第600話 *第三者視点


 天檻関所あまつおりのち


 大陸を中央で東と西に分ける大峡谷と険しい山々には、何も穴が無いわけではない。


 大峡谷の始点――陸路が繋がるその端に、歩いて山越えを可能とするルートが存在していた。


 東で唯一となったセレスティア帝国が、次の目的としてその勢力を西へと伸ばさんとするのは誰の目にも明らかで……。


 同時期に周辺国を併呑して立ったラグウォルク王国が、これを阻止せんと砦を建設するのもまた道理であった。


 それが今の天檻関所――通称『天獄』と呼ばれる城砦である。


 唯一の陸路を塞ぐように建てられたその城砦は、東をそそり立つ岩山に、西を大峡谷にと挟まれて、帝国からの人の侵入を防いでいた。


 このためラグウォルク王国は『セレスティア帝国の侵攻』と言われたなら、南東――海側からの侵攻を思い浮かべる。


 それだけこの城砦は鉄壁を誇り、ラグウォルク王国人の安心を買っていた。


 まず地理的な条件。


 攻めるに難く守るに易いとはこの事で、見張りは正面に立てるだけで済む程の視界を有している。


 そもそも左右は警戒に値しない程に自然が厳しく、幾度となく裏を掻こうとする帝国側が大峡谷に部隊を送り込み――また幾度となく帰らぬ者を生み出していた。


 唯一の攻め手となる正面は道が限定され、戦力に関係なく送り込める人数は決められている。


 包囲することも出来ない限定的な戦力では、相対する位置的にも――――また人員的にも、帝国が砦を落とせる道理は無かった。


 当時の国王より、この砦には七剣と呼ばれるラグウォルク王国における最高戦力の一人が張り付いている。


 それは代を重ねようとも変わらない。


 こと七剣の『絶対勝利』は建国からの功績を考えるのなら、この城砦から来ているのかもしれない。


 まさに難攻不落。


 常に自国から物資を補給出来ることも計算に入れるのなら、素人考えでも落とすのは困難に思える。


 大陸に覇を唱えんとするセレスティア帝国が何百年も西へと侵攻出来ない理由は、この城砦とラベルージュ海洋国の存在にあった。


 またそれだけに――――王国はこの砦だけは落とせない。


 その砦が、今……未曾有の緊張感に包まれていた。


 初となる『七剣』の不在。


 しかも暗殺という、警備が厳重な砦にあって仲間を疑いかねない事態に……急遽指揮を任された副官は混乱の極みにあった。


 謀略というものに縁遠いとされた砦だからこそ、建国以来初めてとなる緊急事態にマニュアルは存在せず。


 副官は自身の送った援軍要請が未だ受理されない状態に苦い思いを抱いていた。


 そしてそれを見越したかのように軍勢を派遣してきたセレスティア帝国。


 明らかな内通具合は、暗殺という非道な手段が行われたこともあって砦内部の疑心暗鬼に拍車を掛けていた。


 その砦の最上部。


 天檻関所最高司令室――その隣りの部屋である副官室で、暫定総司令官を任された副官は窓の外を睨んでいた。


 帝国側を一望出来るその景色には、展開中の敵の軍勢も映っている。


「ナメるなよ、帝国」


 呟かれた声には不退転の覚悟が込められていた。


 未だ犯人が見つからないとされる砦は、厳戒態勢を敷くと共に人の流出を止めていた。


 絶対に犯人を逃さないという決意の表れである。


 面長で神経質そうな顔の副官だった。


 誰に見られるともない部屋だというのに、窓に向かい立つ姿は緩みなく。


 ――――しかしその眉間には皺を刻んでいる。


 長年仕えた司令官である七剣を失った副官は、信じ難い想いと共に現状を打開せんと思考を巡らせていた。


 事ここに至っては、副官も暗殺が帝国側の策略であることを理解している。


 よもやの内通だ。


 この砦の重要性は王国貴族なら誰しもが理解している。


 故の七剣――――である。


 そこに暗殺などの謀略を巡らせられるのは、少なくとも貴族の名家……あるいはもっと上の――


 となれば下手に近くの領地から兵力を集めるわけにはいかず。


 最悪、現存する戦力で帝国の軍勢を迎え撃たねばならなかった。


 獅子身中の虫――暗殺犯の存在に士気の低下……加えて七剣の不在。


 考えうる限り最悪の状況だというのに、援軍は届かず。


 やけにゆっくりと……まるで毒が回るのを待つように万軍を展開する帝国に、副官は益々と眉間の皺を深く刻む。


 常時であれば、たとえ万軍が越えようとも副官が不安に思うことは無かった。


 数で押すには難しい堅固な城砦に、奥の手として存在する七剣。


 歴史に積み重なる功績が、この砦が陥落することは無いと教えてくれている。


 それだけに――となる事態が、黒星を生むかもしれないことも……副官はよく理解していた。


 やけにあっさりと進んだ指揮権の委譲も、恐らくは謀略の一つなのだろう。


 七剣が死んだことで今もっとも得をしたのは、この副官なのだから――


 外から見れば、異例とも言えるだ。


 疑心暗鬼が進む砦内部で、たとえ違ったとしても副官に疑いの目を向けないのは難しいだろう。


 せめてもの抵抗にと司令室を空けて己が意を示しているのだが……不協和音響く砦内部にとってはさざなみにしか過ぎず。


 危うい――――これから起こる戦を、副官はそう読んでいた。


 如何に打破するべきか……憎き仇を瞳に映しながら思考を巡らせる副官に、吉報とも言うべき援軍の報せが届くのは、まもなく――――


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