第623話



『それはちょっと話が違うじゃない』



 ――――と、フランが驚いているのが見てとれた。


 表情も、そして全身から溢れさせていた怒気も霧散している。


 予想もしていなかった言葉にフリーズしてしまったのだろう。


 所謂『頭真っ白』状態。


 そして質の悪いことに……。


 再び頭が回り始めたのなら、その考えが悪い方向へと傾くのも予想に容易かった。


 クライマックスを前にした劇が、静かな前奏曲を吐き出している。


 ゆったりとした曲が、フランとシアン姉様との間の沈黙に響く。


 なるほど。


 根が優しくて直情的なフランとは絶望的に相性が悪いみたいだな……。


 会話のコントロールが上手い。


 ここにフランが現れたこと自体、既に予想外の事態だろうに……。


 あっさりと主導権を取っている。


「聞くな」


 だからこそ、ここで声を上げた。


 いざクライマックスだという劇を背景に、ボソリと呟いた言葉は……しかしハッキリと場に――真っ白になっているであろうフランのに響いた。


 そう。


 刷り込むには最良のタイミングだ。


 俺が声を上げなければ、シアンお姉様というが囁いていたことだろう。


 『自分は全く関係ない』といった言葉を――


 そしてそれは、フランの父ちゃんへの信頼を揺るがす言葉になりかねない。


 『姉がしたのでなければ、私は誰に――?』ってね。


 質が悪いぞ?


 契約取りたい時のセールストークみたいで。


 呆然とした表情を向けてくるフランへと言葉を重ねる。


「まだ嘘かどうかも分からん。そもそも自分の命を狙ってきた奴だぞ? 信じるな、一挙手一投足全部疑え」


「……そ、そうね。そうだわ……勿論よ!」


 何が「勿論」だよ……お前、たった今『え? うそ? なんで……』みたいな反応しとったがな。


 キッ、と仕切り直すように姉を睨むフランだったが、しかし姉の方に堪えている様子は無い。


 『勢い』という意味では大分削がれたからだろうか?


 変わらぬ微笑を浮かべる様は余裕すら窺えた。


 初めて声を出した俺に注目することなく、その瞳はフランを捉えたまま言葉を紡ぐ。


「私は嘘なんてついてないわ、フランシーヌ」


「嘘よ!」


「本当に……お父様は存命で、お元気でいらっしゃるもの。直ぐにそれと分かる嘘をつく必要はないでしょう?」


「ならお父様に会わせてよ! お父様に会えばハッキリするわ!」


「勿論だわ。貴女を呼び戻したのはお父様だもの……それを邪魔する道理が、私には無いわ」


「なっ……! なら――」


「落ち着け」


 声を強く席を離れかけるフランの肩を押さえて、落ち着くように促す。


 こりゃアカン。


 根本的に相容れないだろ、この二人。


 お父様とやらがフランをさっさと国外に逃したのは正解だったのかもしれない。


 どうにもこうにも……このシアンとやらは色々と『隠す』タイプらしい。


 つまり……。


 俺と同じだ。


 だからこそ


 ペースに乗せられているフランに種明かしをしてやる。


「シェーナだ」


「シェ、シェーナ? シェーナがなんなの?」


「お前をラベルージュに迎えに来たシェーナは、誰の命令で来たって言ってた?」


「そ、それは…………!」


「それでお前を連れ戻したかったのが誰かハッキリするだろう?」


 そうだ。


 それと分かる嘘はつかないだろう。


 それでもこいつは今の短い会話の中に嘘を混ぜた。


 何故か?


 嘘を相手に気付かせないようにするために、本当の事の中に一匙の嘘を混ぜるのは効果的だ。


 しかしそれは本筋ではない。


 嘘とは――


 ためのものである。


 ――こいつが嘘をついた理由は何だ?


 驚きに言葉を失うフランに、シアン姉様とやらが尚も言葉を投げ掛ける。


「お父様が倒れる前のご指示よ。私の一存じゃなかったわ。……たぶん、自らの危地に次代の指名をするためだったのではないかしら?」


 こいつの言葉は聞くな。


 さも『……そうかもしれない』と思わせるようなことを言ってるだけだ。


 フランの頭に詰め込むように、己が考えを垂れ流す。


「こいつは話術が巧みで頭の回転も早い。話を情報として捉えるな。『方向』として捉えろ。直ぐ分かる嘘をついた理由……それがに関係している。たった一度とはいえ、自家の乗っ取りに出たって言うんなら無事で済む筈がないんだ……。それは既に体面を気にするといったような問題じゃない。ハッキリとした反旗だ。なのにこの余裕は何処から来てる? 少なくとも『お父様』を問題としていない。存命で、元気であったとしても。今更フランを父親に会わせたところで――――会わせたいのか?」


 さっきから……お父様とフランの仲違いを狙ったような発言といい……当初の目的である現当主の確保を促すような発言といい……。


 むしろ会ってくれと言わんばかりである。


 ゆっくりと……。


 意識された瞬きを一つ――


 再び開かれた桃色の瞳が、フランと同じ色の瞳が、初めて俺の姿を映す。


 僅かに見上げられる視線は……しかしハッキリとした冷たさを宿して、俺という存在を見下していた。


「貴方は、何処の雑草かしら?」


 儚げな声が辛辣に響く。


「『アスファルト』から生える雑草だよ」


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