、とは思うのだけれど、当大学で起きている不審な事件は、所詮は一部の学生達が話している、単なる噂に過ぎない、所謂『学校の怪談』というものと変わらないよ」
「理事長……」
中里が口を開く。
「実際に、例の……その……『不審なもの』に、攫われそうになったという学生がいる、と、昨日お話したはずです」
だが男、理事長は、その言葉に中里をじろり、と睨み付ける。
「誰が、それを目撃したのかね?」
その問いに、中里は口ごもる。
「……それは……」
「誰もそんなところを見ていないし、何よりもそれが、一体何学部の誰なのかすら、君は知らないんだろう?」
理事長のその言葉に、中里は項垂れる。
その中里に向かって、ふんっ、と鼻を鳴らしながら、理事長は改めて焔に向き直った。
「残念ながら調べるまでも無い事だよ、学生達の噂が、ほんの少し騒ぎを大きくしてしまっただけさ」
理事長が言う。
焔は、まだ黙っていた。
「そう言うわけで、君が調べるまでも無く、この大学には何もありはしないよ、だから、せっかく調査を引き受けてくれたのに申し訳無いのだけれど、依頼はキャンセルとさせて欲しい」
「理事長!!」
中里が、大声を張り上げた。
「静かにしたまえ、中里君」
理事長は、じろりっ、と中里を睨み付けると、ぴしゃりと言い放つ。
「……っ」
中里は、ぎりっ、と歯ぎしりして俯いた。
そして……
その目が、焔にちらり、と向けられる。
「……解りました」
焔は、のんびりとした口調で言う。
「っ」
中里は、その言葉に息を呑む。
「確かに、理事長先生が仰られる事は道理です、俺は……」
焔は、軽く両手を広げて自分の姿を見る。
白いスーツに白いズボン、その下には白地のワイシャツ、全部が白一色なのは、この方が依頼人を安心させられる、と思ったからだが、鋭い目つきと相まって、あまり堅気には見えない。加えて……
「……」
理事長の目が、先ほどからずっと焔の右肩の後ろに向けられている事にも、既に気づいている。
麻布にくるまれた長い刀、それは焔が『妖怪』と戦う際にいつも持って来る『武器』だ。
そのおかげで、焔はどう見ても堅気には見えない。初対面の人間が畏怖するのは当然だろう。
「……俺は確かに、堅気ではありません、こんな奴が構内をうろついていたら、学生達に、そして……」
焔は、じっと理事長を見る。
「この大学に、どんな悪影響を与えるか解らない」
「……っ」
その言葉に、理事長は一瞬鼻白んだ顔になる。
そう。
この男が気にしているのは、学生達の事では無く、結局はそういう事だろう。
自分の様な、あまり堅気に見えない人間が歩き回り、この大学の評判に傷が付けば、入学希望者や、今後の学校運営に悪影響が出てしまう、嘘か本当か解らない、実害も出ていない『学校の怪談』で、そんな事をする訳にはいかない、と言う訳だ。
「では、俺はこれで失礼しましょう」
「ちょ ちょっと待って下さい」
慌てて中里が言うのを無視して、焔は黙って理事長に一礼すると、ゆっくりと踵を返して扉を開け、廊下に出る。
中里が、バタバタと後を追いかけて来た。
「天道さん!!」
中里が後ろから呼びかけるのを無視し、焔はさっき来たキャンパスの入り口まで戻り、そこで足を止める。
「天道さん!!」
中里が呼びかける。
焔はそこで、ゆっくりと振り返る。
追いついて来た中里が、焔に何か言おうと口を開きかける。だけど焔はそれよりも早く、片手を上げて中里の言葉を制した。
「まずは……」
焔が言う。
「例の、学生攫われそうになった場所を見てみたいんですけど?」
「……えっ?」
中里がその言葉に、きょとん、とした顔になる。
「ですから、学生が攫われそうになった場所ですよ、この大学の構内なんでしょう?」
焔は、じっと中里を見て言う。
「……そ それは、はい……確かに、この大学の中ですけど……」
中里が頷きながら、ゆっくりと……
ゆっくりと、上目遣いに焔の顔を見る。
「あ あの……」
「……あの場で言った事は、もちろん嘘です」
焔は、はっきりとした口調で言う。
「う 嘘……?」
「ええ、俺はこの大学から引き上げる気はありません、今は、ですけどね」
焔は言う。
「……そ それじゃあ……」
中里が、ぽかん、とした顔で問いかける。
「あの場では、ああでも言わないと、なかなか部屋から出しても貰えなかったでしょう? だから、とりあえずはああいう風に言っただけです」
焔は言う。
「……」
中里は黙り込んだ。
「うちの事務所の規定でね」
焔は、軽く笑って言う。
「『依頼』を取り消せるも、継続させるのも、全ての権利は『依頼人』にしか無い、つまり、俺に調査を継続させるか、理事長の言葉通りに俺を帰らせるか、全ての決定権は『依頼人』である貴方にしか無い、という事です」
焔は、じっと中里を見る。
「で、どうしますか?」
「……」
中里は、頷く。
「お願いします、この大学に、何がいるのか、調査して下さい、理事長は……どうにかして誤魔化しますから」
その言葉に。
焔は、フッ、と微かに笑った。
「了解しました」
そして。
焔は改めて、中里に言う。
「ではまずは、この大学の学生が攫われそうになった、という、その現場を見せて下さい」
「はい」
その言葉に、中里は頷いた。
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