おこぼれ偽装本命チョコ
心音ゆるり
おこぼれバレンタイン
「嬉しいか嬉しくないかで言えば、前者に傾くことはたしかなんだけど、やっぱり面倒……なんて言ったら他の奴にぶん殴られそうだ」
一週間前あたりから今日にいたるまで、クラスの空気がもう甘いのなんのって……嗅覚的にも雰囲気的にも。
ホームルームまでまだ少し時間はあるが、すでに俺の机の上には、幸か不幸かそこそこの数の義理チョコが鎮座している。だが、俺はニマニマするどころか、その企業の商業戦略の成果に眉を寄せていた。
うちの高校は特別頭の良い進学校ってわけでもないから、勉強よりも遊びを優先するのは別に不思議じゃない。ましてや青春真っ盛りの高校二年ともなると、バレンタインなんて年に一度のイベントには、腹を空かせた肉食獣のごとく食らいついていくのが基本のムーブだ。
「そんな捻くれたこと言うなって。一日中そわそわして過ごして、家に帰ってかーちゃんからチョコ貰うだけよりは嬉しいだろ?」
俺の隣の席、小学校からの付き合いである亮太が爽やかに言う。
亮太の机の上には、それはもう大量のチョコが並べられていた。クラス一番どころか、おそらく学校でトップの数だと俺は推測する。
手作りチョコはもちろん、誰もが名前を知っているような有名店のロゴが入ったモノや、ラブレターらしき手紙が添えられているモノまで内容は様々だ。俺のテーブルにあるチ〇ルチョコやブラッ〇サンダーとは大違いである。
「お前が無駄にモテるせいで、俺にまで被害がきてるんだぞ。今からホワイトデーが憂鬱なんだが。忘れないように相手の名前をメモしておかないといけないし」
「はっはっはっ! 相変わらず律儀な性格してるな誠一は。まぁ近くなったら一緒に買いに行こうぜ!」
どうやら俺の陰鬱な気持ちは察して頂けないようで、亮太は快活に笑って俺の肩をバシバシと叩いた。お返しに顔面を殴ってやろうか。そうしたらバレンタインのチョコの数も少しは減るだろうか?
「……この中のどれか一つでも、『おこぼれ』じゃないものが混じっていれば気持ちも違うんだろうがなぁ」
実際に顔面を陥没させるような真似はせず、亮太のことはいったん無視して、俺はため息とともにそんな言葉を漏らした。
俺がバレンタインデーを毛嫌いしている理由というのが、まさにこれ。現在俺の机の上にあるチョコたちは全て、隣に座るイケメン野郎の『おこぼれ』なのだ。
俺は亮太とつるむことが多くて、女子からこいつが話しかけられていると、自然と俺も会話に参加する形になる。たぶん亮太に好意を持つ女子たちも、俺とある程度仲良くなっていた方が都合が良いと考えているのだろう。そんな打算ばかりではないとは信じたいが。
今年も本命はゼロだろうな……と肩を落とし、バッグの中にチョコをしまっていると、亮太の元にまた一人クラスの女子が現れた。別にそのこと自体は今日に限らずまったく不思議ではないのだが、やって来た人物が意外だったのだ。
俺は驚きのあまり、呆けた表情で固まってしまう。
「はい、松原くん。これバレンタインのチョコね」
そう言って亮太にバッグから取りだした市販の板チョコを手渡すのは、このクラスの学級委員である柏木涼香。
「……お、おう。びっくりした――まさか柏木さんから貰えるとは思ってなかったよ」
口には出さないが、俺も心の中で亮太と似たようなことを思っていた。まさかあの柏木さんがこんな浮ついたイベント事に参加するなんて――と。
柏木涼香。
誰もが認める優れた容姿、そして文武両道――とは言わないが、少なくとも学力はなぜこんな学校に来たのかわからないほど優秀だ。運動に関しては残念ながらポンコツ。
頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、すべてに気を遣っているような完璧超人。身なりには十二分に気を遣っているが、色恋沙汰には興味なし――というのが俺が彼女に持つ印象である。
いったいどんな生活と手入れをすれば、あんなに髪がつやつやして肌荒れの一つもないのか摩訶不思議だ。
「クラスのみんなだって松原君にチョコあげているのだし、別に普通でしょう? たまにはこういう学生らしいことをするのも悪くないかなって」
「へぇ……まぁ、ありがとな」
「どういたしまして。こういうイベントに参加してみたかっただけだし、お返しは別に気にしなくていいから」
「ははっ、了解」
そう言って、彼女たちの会話は終了。
柏木さんもこういうイベントに興味あったんだなぁ……とぼんやり考えていると、彼女の顔と視線が勢いよくこちらを向いた。――と思ったが、なぜか視点が定まらず、あちらこちらに黒目が動き回っている。
「く、クラスのみんなも、松原くんに渡すついでに田中くんにもチョコをあげていたみたいだし? 私もみんなと同じように用意しただけだから。別に他意なんてないしましてや本命だなんてことは天地がひっくり返ってもありえないわけだけど、まぁせっかく作ったモノを捨てるのも勿体ないし、せっかくだからあげるわ」
「…………ん?」
早口過ぎて内容があまり頭に入ってこなかった。
だけど最後の方に「作った」って言葉があったような気が……亮太のおこぼれだとすれば、板チョコ以下のクオリティのモノが貰えるはずなのだが。
俺が困惑していると、彼女は背中を丸め、まるで違法な薬物の受け渡しでもするかのように、周囲をきょろきょろ見渡す。そして通学バッグの中から、ピンク色のリボンで丁寧に結ばれた、手のひらサイズのクリアパックを取りだした。その中には、ハート形のチョコがいくつか入っている。
ぐい、と押し付けられるように渡されたそれを、俺は慌てて受け取った。
「……え? これ手作り……? 俺と亮太の逆じゃない? 間違ってない?」
俺は両手で水を掬うようにチョコを持ち、柏木さんに問いかける。
柏木さんに渡されたチョコは、市販品として売っていてもおかしくないほど綺麗にハートがかたどられている。だが、手作りらしいカラフルなデコレーションも施されていて、料理に関心のない俺でも手間をかけて用意されていることが見て取れた。
「そ、それで合ってるわよ! それは――そう! し、失敗したの! 失敗したチョコだから、仕方なく田中くんにあげるのよ! 文句ある!?」
「え? めちゃくちゃ綺麗じゃね? これで失敗なの?」
俺と柏木さんの会話に、亮太も参戦してくる。俺もこのチョコが失敗作だとはとても思えない。というか「文句ある!?」って――いつも冷静沈着な柏木さんの口から、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった。なんだかいつもとキャラが違う。
「私の中では失敗なのよ! 変に突っ込まないでくれるっ!? じゃあ、ホワイトデー楽しみにしてるから!」
そう言って柏木さんぷいっと顔を逸らし、踵を返して自分の席へと帰っていく。まさか顔が赤くなるまで怒るとは思わなかったから、ビビッて何も言い返せなかった。しかも俺にはしっかりとお返しを要求してお帰りになられたし。
彼女が立ち去った後で、俺と亮太は思わず目を見合わせる。
「綺麗に出来てると思うけどなぁ……柏木さんって完璧主義っぽいから、俺たちじゃ気付けないレベルの失敗があったってことかね」
「さぁ……わからん。でも、なんにせよ手作り貰えて良かったじゃん。貰った中で一番心が籠ってそうだ」
たしかに。俺がもらった100円以下の義理チョコ群と一緒に並べると、一つだけ異彩を放っている。お前はなぜそこにいるんだい?
「――違いない。失敗作らしいけど、柏木さんへのお返しはしっかり考えないとな。失敗作であっても、手作りには違いないし」
彼女のことは高嶺の花過ぎてあまり意識したことがなかったけれど、どういうモノが好みなのかとか、ちょっと人づてに聞いたりしてみてもいいかもしれない。
近寄りがたい完璧超人と思っていた彼女は、意外にもバレンタインなんて色恋にも興味を示す、普通の女の子みたいだし。
「はぁ……これが『おこぼれ』じゃなかったらなぁ……」
俺は初めて貰えた手作りのチョコが崩れないようにと、ハンカチで綺麗にくるんでからバッグにしまった。
おこぼれ偽装本命チョコ 心音ゆるり @cocone_yururi
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