第5話 玉ねぎと迷走する

 ユウヤがグループを抜けたあと、おれは迷走モードに突入した。

 肉なしコロッケでさっそうとデビューした新人、ダイチリンゴの作品に衝撃を受けたことが理由だ。ヨーロッパ諸国の言語では、ジャガイモは大地のリンゴに冠した名称が多い。まさしくジャガイモ星人になるために生まれてきたような名前だが、名前ならおれも負けていない。負けていないからこそ、敗北感はひとしおだった。

 肉なしコロッケで想像がつくように、ダイチの作品には貧困層に対するシンパシーがビシバシに込められていた。各ベジタブル誌はこぞって賛辞を送り、老舗ベジ雑誌が新人としては異例の巻頭特集記事を組んだことで、評価は不動のものとなった。

 さらに、朝のニュース番組でダイコロ(ダイチのコロッケ)がダイサンドブームの再来になる日も近いと紹介されると、販売会のチケットは即日ソールドアウト。一躍時の人となった。

 ダイサンドについては少し説明が必要だろう。十五年ほど前に流行語大賞をとったワードで、ダイさんのダイダイサンドイッチの略だ。当時、 朝の連ドラで一年間放映された、ベジタブル黎明期に活躍した星人たちの実録青春ドラマ『やさい道』で、古参の先輩ダイさんが主人公らに振る舞った、貝割れ根と白身魚(ブだ)のフライを挟んだサンドイッチと瓶牛乳の組み合わせは、日本中で一大センセーションを巻き起こした。

 連日大行列で品切れを起こした魚屋と八百屋の映像はニュースなどで繰り返し報じられ、中高生の間で牛乳配達が大流行した。牛乳配達のCMに起用された清純派アイドルが牛乳瓶の底を模したメガネをかけたことで田舎娘ブームが巻き起こり、アパレル業界全体に与えた経済効果は数十億円に上ったようだ。 

 年齢は伏されていたが、ダイチはおそらくおれらと同世代。イースト・ベジタブル大卒のインテリで、ベジタブル誌のインタビューとは思えない哲学的な発言の数々にも衝撃を受けたが、完膚無きまで打ちのめされたのは次の発言だった。

「実を言うと最近玉ねぎにハマってるんです。ジャガイモ星人になった暁には星人のベルトを返上して、玉ねぎ星人を目指そうと思っています」

 一筋の連中がどんなに苦労しても、それどころか一生かけても手に入れられない星人の称号ですら、単なる過程に過ぎないと断言したわけだ。 

 おそらく彼自身には見下しているつもりはないのだろう。それこそが天才の証だった。古代から綿々と続いてきた宗教的儀式の現代版に絡め取られたおれは、この時期は完全にダイチ教の信者だった。新商品の発売日にはフライングで店頭に赴き、誰に頼まれたわけでもないのに布教活動に腐心した。日々欠かさず練習し続けた玉ねぎの千切りを止め、図書館に通い詰め、玉ねぎについて一から勉強をし直した。恥も外聞もなく、ダイチの手法をパクりまくった。所詮は真似ごとなのに、自分が急成長しているとでも思い込んでいた。

「前のおまえの作品の方が断然いいよ」

 とシンジに言われたときも、聞く耳を持たなかった。

 頭のなかに居着いたサリエリ先生が、

「神が宿りしアマデウスの調べを理解できる者は少ない」

 と悲しげな顔で訴えていたからだ。 


 ダイチリンゴは続けざまにジャガイモ作品をリリースし、半年後にはジャガイモ星人のベルトを奪取した。ほどなくベルトを返上し、数年間空席になっている玉ねぎ星人のベルトを狙うことを宣言した。仮におれが玉ねぎ星人になれたとしても、玄人筋の耳目を集めることがないことが決定したわけだ。

 実を言うと、それほどのショックは受けなかった。というのも、その頃にはとっくにダイチ教のコミューンから脱走、および脱退していたからだ。

 デビュー作には明らかに劣る二作目に、なーんだ、と見切りをつけ、早くも見下し初めていた。ようは熱が冷めたわけだ。脳みそが負け犬モードに飽きてきたせいもあるかもしれない。負け犬モードは短期的には馬力を出すエンジンになるが、ある時点を越えるとやる気を著しく削ぐ。目的は恒常的なやる気の存続であり、利用できるものは利用し、利用できなくなれば、ポイする。とはいえ、仮想的なライバルはつねに必要だ。できれば、身近なやつより、鬼籍入りした偉人なんかの方がいい。死人だからこちらの都合で相手のレベルを微調整できるし、偉人に匹敵すると思い込むことでたやすく虚栄心を満たすことができる。

 かのジョン・レモンも、晩年は明らかに睡眠過多だったが、顔の形はレモンに近づいただの、ミック・ジャガイモはランニングし出してから口はでかくなったがベロは短くなっただの。

 その種の発言は、結局のところ、伝説の風船を膨らます行為に過ぎない。もっとも、風船を膨らませた当の本人気分を味わえると言う意味では、おれのようなベジタブル星人を目指す若者でさえも、巷に溢れる批評家気取りの連中の段階を経ているわけだ。

 実際、古本屋巡りで『星人列伝』のバックナンバー漁りをしていたのもそれが目的だった。『星人列伝』は、三十年ほど前に弱小出版社が同人誌としてスタートし、いまや全国どこの本屋でも置いているメジャーな老舗ベジ雑誌だが、二十年以上前のバックナンバーにはまずお目にかからない。マニアが集うマーケットで高額取引されているとの噂はあったが、だからこそ、その四半世紀ぶんの日焼けをしたお宝が安値で購入できたことは、シイラ狙いでシーラカンスが釣れたようなものだった。

 星人たちは大概にして四十代前半で引退した。

 大概のアスリートよりやや長い程度の活動期間だ。当然ながら解説者や指導者になる人物はいない。ほとんどの星人たちのその後は、都市伝説などでささやかれるのみだ。自伝を出版したレジェンド星人もいたが、生誕から引退までの過程がおもな内容で、その後の人生に触れられることはなかった。

 その号には、伝説の玉ねぎ星人、鬼玉葱音オニタマネギオンが引退表明をしたラストインタビューが掲載されていた。字面でわかる通り、彼の名前は姓と名が日本語と英語のアナグラムになっている。引退後に発売されたバイオ本では、親にその意図はなく、たまたま玉ねぎの申し子的なる名前を付されたと書かれていた。おれ自身も彼ほどではないが、名前で一苦労した身。名前の呪力について考えさせられたきっかけは、まさしくその一文だった。

 しかも、このラストインタビューでは、引退後の予定にまで触れていた。

(つづく)

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