第621話


 一度は抜けた列を数時間してまた並ぶという不思議。


 まだ交代の時間じゃないのか、キップを切っているのは例のボーイだった。


「あ」


 ふふーん! どうだね? 嘘じゃなかっただろう?!


 貴人を前にして声を上げるという失礼を敢えて無視するジェントルマンな俺は、自信げな笑みでボーイに掌を突き出した。


 突き出す指の数は二つ。


「大人二枚!」


「何言ってんのよ、ちょっと黙ってて」


 ボソリと背後から呟かれてシュンです。


 代わりとばかりに前に出てきたフランが、開いたハンドバックからキップを取り出してボーイに渡している。


「ごゆっくりお楽しみください」


 キップの確認を終えたボーイの定例句を聞きながら中へと入る。


 どう見ても完璧にヒモですありがとうございます。


 どうやら当日券の販売を行うタイプの歌劇場コンサートホールじゃなかったみたい。


 中は光の魔晶石を使った綺羅びやかなランプで明るかった。


 これまた大仰なエントランスには二階へと続く階段や各部屋へと繋がる通路やら扉やら……。


 混雑しないようになのか各所で待機する従業員は、外でキップを切っていたボーイと同じ制服だ。


「ちょっと、キョロキョロしないでよ。今はあんたがナシュイナイン男爵なんだからね」


「初めて聞く単語に動揺しかないんだけど? 更に狼狽えるようなこと言わないでもらえるかなあ?」


「仕方ないでしょ? 例の身分証の元は男爵なのよ、男爵。私が男爵に見えるのかしら?」


「男性の名前を名乗っているとかいう設定にしたら?」


 正直、世界が違い過ぎて尻尾を出さない自信が無いよね?


 迷いなく進むフランに付いては行っているが、精神的には未だに入口でボーイにマウント取ってる辺りなのだ。


 自然と配されるドリンクを受け取っては一つ渡してくるフランに、これは飲む物なのかポーズなのかも聞きたい。


 ……どうしよう? お酒かもしれないのに全くテンション上がらないぞ?


 どっかのホテルのバーよりも居酒屋の方が飲めるタイプなんだけど?


 こちらが困惑している間も、ドリンクを片手にしたフランはその視線を忙しなく動かしている。


「……いないわね。とすると、既に観劇中か……ハズレかの二択だわ。行きましょ」


「あ」


 まだ一口も飲んでないのに?!


 結局口を着けることのなかったグラスを、受け取った時と同じように自然と配されている従業員のトレイへと戻すフラン。


 他に手本も無いので真似をするが未練はタラタラだ。


 スタスタと早足気味だったフランの速度が落ちて隣りへと並んだ。


 すると何を思ったのか俺の肘の内側へとフランが手を伸ばしてきた。


 ――――逆関節?!


「……ねえ、緊張し過ぎじゃない?」


 掛けられる声に、どうやら酷い事はされないようだと体の力を抜いた。


「なるほどね……いや、常に警戒は怠らないようにしなきゃなって」


「殊勝な心掛けね。じゃ、私を伴って二階へ上がって。さすがに二階はね……エスコートじゃなきゃ変に思われるから」


 そうなの?


 なるべく自然な感じで周りを見渡してみるが、別に二階へ上がっていくのは必ずしもパートナー有りきというわけじゃなかった。


 ただ……二階に上がっていいのは貴族だけなのか、たとえパートナーがいたとしても主導している側は貴族っぽい風貌をしている。


 まあ、上がれと言われりゃ上がりますが……。


 上に何があるわけでもないでしょ?


 階段を登りながらフランが話し掛けてくる。


「念の為、貴賓席にも顔を出しておくわ。観劇中なら其処にいる筈だしね。歌劇の最中でも挨拶には応えてくれるのが一般的だから、たぶん断られはしないと思うわ。目は顰められるかもしれないけどね」


「いいんじゃない? 帝国貴族のご不興なんていくら買おうが全てロハだし」


 いざとならなくても俺は国に帰るわけだし。


「わからないでしょ? それこそ将来的には、そういうことも……!」


 どういう未来を辿ったらそうなるんだよ?


 やっぱり高位貴族とやらに目を着けられるのは嫌なのか、些か顔を赤くして反論するフラン。


「いいから! なるべく不興は買わないようにして! 無難ならいいのよ、無難なら!」


「へいへい」


 どうもハズレくさいのに手間が掛かりそうだなぁ。


 この要領でドームを四つも回ってたら、とっくに朝日が昇ってしまう。


 …………こりゃ見つかんねえな。


 僅かに感じていた緊張感が緩むのを意識しながら、欠伸を噛み殺す。


 幸いにしてドームの中まではローブの奴らも入って来れないみたいだしな。


 シェーナも……やはりドレスコードで言えば騎士鎧は外れている。


 乗り込んでくる可能性は少なく思えた。


 あれよあれよとアポイントを取るフランに、お気に入りの人形よろしく引っ張られて豪華な扉の前に連れ出された。


 こういうところは意外と如才ないと思うのだが……そういや他国に嫁入りさせられる前提の貴族だったわけだし、しっかりと教育されていたのかもしれん。


 かくして開かれた扉の向こう側は――――薄暗く。


 どうやら歌劇の最中というのも本当なようで、目立つようになのか二階席から見えるステージには眩いまでのスポットライトが当たっていた。


 圧迫感が無いようになのか広く取られた二階席は、その広さの割にテーブルと椅子が二脚しかなく……しかも給仕を務める従業員を除くと貴族っぽい人間は一人しかいなかった。


 女性だ。


 しかし一目で違うだろうと思えるほど……その容姿はフランに似ていない。


 腰まで届く黒髪に、オシャレなのか生まれつきなのか青いラインを走らせている……華奢な感じのご令嬢だ。


 背丈も僅かにフランが勝る程度の……まさかこれが――


「……お姉さま」


 ――とか呟かれた日には……ううん?


 ごめん、もっかい言ってくれる?


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