第584話


 念の為に掛けていた両強化の二倍が、悲鳴の主の場所を教えてくれる。


 というか大袈裟に構えなくても直ぐ近くだ。


 しかも他にも幾つか気配があることから、あの日焼け少年が何人かと一緒に居ることも分かっていた。


 万が一を考えて、こっそりと茂みの向こうを覗いてみれば――――そこには『木登りの途中です』と言わんばかりに木にしがみ着く日焼け少年がいた。


 視線を下にズラせば、フゴフゴと鼻を鳴らしている猪が一匹。


 ストレスを感じているのか、前脚で地面を掘るように蹴りつけている。


 近くには折れた棒っきれまで転がっているんだから……。


 完全犯罪である。


 フランが呟く。


「叩いたのね」


「叩いたんだな」


 半べそ掻いて木に登ろうとしている日焼け少年はともかく、既に木の上で恐々と下を覗いている同じ年頃の少年少女や、俺の居る茂みの近くに隠れている少女は友達だろうか?


「うむ。仲良きことは美しきかな、だな。仲良く遊べよ?」


 隠れている少女に声を掛けたら、手で口を押さえたまま嬉しそうにコクコクと頷かれた。


 育ちがいいご令嬢が引き気味に問い掛けてくる。


「それでいいの?」


 いいんだよ、庶民の友達感覚なんてこんなもんなんだから。


 俺の知り合いなんて、己の妹を泣き叫ばせて餌にするという極悪非道っぷりだったぞ?


 それに比べれば、危ないと感じたから先んじて逃げたり隠れたりすることの何が悪いというのか?


 むしろ優秀だとすら思うよ。


 見た感じ、日焼け少年が一番の年長さんであるようで……どうにもガキ大将っぷりが拭えないのは在りし日のテッドに似ていることもあるのだろう。


 このまま頑張って貰いたい。


「なん?! た、助け、助けて……!」


 ふと遠い目になって在りし日とやらに思いを馳せていたら、日焼け少年の叫びが聞こえてきた。


 木にしがみ着くその姿からはこっちが見えていない筈なのに……どうやら話し声が聞こえていたらしい。


 耳のいいガキだな。


 しかし少年の言葉にふと気付かされる。


「……ああ。『それでいいの?』って助けなくていいのって意味か……」


「他にどんな意味があると思ったのよ……」


 いや、だって……ねえ?


 日焼け少年の悲痛な叫びに、どうにも困っているらしいと理解したのが今だ。


 てっきり隠れたり逃げたりしている他の子供を咎めているものだとばかり……。


 それというのも、猪のサイズに問題がある。


 決して大きくないのだ。


 ウリ坊と呼ぶには成獣の域にある猪だが、それはうちの村で狩るのなら見逃すぐらいの成長具合でしかない。


 ぶっちゃけ食い出がない。


 漁村の近くとはいえ、この猪がまだ生きている理由がそれだろう。


 村の中には荒らされる畑もないと言うし。


 だから一目見た限りでは、精々一メートルにも及ばない猪と討伐ごっこを繰り広げている子供達……にしか見えなかったのだ。


 うん、まあ言い訳だけどね?


 のんびりと構える大人側はともかくとして、猪の方はまだ元気な悲鳴を響かせる日焼け少年が気に食わなかったのか、ゴツンゴツンと額を木に当て始めた。


「ひ、ひいいいい?!」


「聞いたか? 今時『ヒイ』っていう悲鳴はレアだぞ?」


「あんた、実は悪魔と契約でもしてんじゃない?」


 録音出来る魔道具でもあればなあと技術の躍進を惜しんでいる俺に、フランは白い目を向けてくる。


 心外だな? 別に意地悪で助けないわけじゃないぞ?


 早く助けてあげなさいよとばかりに鼻白んでいるフランに、俺は田舎事情を諭してやる。


「いや、こういうのは早いうちに痛い目を学ばせてやるのが田舎の常道だから。ぶっちゃけ獲物なんて千差万別……こんな小さな猪で危険を学べるなら、むしろ願ったり叶ったりだろ? 俺の村の周りに出る鹿なんかまだ凶暴だぞ」


 奴ら死んだフリの常套犯だから。


「そうなの?」


「そんな訳ないだろ?! は、早く助けてくれよ!」


「……って言ってるけど?」


「反射的に言ってるだけだろ?」


 『ねー?』と同意を求めるように未だ茂みに隠れている女の子に首を傾げると、またもや嬉しそうにコクコクされたので間違いない。


 ……まあ、見た感じ五歳以下を連れて来なかったのは評価してやってもいいが。


 少しは反省すべきである。


 そうだ! しっかり反省しろよ! テッド!


「大体なんで木の棒なんだよ……エノク達でもまだナイフや弓矢を持ってったっていうのに……刃物はどうした、刃物は」


「刃物なんて持たせてくれるわけないだろ?! しょうがなかったんだよ!」


「そこはそれ、包丁とか……なんなら銛とかあったんじゃない?」


「そ、そうか! そうだな! つ、次はそうする!」


「……案外余裕なのかしら?」


 案外も何も、こんなの普通だ。


 ぶっちゃけ異世界の子供事情なんて本当にこんなもんだ。


 魔物もそうだが……前世の獣と比べてもまだパワフルに思える異世界の獣。


 なんならより身近な危険とすら言える。


 そんな獣がいる森に出れる年齢とあらば、これぐらいの事はトラブルでもなんでもない。


 現に他の子供の方は騒いでないだろ?


 手筈としては茂みの子供が大人を呼んでくるか、もしくは木登りしている子供達が大声で助けを呼ぶかってところだ。


 漁村もまだ見える位置にあるしな。


「ああ、そうか。だもんな。まずは小さい魚から相手しろとか言われてたんだろ? 獣じゃなく」


 それでもって魚も下手な魔物より強いからなあ……。


 手っ取り早く己を認めさせるために、陸の獣を成果にしようとしたんだな?


 どうりで遊んで見えたわけだ。


 漁はともかく狩りは教えてもらってないんだろ?


 だとすれば……。


「ますます一人で頑張って貰いたいな。なんならちょこっとボコボコにされるといい。大丈夫、教会に駆け込めば治る」


「そ、そんな……」


「イケるイケる! なんなら勝てるよ! 頑張って!」


「鬼ね」


 誰がオーガか。


 そろそろ限界なのか、腕をプルプルさせてズルズルと下に滑り始めた日焼け少年。


「ほら? そこだ! 相手は真下だぞ! 体重を掛けて飛び降りざまに蹴りをくれてやれ! 武器が無いなら肉弾戦だ! いけ! 飛べ! うちの村じゃそうだ!」


「〜〜〜〜ッッッ! うそッ、つくなよぉ?!」


 俺限定でその方が楽だから嘘じゃない。


 しかし俺の声援は獣的にアウトだったのか、必要に木を折らんと体当たりしていた猪がこちらへと振り向く。


 どうやら誂うのもここまでのようだ。


「お、なんだ? 今日の昼ご飯め。人間様に勝てる気か?」


 鼻息荒く目を血走らせる獣を前に、右手の指をポキポキと鳴らして応えた。


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