第3話 玉ねぎには墜落しない

 日本では認知度が低かったハロウィンが広まる時期と被ったことで、スイカおばけのデビュー野菜シリーズ『10.31トミー』は、国別野菜チャートの一位にまで上り詰めた。

 まさしく、となりの家の庭だけが重力反転して空中に浮かび上がったかのようだった。彼らの野菜販売コーナーは長蛇の列、おれらの庭には誰一人目もくれない。空中庭園の周囲には突貫工事で即席のアミューズメントパークが作られ、観客たちは空中庭園一周コースのジェットコースターやらモノレールだかに乗って、彼らの素晴らしさを宣伝して回った。そもそもが貧相な彼らの庭は一流の植木職人やらレンガ職人たちによって洗練させられ、土地の値段はひたすらに上昇し続けた。あからさまな神秘性の演出は、群がる人々の想像力によって倍々ゲーム的に膨れ上がった。

 剪定せんていや害虫駆除の合間、折に触れて空中庭園を見上げた。

「やつらもいきなりの生活激変で戸惑っているんだろうな」

 ほっかむり姿で、シンジはうんしょと腰を伸ばした。

「どっちかといえば、浮かれてるんじゃないの?」とおれは平べったい石ころを、水切り風に庭の端に投げた。「ニセモノがいつまでも大衆をだまし通せるものか、お手並み拝見といこうじゃないか」

「あんな張りぼて、隕石ひとつ落っこちたら一巻の終わりだよ」

「はは。どうしてとなりの庭に落ちなかったんだって逆恨みされちまうよ」

「どこの誰がおれらの庭の存在を知ってるって?」

 草むしりしていたユウヤが自虐風の(その実おれに向けた)嫌味を放った。


 ひゅぅぅぅぅ─────…ぅぅううん、どっかーん! 


 ──隕石落下。隕石が落下いたしました。本日未明、人気野菜販売グループ、スイカおばけが、ツアーファイナル『黄金の玉ねぎの下の宴』の直後、巨大隕石に見舞われ…──


 スイカおばけがメジャーデビューして一年半後の夏。ハロー・ウィンが、ホテルで女優の卵に合法幻覚系野菜ワライタケを強要したニュースは、世間を震撼させた。

 スイカおばけの野菜はあっという間に全国の八百屋から消え、隠ぺいのため、空中庭園には巨大なビニールシートがかけられた。周囲には消防隊のはしご車が並び、鎮火活動が日夜続いた。おれらはテレビニュースで一連の出来事を知った。空中庭園は今や彼方の空にあり、おれたちの貧相な庭に影を落とすことはなくなっていたからだ。

「な、言った通りだろ? やつらは反面教師を演じてくれたわけだよ」

 とシンジはラジオのチャンネルを変えた。

「ったく、そんなに大笑いしたきゃ、落語でも聞いてろってんだよな」

「…でもさ。正直、ざまあみろ、とは思わなかったんだよね」

 軒下に腰掛け、玉ねぎを丸かじりした。ぴーかんの空には雲ひとつなく、どこからかトンビの鳴き声が聴こえてきた。

「あいつらが行けたなら、おれらだって行けると思い込めてたことに気づかされたっていうか。そもそも、隕石ひとつ落ちただけで炎上するような張りぼてに青春を捧げていたんだなって…」

「つうか、泣くようなことか」シンジは呆れ顔をした。

「玉ねぎが目に沁みたんだよ」とおれはタオルで目を拭った。

「そもそもあいつがチャラいことしたのが原因だろうよ」シンジは雑草をむしった。「シンデレラをゲットする前につまみ食いなんかしてるから、足を踏み外すんだよ。なっ」

 と、つまみ食いキラーのユウヤに、ふっと雑草を吹きかけた。

「つまみ食いが問題じゃないでしょ」とユウヤはうっとうしそうに手で払った。

「じゃあ、何が原因だよ」

「精神的な弱さだろうね」とユウヤは煙草に火を着けた。

「あの厚かましい野郎にそんなナイーブな側面ある?」とおれは笑ったが、まあ、あるだろう。あの傍若無人な態度が、その実ひ弱な内面を守るためのよろいであることくらいはわかっていた。

「自業自得ってやつだよ」とシンジは立ち上がった。「そもそも十代の子にワライタケを食わせた時点で、鬼畜決定でしょ。言い訳のしようがないっての。ちやほやされて甘やかされて調子に乗っちまったんだよ。おまえはそんなバカげたことはしないだろ?」

「当たり前だっての」とは言ったが、ありとあらゆるシチュエーションを想定して、絶対にないとは言い切れないなとは思った。

「おまえは硬派っていうか、一途なタイプだからな」

 とシンジは井戸水のバケツをぐびぐびと飲んだ。「そもそもあいつとおまえとじゃ、プロレスとボクシングくらいジャンルが違うんだよ」

 有名な異種格闘技戦を話題にし、ボクサーに怖気付いたレスラーがリングに寝っ転がってひたすらローキックを繰り出したエピソードを持ち出した。そもそもシンジは仲間意識が強い。慰めとわかっても、それまでも多々勇気付けられたのはたしかだ。とはいえ、仮に敵側サイドに属していたら、真逆の意見を嬉々として言い放ったはずだ。リングに寝転んでまで勝ちにこだわる姿勢! おまえこそがまさにベジタブル界のアントニオ・エノキ茸! とかなんとか。

「まあ、とりあえずはやつらと同じリングに上がらなきゃ話にならんだろ」

 とユウヤは相変わらずこの調子だったが。


 秋になると、マスコミも消防車も消え、ビニールシートは撤去された。空中庭園は以前ほどピカピカの近代的な庭園ではなくなっていたが、相変わらず長蛇の列は絶えなかった。冷凍野菜ですら一個数千円で取引され、神秘性を微妙に損なわずに誠意を持って謝罪したことで、一部のファンはより彼らに心酔したようだ。

 その後、彼らはテレビ出演を止め、生野菜パフォーマンスとファンクラブの層を厚くする方向にシフトチェンジした。中央にコアなファンを置き、口コミで宣伝を広げていく経営方針だった。

「ほらな。やっぱあいつらはネズミ講だったろ? 困った時の宗教頼みってやつだよ」とシンジはあざけった。

 スイカの顔が氷と霜に覆われ、流れた涙の箇所だけが溶けている宣伝ポスターのことだ。実を言うと、売れっ子デザイナーとタッグを組んだことに羨望の気持ちはあったが、そんなことを認めるわけにはいかない。

「まったくだよ。会社の運営費と新築のローンのために働くハリボテ奴隷野郎のくせに、ファンを救いたいだの、魂の表現だの、どの口で語ってやがるのやら」

 と調子を合わせた。

「悪口を言ってる暇があったら、次の一手を考えたほうがいいんじゃないの?」

 ユウヤがいつもの冷静な顔つきで言った。「こちらに勝ち目があるとしたら、泥試合を重ねることくらいなんだからさ」

「ていうか、この前のインタビュー記事読んだろ? いくらなんでもあれはひどすぎるだろうよ」

 と、乱暴にベジ雑誌をめくった。何度も何度も読み返した記事だ。

 タイトルは、『命あるものだけが命を守ることができる』

 ──ボクはスイカ星人を目指しているわけじゃないんです。スイカおばけがパフォーマンスしている間だけ、誰かの自殺を食い止められたら本望なんです。かっこつけてるわけじゃなく、本当に最近そんな風に思えるようになったんです──

「これさ、完全に延命措置でしょ」とページをバシバシ叩いた。「何が自殺を食い止めるだよ。だいたい、自分は十代の子を笑い死にさせかけといて、舌の先も乾かない内に救世主顔って、どれだけ面の皮が厚いんだよ。そもそも、他人の自殺を食い止められると思ってる時点で傲慢だってことに気づかないくらい鈍感な自分に気づいていないってのが──。…何、笑ってるんだよ」

 ユウヤは笑みを浮かべたまま首を振った。

「彼は中学生のときに、お母さんを自殺で亡くしてるんだよ」

 どきんとした。

「…え? ハロー・ウィンが? インタビューでそんなこと言ってたっけ?」

 と話を振ると、シンジは、さあ、どうだったっけな、という風に顔を背けた。

「直接聞いたんだよ」ユウヤは言った。「決勝のずいぶん前だけどね」

「君にそんな話をしてきたわけ? あいつから?」

「ああ。話の流れでね」

「ていうか、この発言すげえな」とシンジは記事を読み出した。「──ツアーのオフには全国の開運スポットを巡って、各地のお札やらお守りを買い込んでいます。神さまを信じてるから神頼みしてるんじゃないんです。神さまの声が聴こえないから神頼みをしているんです(苦笑)──って…。ここまで開き直られたら、神様も助け舟を出さざるを得ないっての」

「まあ、やつらは骨の髄まで商人だからな。商売繁盛のためなら、神頼みどころか墓荒らしくらい平気でするだろうよ」

 軽口で返したが、胸のざわつきが止まらなかった。

 そういえばユウヤの家族については何も知らない。シンジから小耳に挟んだ情報以外、まるで知らない。シンジは基本おしゃべりだが、妙な気づかいをするというか、生真面目な話は避けるタイプだ。おれ自身、グループの活動のことで頭がいっぱいで、メンバーのプライベートを慮るような余裕はなかった。ともすれば無駄口を許さない空気をかもしていたかもしれない。

 とはいえ、ユウヤのやり口はとうてい納得できるものではなかった。そもそもハロー・ウィンをまな板に持ち出す必要がどこにあったというのか。単におれを黙らせたかっただけなんじゃないのか。

 リーダーであるおれに不信感を募らせていたことには気づいていた。ユウヤにとっては成功が最優先事項であることにも。もちろん、当初はおれも同じ思いだった。おそらくは、自分に自信がなかった部分もあったのだと思う。自力で高い山に登るなんて無理と思っていた。だからこそ、仲間を求め、ゴンドラの長蛇の列に加わったのだ。


『あの! スイカおばけが、なんと! 地元で凱旋販売を決行!』

 のポスターは、一ヶ月以上前から街中の電信柱に貼られていた。

(つづく)

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