親愛
失っていた記憶から現実へと戻ってきた瞬間、私は悪寒から震えて嗚咽する。
疑似的な死を体験した所為か、動悸が煩く、冷や汗がぐっしょりだ。目の焦点が合うまで数十秒掛かり、その間にも三日月さんは美味しそうに私の“血”を吸っていた。
「どう? 分かってもらえたかしら?」
「はい。記憶が戻った訳ではないですが、あれは本当だと……本能が訴えかけています。三日月さんが吸血鬼なって、私は食べられたんだって……」
まだ完全に受け入れた訳ではないが、否、受け入れたくなかったが、脳裏の片隅で受け入れてしまっている自分がいた。
私の返答を聞いた吸血鬼は満足した様子で高笑いすると「くくく、これで紅霞は立派な吸血鬼よ。それじゃ、後は勝手になさい」と言い残して去っていく。
その姿は美しい貴婦人のようだったが、その貴婦人に私、雨宿は殺されたと思えば素直に関心できない。
「ゆゆねちゃん……」
「あっ三日月さ――「ご、ごめんなさい!」へ?」
血を吸い終えた三日月さんは私の顔を見るなり、すぐさま土下座を披露した。
突然のことに私は唖然とし、彼女に掛ける言葉が思いつかない。
「ずっと絶食していたから我慢できなくて……血、吸っちゃった……」
「そうですね。痛かったです。味はどうでしたか?」
「もうそれは極上のデザートのように美味しかったよ! えへへ」
「私と雨宿さん、どちらの血が美味しかったですか?」
自分でも分かるくらい意地悪な質問だっただろう。
嫌なことを思い出したのか、三日月さんは苦虫を噛み潰したように険しい表情で俯いてしまった。
「そっか……知っちゃったんだね」
「はい。だから真相を教えてくれませんか? 私の正体を……」
「分かった。いいよ。だけど、その前に……」
ニコニコとした三日月さんは私の肩を持って――
「もう一回吸わせてっ!」
「これ以上は貧血になるからダメです! はい、ガマ口スタン君ですよー!」
「あばばばばばっ!?」
襲いかかってくる彼女に、私はこっそりと回収していた右腕(スタンガン)で懲らしめる。
もうロボットとバレてしまった以上、今まで控えてきた力を全開にできるのだ。
「ゆゆねちゃんったら容赦ないね。まさか三回もスタンガンを押しつけられるなんて……酷いよ」
「酷いのは三日月さんですよ。駄目だって言ってるのに聞かないから……っていうか私は元々血を吸っていいなんて言ってないです」
ほんと、今だって貧血気味でふらふらとして、脳内が危険信号を出しているのに襲ってくるなんてどうかしている。
だけど求めてくれていることに喜んでいる自分もいて、少しだけ口角が上がってしまう。
「それで? どうして此処に案内したんですか?」
「うーん……なんとなくかな……」
真相を聞くにあたって案内された場所は庭にあったお墓。
その前で私と三日月さんは対峙して、見つめ合っている。
先に動いたのは彼女だ。枝のように細い、華奢な腕を伸ばして一輪の白い彼岸花を摘み取ると、偲んでいるような表情で私へと差し出した。
「ゆゆねちゃんはね。雨宿ちゃんの生まれ変わりなんだよ」
「……はっきり言ってください。私は雨宿さんの死体から造られたロボット……いや血の巡っている、強いて言えば人造人間、ですしょうか?」
「…………そうだね。その事実は私も最近知ったんだけどさ」
恐らく、三日月さんは以前に私の家に来た時、博士から聞かされたのだろう。だからあの時、気分が悪いと言って帰ろうとしたに違いない。
それにしても私は人間、それも雨宿という人物だったのか……
最初はショックだったが、慮って見れば良かったかもしれない。そのお陰で私の身体は血で満たされ、大好きな三日月さんに飲んでもらえる。心の蟠りが晴れた気分で、感慨深く思えた。
「このお墓にはね。雨宿ちゃんが眠っていて……いや、いたと言うべきなのかな……」
「眠っていた? 過去形ですか?」
「そ……私の知らないうちに墓荒らしにあってね。当時は荒れたなぁ……」
「お、お墓荒らし……」
墓荒らしなんて罰当たりな事をした犯人は……まあ博士関連と考えるのが妥当だろう。時代錯誤な行為だが、あの人ならあり得る。
「全く……よりによって雨宿ちゃんの遺品も盗むなんて……」
「遺品?」
「ゆゆねちゃんが身につけている十字架のネックレス……あれは雨宿ちゃんがよく付けていたものなんだ。まあ結果的に本人の手に戻ってきているんだけど……」
「え? これって雨宿さんの持ち物だったんだ……」
「なにそれ。雨宿ちゃんはゆゆねちゃんでしょ?」
「それは……」
実際、どうなるのだろうか?
人間だった私は雨宿として暮らしていたようだが、記憶を失ってロボットに改造されて緋色ゆゆねに成った。
今はゆゆねとしての記憶しかないが、吸血鬼は“忘れている”と言っていた。
もし、何かの拍子で雨宿としての記憶が戻ったら? その時、私は緋色ゆゆねとして存在しているのだろうか?
「そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ。ゆゆねちゃんはゆゆねちゃんだから!」
「そう……ですか?」
「そうだよ! ゆゆねちゃんも雨宿ちゃんも! 私は大好きだから! 何も問題ないよ!」
「だ、だだだ大好きですか!? は、恥ずかしいことを言わないでください!」
「うぎゃっ!」
「あっ、ごめんなさい……」
思わずビンタをかましてしまった。
……私は悪くない。神経を愛撫するかのような恥ずかしい発言を平然とする三日月さんが悪いのだ。
三日月さんは頬に綺麗な紅葉を付けながら「ぶーぶー」とブーイングを起こしている。
「酷いよゆゆねちゃん。私が吸血鬼じゃなかったら死んでるかも知れないよ?」
「それは私のビンタがゴリラ並みだと?」
「ノーコメントで……それより勝負には私が負けちゃったね」
落胆した様子の彼女に、私は首を傾げた。
「忘れたの? クロスワードパズルの勝負だよ」
「え? でも、私は自分の力で真実を知った訳じゃないです。三日月さんの母に教えてもらったも同然ですよ」
「あ、そっか……なら引き分けなのかな?」
「前言撤回。私は自分の力で真実を知りました」
「絶対嘘だよね!?」
素直に話を合わせなかったのは失敗だった。相槌を打つだけなら勝利していたというのに、余計なことを言ってしまった所為で引き分けへと格下げだ。
「っもう……嘘を吐いたからゆゆねちゃんの負けだね」
いや、敗北を喫してしまった。
「そんな横暴な……」
「文句は受け付けないよ! 私が勝者だから、敗者であるゆゆねちゃんに何を命令しようかなー」
すっかりその気になっている三日月さんは楽しそうに庭をスキップしていて、それを横目に私は溜息を吐いた。敗者扱いされるのは釈然としないが、彼女に振り回されるのは不思議と嫌ではない。
それに、ご機嫌な三日月さんに野次を入れるのは憚られるのだ。
「あ、そうだ! ゆゆねちゃん!」
「なんですか?」
「私と、ずっと一緒に居てくれる?」
不安が入り混じった上目遣い。もじもじと手を弄りながら言うのは反則だろう。命令という話だったが、私に選択肢をくれるのは三日月さんの優しさに違いない。
そんな健気で気の利いた言葉にくすっと笑ってしまい、私は胸の高鳴りを感じながら頷いた。
「はい。勿論です」
「ほんとに!? やった!」
私の返答に、にこっと太陽のように屈託のない笑みを浮かべた彼女は――
「これで毎日ゆゆねちゃんの血を飲めるね!」
「いや、それはそれ。これはこれです」
互いに素性を探り合う関係から、今では友達、いや、それ以上に深い仲だろう。
しかし、親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように三日月さんの発言は失礼に当たる。いくらロボットだとバレてしまったとはいえ、これからも血を差し出そうとは思わない。まあ偶になら良いかもしれないが……
「ふふふ、そう言っていられるのも今の内だよ」
「……?」
「くれないなら奪えばいいんだよ!」
「ちょっ! 三日月さんっ! こんなところでやめてください!」
「うぇへへ、大人しく私に食べられてね!」
甘い。
なんて甘美な愛だろう。
ああ、やはり私はどうしようもなく彼女が好きである。
首筋から走る痛みが愛おしい。震えを抑えるだけで、嘗てない自制を費やした。
美味しそうに私の血を吸っている彼女を、私は優しく抱き締めた。
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