第3話 依頼

 応接用のソファーに腰を下ろした女の向かいに、焔も、ゆっくりと腰を下ろす。

「まずはお名前から伺いましょう」

 焔は、なるべく穏やかに聞こえる様に言う。

 『探偵』という、客を相手にする商売で、自分の愛想の無さはかなり不利だ、という事は理解してはいるけれど、どうしても生来、他人に対して優しくする事、穏やかな口調で話すことは苦手だった。

 だが女はあまり気にしていないらしい、微かに震える手で、ゆっくりと名刺を差し出す。

「中里です、中里紀子(なかざのりこ)……」

 女が言う。焔は何も言わずに、黙って女がテーブルの上に置いた名刺を手に取る。

「……大学の教授、ですか」

 焔は、じっと女の顔を見る。

「……はい」

 女は、おずおずと頷いた。

 焔は、大学の名前を見る。この街に、つい数年ほど前に出来たばかりの大学だ、焔も何度か近くを通った事があるけれど、まだ建物も比較的新しく、トラブルなども特には無い。

 そんな大学で、事もあろうに『妖怪退治』の方の『依頼』とは、焔は意外な表情で、じっと女を、中里紀子を見た。

「それで、一体何が起きているんです?」

 焔は問いかける。

「……はい、実は……」

 女は、居住まいを正した。気が落ち着いてきたのか、それとも『依頼』の内容を、きちんと話すべきだ、と思ったのか。


「……半月ほど前から、でしょうか、大学のキャンパスの中で、不審な物音が聞こえる様になった、と、数人の学生達が噂していたんです」

「……」

 焔は何も答えない。

 中里の話は続いた。

「その時は、さすがに学生達の噂だろう、と、誰も気にしていなかったのですが……」

 中里は言う。

「数人の学生達が、構内で奇妙なものを目撃したんです」

「奇妙なもの、ですか」

 焔は言う。

「はい」

 中里は頷いた。

「それは一体……」

 焔は問いかける。

「……見た学生の話では、その……大きくて細長い、植物の蔓の様なものが、構内で蠢いていた、と」

「……」

 焔は、黙っていた。

「……学生達のオカルト話だ、と、うちの理事長などは特に気にもしていなかったのですが、あまりにあちこちで、同じ物を見た、という報告が相次いでいまして……」

 中里は、そこで目を閉じる。

「そして最近では……」

「……」

 焔は、じっと中里の顔を見る。その目が不安そうに揺れていた。

「最近では、その蔓の様な物が伸びて来て、学生達を……何処かへ引きずっていこうとした、と」

 中里は、目をぎゅっ、と閉じて言う。

「……それが本当なのか、私は現場を見ていないので解りませんが、もしも……」

 中里は、目を閉じたままで言う。

「もしもそれが、事実で、本当に……」

 中里の声が、どんどんと小さくなっていく。

「本当に、誰かが攫われてしまったら、と思うと……」

「……」

 焔は、黙っていた。

「どうか、お願いします」

 中里は、深く頭を下げた。

「せめて、うちの大学内に『何が』いるのか……あるいは……」

 中里は、顔を上げて焔を見る。

「あるいは、いないのか、せめて調査だけでも、お願いしたいんです、そしてもしも……」

 中里が、ぎゅっ、と拳を握りしめた。

「もしも本当に、うちの大学の中に『何か』がいるのであれば、それを……」

 中里は、真っ直ぐに焔を見る。

「それをどうか、退治して下さい、お金は……あんまり無いですが……」

 中里は、頭を下げる。

「お願いします」


「……」

 焔は、黙って中里を見ていた。

 久しぶりの『依頼』だ。ここ最近、この事務所の家賃を何ヶ月も滞納しているし、酒も煙草も切れてしまっている。それ以前に、これ以上まともに食事も出来ない毎日が続けばいずれ餓死してしまう。引き受けない理由は無い。

 だけど……

 何かが……

 何かが、焔の胸の中に引っかかる。

 何か……

 この『依頼』を受けると、焔にとって何か……

 何か、大きな出来事がある。

 それが良い事なのか、悪い事なのかは解らないが……

 『妖怪退治』を生業とする焔が持つ『霊能力』。

 『霊感』とでも言うべき物が、そう告げていた。

 だが……


「良いでしょう」

 焔は、告げる。

「明日、そちらの大学に伺いましょう」

「ほ 本当ですか!?」

 中里が嬉しそうに言う。

「ええ」

 焔は頷く。

「ひとまずは、何がいるのか『調査』をさせて頂きます、そしてもしも、何かがいるのが判明した場合は、それを……」

 焔は、中里に頷きかける。

「ありがとうございます!!」

 中里が嬉しそうに言って、もう一度頭を下げる。

「いえ、まだ何も見つけてませんから」

 焔は軽く笑って言う。

「それは……そうですけれど、うちの理事長とかは、本気にしてくれなくて……」

 中里は困った様に言う。確かに、そんな荒唐無稽な話を信じる人間はいないだろう。

 生徒が攫われそうになった、と言っても、はっきりとそれを見た者もいないのだ。それでは確かに、大学側も動きはしないだろう、警察などに介入されれば、イメージもあまり良くない。

「だから……街で噂を聞いて、『そういう事』を調べてくれるっていう方に……大学側からの『依頼』では無いので、あまり多くお金はお支払いできませんけど……」

 中里が言う。

 焔は、軽く苦笑いした。

「まあ、報酬に関しては、『依頼』を果たしてから改めて、という事で……」

 焔は言い、そこでふと、思い出した様に中里の顔を見る。

「……ところで、一つだけお聞きしたいんですが……」

「は はい?」

 中里が、いきなり口調を変えた焔に、居住まいを正す。

「俺の事は、誰から聞きました?」

 焔は、じっと中里を見る。

「……水城(みずき)、という、占い師の女性ですけど……?」

 その言葉に、焔はふん、と鼻を鳴らした。

「あのインチキ占い師か……」

 焔は、少し不快そうに呟いて、ゆっくりとソファーから立ち上がる。

「あの、どなたに聞いたか、という事が、何か問題に……?」

 中里が不安そうに問いかける。

「いえ、別に、一体何処で俺の事を聞いたのか、気になっただけです」

 焔は言いながら、ゆっくりと仕事用のデスクに向かう。

「とりあえず明日、そちらの大学に伺います」

「あ、は はい、よろしくお願いします」

 中里が頭を下げる。

「大学内を調べる事になるので、何か必要な事があれば……」

「あ、はい、理事長には私が話しておきます、それから……」

 そのまま、大学構内の地図などが書かれた資料などを貰い、来訪する時間などを取り決める。


「では、明日……」

 焔が、言う。

「はい」

 中里は、頷いた。

「よろしくお願いします」

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