過去―後編

 再び目を覚ました私はズキズキとする痛みから顔を歪めた。

 周りを見回してみると恐らく屋敷内であろう何処かの部屋で、辺りは火の海だ。息が上手く吸えず、このままでは死んでしまう。死因はきっと一酸化炭素中毒だろう。


(いや、その前に出血多量で死ぬかな? 意識が朦朧としているお陰で痛みはあまり感じないや)


 手足は切り刻まれ、潰され、もはや使い物にならない。

 さながら達磨のようで、常人が見たら吐き気を催すような惨い見た目をしているだろう。これでも私は立派な女性である。


「あ、雨宿ちゃん……死んじゃ嫌だよぅ……」


 月見霞、いや三日月さんは死なせないとばかりに私を抱き締めているが、感覚がないので何も感じない。彼女の優しさは空ぶっていた。


(ああ……怖いな。死の感覚は一生慣れそうにない……寒くて、凍ってしまいそう……)


 普段から博士によるメンテナンスを受けていた私は電源を落とされる、つまり意識をシャットアウトすることはあったが、死の感覚というものは全くの別モノだと痛感した。

 身体の芯から徐々に冷めていく。あの世が私を誘っている。まるで深海へと沈んでいくかのようで、光は届かず、音も濁っていく。


「無様ねぇ……」


 ぼやける視線を炎の中に向ければ、あの吸血鬼が歩いている。まるで私の命を狩りにきた死神のようで、灼熱の中なのに涼しげな様子だ。


「勝手に人の家に上がり込むからよ。その子は貴方が殺したも同然よ」


「うっ……そんなの知らないよ! 雨宿ちゃんをこんな風にして絶対に許さない!」


 確かに悪いのは勝手に忍び込んだ私たちだが、この仕打ちは酷すぎる。一を百で倍返しどころか、雨宿という私の命を奪おうとしている。


「この馬鹿! 変態! あんぽんたん!」


「そうねぇ……貴方、気に入ったわ。私の眷属にしてあげる」


 三日月さんを品定めするかのような、舐めた目つきで観察した吸血鬼は言った。

 手の施し様がない窮地における、たった一つの生存方法。

 そもそもこの絶望的な状況は吸血鬼によって作り出されたのにも関わらず、救出の手も吸血鬼が差し伸べる。正に悪魔だろう。

 静かな、余りにも静か過ぎる宣告に三日月さんは呆気にとられていたが、子供でも意味はなんとなくわかるようで、直ぐに声を荒げた。


「そんなの嫌だよ! 化け物の奴隷になるくらいならここで雨宿ちゃんと一緒に死ぬ!」


「奴隷は眷属にしないわよ。どちらかといえば家族に近いわ」


「それでも嫌!」


「……残念ながら貴方に拒否権はないの」


「ひゃっ! え?」


 次の瞬間、いつの間にか吸血鬼の手の中にいた三日月さん。


「みか……づきさん……」


 私はそれを黙って見ているしかできない。手すら伸ばせずに、ただか細くて、がさついた声で彼女の名前を囁いた。


「それじゃあ……いただきます」


「うぐぅ……雨宿ちゃ……」


 そんな健気な私に触れる事無く、吸血鬼は三日月さんの首筋へとかぶりついた。

 時が止まったように思えた。

 秒で表すと三秒もない一瞬の間に終わった行為だったが、私にとっては世界がスローモーションに見えるくらい衝撃的な光景。

 認めたくない。現実から目を背けたいのに、目が離せない天の邪鬼。


「あがっ……」


「み、三日月さん……!」


「ふふ、安心しなさい。これで貴方は私の家族よ」


 眷属が出来たことに喜びを感じているのが、恍惚した表情を浮かべる吸血鬼に、私は何もできないどころか死にかけている。

 三日月さんは苦しそうにしてその場に蹲り、心配して駆け寄ることができない。背中を摩ることもできない。なんて無力なのだろう。

 人間というものはこうも脆いものなのか。ロボットの私なら手足の欠損くらいなら何とかなるのに歯痒い状態だ。


「ふむ、丁度いいわ。そこの人間、食べちゃっていいわよ?」


 吸血鬼の言葉が命令となったのか、兎に角、三日月さんは光を失った瞳でこちらを見ては徐に近づいてくる。


「みか……ぁ……」


 限界が近い。

 新鮮な空気は吸えず、身体から血液が駄々洩れな絶望的な状態でよく持った方だろう。

 それに、最後は三日月さんに食べられるなら本望だ。それだけで私を支配していた死の恐怖が遠ざかっていく。


「雨宿ちゃん……ごめんね?」


「あっ……」


 申し訳なさそうに微笑んで謝った彼女の姿は実に三日月さんらしい。

 これから捕食されるのに安心感を抱いた私は応えるかのように微笑み返し、意識は途切れた。

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