決着

 頭が割れるような痛み。脳内にある警鐘をガンガンと鳴らされているような不快さの中、私は目を覚ました。


「なに? 夢だった? ……そうだ! 三日月さんっ!」


 飛び起きた私の視界に映ったのは薄暗い牢屋。散らばった骨がからからと音を立て、鉄格子の向こう側には二つの赤い宝石が浮かんでいた。


「目覚めはどうかしら?」


 やがてくっきりと浮かび上がったの二足歩行の生き物で、西洋の立派なドレスを身に纏っているようだ。


「最悪ですよ……それで? 貴方は誰ですか?」


「やっぱり憶えていないのね」


 辺りは薄暗く、彼女が日本人なのかは分からないが、残念そうに項垂れているのは分かった。


「多分……貴方は夢に出てきた吸血鬼ですよね?」


「ええ」


「一体どういう……私に幻でも見せたんですか?」


「あら? 私は貴方が忘れているようだから思い出す手助けをしただけよ?」


「忘れている?」


「そう、貴方が見ていた夢は貴方の深層心理にある記憶……つまり真実よ」


「何を馬鹿な……私はロボットですよ? それ以上でもそれ以下でもない……」


 全く馬鹿らしい。

 私は博士によって作られたロボットだ。その事実は揺るがない。


「そのようね……確かに今はロボットだわ」


「はぁ……一体何が目的ですか? 私をこんな風に閉じ込めて……」


 含みのある言い方ばかりで本題に入らない吸血鬼に、私は無性に腹が立った。言葉に棘が含まれているのはそのためだ。


「その前に、貴方こそ何を思って屋敷に忍び込んだのかしら? ……って言うまでもないわね。私の娘が目当てでしょ? 紅霞が言っていたゆゆねちゃんはきっと貴方のことね」


「む、娘って……もしかして三日月さんのことですか?」


「そうよ」


 爆弾発言に、和らいでいた頭痛がまた酷くなった。


「紅霞はね。私の血によって吸血鬼になった。私の眷属になったのよ。まあでも親不孝者でね。吸血鬼らしく生きてくれないから困っているの」


「……三日月さんを吸血鬼として自立させる。それが目的ですか?」


「あら? やはりロボットだけあって賢いのね。そう、貴方は便利な道具なの」


「道具……」


 便利グッズ扱いをされたのは初めてだったが、よく反芻してみると確かに間違っていないだろう。

 所詮、私は博士に造られた都合の良いロボットに過ぎないのだ。


「貴方には紅霞が吸血鬼として覚醒する糧になってもらうわ。道具は有効的に使わないとね?」


「そんなこと……きゃあっ!」


 瞬く間に間合いを詰められて、腕を掴まれた。そのまま牢屋から引きずり出され、汚い廊下でお気に入りの服が汚れていく。

 その力強い動作から、嫌でも立場を理解してしまった。

 この吸血鬼の単純なパワーは私より上だ。まともに戦ったら一瞬で首を斬られ、心臓を捥ぎ取られるだろう。

 迂闊な行動はとれず、悔しくも流れを見守るしかできない。


「紅霞? これ、貴方のご飯よ。お食べなさい」


「がはッ……」


 やがて別の牢屋へとゴミのように投げ入れられた私は背中をぶつけた。

 上手く空気を吸えず、四苦八苦しながら周りを見回すと、そこには三日月さんがいた。仄暗い牢屋の所為でよく見えないが、正気を失っているようで瞳は光を失っている。


「み、三日月さん……大丈夫です……か?」


 小さく呟いた私に反応を示した彼女はとても昏くて、血のようにどす黒い目をぎょろりと動かした。興奮しているのか、空腹の野獣のようにフーフーと息を漏らしている。


「ほぅ? 思った通りだわ。普通の人間では見向きもしなかったのに……紅霞にとってはご馳走という訳か……くくっ……」


 私のピンチを楽しむかのように吸血鬼は牢屋の外で高みの見物をしていた。


「吸血鬼らしくなって私は誇らしいぞ」


「様子が可笑しい……み、三日月さんに何かしたんですか!?」


「いや? ただ何度も言っても血を飲まないから痺れを切らしてしまってな……だから牢屋へ閉じ込めて数日間飯を与えなかっただけさ。そうすれば自発的に飲むだろう?」


「なッ! 貴方の娘なんで――ひゃあっ! 三日月さん! お、落ち着いてください!」


「ふー! ヴゥー!」


 ま、不味い。この前のフルパワーよりも力強い。理性が無い分、身体のリミッターが外れているように見える。

 何度も三日月さんの名前を呼び掛けるが、声は届いていないようだ。

 こうなったら力尽くで抵抗するしかない。


「い、いい加減にし――あっ!」


 しかし、不幸にも右手ごとガマ口スタン君が弾き飛ばされてしまった。

 致命的なパワーダウンだろう。咄嗟に距離をとったが背後は壁だ。逃げ場なんて存在しない。


(ど、どうする? 防衛システムはこの前博士に取り除いてもらったし……残る手は十字架だけ……)


 考えている暇はない。

 私は首からぶら下げた十字架のネックレスを取り出して、ぎゅっと握り締める。

 三日月さんは八重歯を光らせて、目をギラつかせている。今にも襲いかかって来そうだ。


「仕方がないです。これを見て正気を取り戻してください!」


 覚悟を決めて、紋所を見せつけるかのように十字架を高く掲げた。

 刹那――


「きゃっ! ど、どうして動けてッ!」


 猛獣のような三日月さんが飛び掛かってきて、私はまた馬乗りになられた。

 絶体絶命のピンチだったが、それよりも三日月さんが気になった。十字架をしっかり目に焼きつけた筈なのに、どうして効果がないのだ?


「あははははははっ! こ、これは傑作よ!」


「な……に笑っているんです、か?」


 鍔迫り合いのように三日月さんと力比べをしながら私は高笑いする吸血鬼を睨みつける。


「だって滑稽じゃない? 吸血鬼に十字架が有効なんて人間が誇張したに過ぎないわ」


「そ、そんな……」


「本当よ。精々少し嫌悪感を抱くだけなのに人類はまるで特効薬のように頼り切って、無様ったらありゃしない」


「あの時、三日月さんは……怯えていたのに……」


「それは他に理由があったんじゃないかしら?」


 不敵に微笑む吸血鬼はその理由を知っていそうな雰囲気を醸し出していたが、問い質している場合ではない。

 今は三日月さんをどうにかしないと……!


「や、止めてください! 三日月さん!」


「ウゥッ! ふー!」


 やはり私の声は聞こえないようで、彼女は息を荒くして更に力を込めてくる。技術もへったくれもなく、これではただのごり押しだ。

 しかし、そんな力任せな負けているのも事実。このままでは私は……私は……


「ほ、本当に止めて! 私は……私はッ! 私はロボットなんですッ! だからッ! この身に血は巡ってないのッ!」


 遂に言ってしまった。

 私は負けを認め、長きに渡る戦いは終わったのだ。

 感情が高ぶって、よく分からない涙が頬を沿って地面へと流れていく。

 涙で視界がぼやけて見えないが、三日月さんは唖然としているのか脱力している。

 私は微笑む。

 慈愛に満ちた瞳で微笑を浮かべた。

 秘密を明かしてしまった恐怖心を僅かに溢した、全霊を尽くした自制で薄めた笑み。


 三日月さんから私はどう見えているのだろう? 人間? それともロボット?


 嗚呼、怖い。だけれど心の何処かでは受け入れて欲しいと思っている。今はただ彼女の顔を見て、聴いて、感じたい。答えを知りたい。

 無意識に涙を拭い、霧払いされた視界に映ったのは、はにかんだ笑みを浮かべる彼女。その名の通り三日月のように妖艶で美しい。


「ゆゆねちゃん……」


 脊髄に走る雷。

 名前を呼ばれただけなのに、不安感から顔を背けてしまった。彼女の本心が分からずに畏れる。


「三日月さん……」


 しかし、馬乗りされている以上逃げられない。彼女の視線という圧に耐え切れなくなり、視線が合った。

 刹那、理解した。

 三日月さんが正気に戻っていることを。そして――


「いただきます」


 私を食べようとしていることを……

 首筋に牙が突き立てられ、ズキッとした痛みが身体中を駆け巡り、私の意識を貫いた。


「み、三日月さん……やめっ……あっ……」


 無い筈の血液を三日月さんは必死に吸っている。牙で皮膚を突き破って貪っている。

 痛いのに、くすぐったくて、気持ちよくて、官能的な心地良さだ。形容し難い感覚に、私は混乱して力を奪われていく。


「はぁはぁ……夢にまで見たゆゆねちゃんの血液……美味しいよぉ」


「そ、そんな訳……んあっ……」


 今まで我慢していたからか、三日月さんは止まらない。決壊したダムのような奔流に私は呑まれる。


「私、ロボットだから血はない筈なのに……どうして……」


「何を言っているの? 薄々気づいていたけど、貴方は自分のことを知らないのね」


 私の呟きに答えたのは牢屋の外にいる吸血鬼だ。

 いつの間にか優雅に紅茶を嗜んでいる。


「貴方は人間よ」


「何を言って……私は生まれた時からロボットです。博士によって造られました」


「いいや。立派な人間よ。具体的には身体の半分が……ね? さっき貴方に見せた記憶があるでしょう? 貴方は人間だったのよ。今はその博士とやらに改造されて、身体の半分は機械のようだけど……」


「そんなわけ……」


 嘘だ。

 私が人間だったなんて信じられない。

 今まで信じてきたモノが嘘だったなんて信じない。

 私は雨宿ではなく、緋色ゆゆねというロボットだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ人間のフリをした機械なのだ。


「いい加減認めなさい。ほら、その証拠にきちんと血が出ているでしょう?」


「これはオイルです。血な訳……ありません」


「往生際が悪いわね。それなら記憶の続きを見せてあげる」


「なっ……! あ、頭が痛い……!」


 吸血鬼の瞳が光ったと思えば、私の意識は闇へと葬られた。

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