第624話


「ツワルト? 知らない国の名だわ。西方諸国かしら……。向こうでは一都市程度の領土でも『国家』を名乗るでしょう? 歴史も浅く、増えては消えてしまうから……記憶に残らないのね」


「同感だ。正直、こちとら近隣諸国の国名どころか生まれた村の名前すら覚束ないからな。ところであんた、名前なんだっけ?」


「教養も備えない蛮人だからこそ恐怖も無いのかしら……。貴族に逆らうということが、どういう結果に繋がるのか理解出来ないのでしょう? 哀れね」


「お前にゃ負ける」


 ピシピシと――


 言葉が重なる程に空気が張り詰めていく。


 こいつ……。


 


 傍目には分からない魔法の前兆も、この魔力を見通す目のお陰でハッキリと見て取れる。


 無詠唱なのか、それとも既に詠唱を終えているのか……。


 肝心なのは不意の一撃が放てるということだ。


 さすがに貴族を名乗るだけあって、魔法の練度はテッドなんかよりも遥かに高いらしい。


 そりゃフランさんもコンプレックス生まれちゃうよね。


 今にも弾け飛びそうな魔力を漂わせるフランの姉は、しかしそれをおくびにも出さず言葉を重ねてくる。


「苦しみたくはないでしょう?」


 なんの話だよ……。


 まるで珍妙な生物を見るように――首を傾げるシアンにドン引きである。


 理解出来ないのはこちらとて同じだ。


「今でも充分苦しいわ。お前みたいなイカレ女と会話してんだからな。自覚ある?」


 なんかこういう攻撃色強めの女性との会話がめっきり増えちゃって……これが異世界ドリームってやつなのかな? 気付かぬうちに掴んでたってわけ?


 だとしたら全力で遠慮したい。


 確かに……確かに異世界に来たら彼女も出来てお金持ちにもなって特別な能力で人生楽勝だと聞いていたが……。


 これは色々と違うよね?


 隅っこの方に『但し個人差が御座います』って書いてある系だよね?


 俺が望んでいた美人との絡みって、こうじゃない。


 こうじゃないんだ……。


「……変ね」


 ああ、全く持って変だ。


 異世界物ってファンタジーだったのか?


 ボソリと呟かれたフランの言葉に、現実逃避さながらに飛ばしていた意識のまま同意する。


「お姉さまが……口答えをした平民を三秒も生かしてるなんて……おかしいわ」


「おかしいのは間違いなくお前の姉の頭だ」


「だから変だって言ってるじゃない!」


 そうじゃねえよ。


 しかしながら激発しないという点では同感である。


 なんせ散々挑発しているというのに乗ってこないのだから……不自然さを禁じ得ない。


 出来れば戦うタイミングはこちらでコントロールしたかったのだが……。


 …………やっぱり詠唱を唱え終えてない可能性はないだろうか?


 つまり魔力を練り上げているだけで、魔法は撃てない……とか?


 余裕のある表情や儚げで冷たい雰囲気だけでは、それを察することが出来なかった。


 頼りの強化魔法が不調を訴えている今、相手の懐に入る前に出来れば初撃を躱しておきたいところ。


 こんなことならフランから姉ちゃんの魔法についてもう少し詳しく聞いておけば良かった……。


 どっちだ? なんで仕掛けてこない? 何を――――



「――――何か、待ってるのか?」



 口に出すことで『人払い』の時に感じた違和感が思い出された。


 あれは『人払い』などではなく……応援を呼びに行ったのだとしたら――――


 タイミング良く。


 ガチャガチャとした足音を強化された聴力が拾った。


 ――近ぇ! そうか! しまった! 防音か?!


 ここが歌劇のVIPルーム貴賓席というのならばおかしくはない。


 既に扉の外に待機しているであろう騎士の数を思えばこそ、目の前の魔法使いのあぎとに飛び込んだ方がまだ状況を打開出来る可能性を感じれた。


 しかし尚も先手を打たれる。


 俺の表情からか雰囲気からか……と知れた黒髪桃目の反応は速かった。


 お待ちかねの魔法が一瞬の隙を突いて放たれる。


 薄闇を切り裂いて青白い火花が散った。


 思わぬ光に咄嗟にフランを引き寄せたのだが……。


 要らぬ心配だったのか、魔法はこちらまで届いていなかった。


 紫電だ。


 暗闇を晴らす青白い雷光が、薄闇の中で冷たく微笑むシアンを照らす。


 まるで滞留するように空気中を泳ぐ電流を、シアンは体の回りへと纏わり付かせている。


 その威力は……僅かにも触れたテーブルや椅子が炭化して欠け落ちたことから、絶大であることが知れた。


 触れることは疎か、近付くことにすら手を焼くのは一目瞭然である。


 魔女が囁く。


「ごめんなさい……私の杖は、草刈りに使うように出来ていないの。一息に命脈を断つのが慈悲なのでしょうけれど……これも貴方の犯した過ちの報いだから」


 よく言うよ!


 この状況が罠なら、それは初手から全て罠だったということだ。


 初手? 何処だ? 人払いか? シェーナか? もしや漁村か?


 何処からが罠かはともかく、今の状況が罠の最奥なのだというのは分かる。


 一番奥だ。


 ――逃げ切れるのだろうか?


 魔法の不調や厄介な敵に単純な人的包囲網と、不安材料を上げればキリがない。


 焦りから冷や汗を流しながらフランを背に庇うと、俺達の入ってきた扉が開け放たれた。


 絶望の光が差す。


 陰影も濃く、ともすればハッキリと見分けられないような光の中を……随分な人数が入ってくる。


「……シェーナ」


「お嬢様……」


 探し人を見つけたフランの呟きに、集団を背負って立つ影の一つが答えた。


 どういうことか、完全に敵側に回っているようだ。


 シェーナはいるが……獣人達の姿は見えない。


 未だに途切れない騎士の群れ中に、目立つコート姿はなかった。


 それがますますの不安を掻き立てる。


 魔女の声が朗々と響く。


「シェーナ……お父様の、現当主の命令なのよ。聞き分けてちょうだいね」


「……分かっています」


「そこの雑草は、よくよくあげて。その上で『死にたい』と言ってきたら……引き止めないような処置を……せめてもの慈悲に」


 なあ? お前の姉ちゃん、すげぇ怖ぇーんだけど?


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