第582話


 一般的な宿屋よりも遥かに良心的な値段で泊まらせてもらえることになった。


 街まで順調に行って馬車で二日程度と言われたからには、どうせなら乗っけて行ってもらおうという訳だ。


「ん」


 不機嫌さを隠そうともしない褐色男子を捕まえては再びの案内となった今日の宿。


 勿論、捕まえたのは俺達じゃなく村長である。


 子供の方もなんとなく分かっていたのか村長の家の近くに居たのだが……。


 よくバックレなかったなあ? 小遣いでも貰えるんだろうか? まだプライドよりも実利が勝るっていうんなら、そんなに怒ってもなさそうだ。


 仕事を押し付けられ過ぎて上司にキレる若い奴とか見たことあるし。


 まあ、この日焼け男子はそこまでの年齢でもないけど。


 宿……と呼ぶには小屋に近いそこは、恐らく宿屋が存在しない村特有の宿泊施設なのだろう。


 役目は終えたとばかりに一目もくれず立ち去ろうとする褐色男子の背中に、余計とは思いつつも一言掛けた。


「変に自分の実力を見せようとか考えんなよ?」


「……チッ、うるせえなあ!」


 言い捨てて走り去っていく少年に溜め息が漏れる。


 ……言わなくても良かったんだが、絶対になんか『やってやろう』って感が透けて見えてたもんで……。


 歳的にはボコボコにされた時のエノクとマッシに近い年齢だろうか?


 ……あの年頃にはなあ、あるんだよなぁ……そういう欲求が。


 もう生理的な物とでも言えばいいのかってぐらいの『病気』と呼ばれるぐらいの発症性を持つ何かが……いやマジで。


 一人で田舎の爺さん婆さんの家に行く、的な欲求が。


 魔物なんて脅威が身近なこの世界で、その欲求をどうやって発散させるのかは想像に難くない。


 うちの村でもあの年齢ぐらいになると狩りの手伝いが解禁されんだよ……。


 いやだからってエノクやマッシほど上手く当たったりしないけどね?! いやほんとに!


 ……上手くいったらいったで他の欲求も出てくるしねぇ。


 そこに兄貴なんてもんがいたら引き摺られるのも仕方ないのかもしれない。


 エノクとマッシ、テッドとチャノス、次は俺の下の世代の男が冒険者登録に出掛けそうだもん。


 そして八割が定職に就いてることを思えば、冒険者の夢の無さというか現実的な難しさも分かるだろう。


 あれ、テッド達、実は正解なんだよなぁ……手っ取り早く稼ぐのにダンジョンに行く、っていうの?


 もしくは生活出来るレベルの依頼発注率の高さを誇る都市に行くか。


 地元を出て行く県外就職組や上京組に似た何かを感じたよね……世界が変わっても人の世の仕事ってのは何処か似るのかもなぁ。


 夢もクソも無い異世界だな? 転生する場所間違ったんじゃない?


 この世界の他領へ移動する日数や危険を考えると、地元を離れるというのは一生ものの選択だ。


 現に俺の両親も、村に移住して来てから故郷の村に帰っていないと言っていたし、帰るつもりもないとも言っていた。


 つまり――地元を捨てる判断、親しい人と二度と会えなくなるという判断をして、初めて一流冒険者になるための一歩目を踏み出せる、ということだ。


 ……世知辛ぇ。


 そりゃエノクとマッシも戻ってくるよな。


「……ねえ、ちょっと?」


 あの日焼け少年の将来を想って居なくなった背中に遠い目を向けていたら、クイクイとフランが服を引っ張ってきた。


 別に先に入ってても良かったが?


 てっきり先を促されているのかと思った俺を、キョトンとした視線が出迎える。


「行っちゃったわよ? これじゃ宿の場所が分からないじゃない。追い掛けなくていいの?」


 ……え?


 …………あ、ああ、そうか……こいつ貴族の子女だったな。


「ここだよ、ここ。この小屋が今日の宿。知らないか? 宿屋が無い村とかじゃ、他所から来た奴を空き小屋や空き家屋に泊めんだよ」


 説明しながらも建て付けの悪い引き戸をスライドした。


 埃っぽさは普段使われていない証だろう。


「な、な、な…………」


「お、割と綺麗だな」


 そういえば最近海に出ていないと言っていたので、暇になった隙に掃除でもしたのかもしれない。


 俺達が使っていた小屋も、二ヶ月に一回ぐらいは村人の誰かが交代で掃除してたしな。


 役人が来る時以外は子供の溜まり場になっていた小屋も、定期的なメンテナンスは行われていた。


 たま〜に締め出されるんだけど……何故かそういう時に限ってあいつら俺の家に来てたりしたよなぁ。


 お陰で仲良し幼馴染集会皆勤賞だったもの。


 小屋の中には古ぼけたベッドが一つだけで、テーブルも椅子もあったもんじゃなかったが、隅の方に藁束が山となっていた。


 普段は倉庫として使ってんのかな? この藁束はいざって時に自分で寝床を作る用だな。


 俺の推理を裏付けるように、掃除しそこねた藁が少しばかり床に残っている。


「ちょ、ちょっと! 寝れないわよ、こんな所で!」


 小屋に踏み込もうとする俺を、フランが掴んで引き戻した。


「ええ?! 何を今更……鯨の胃の中でも過ごしたんだろ?」


「ね、寝れるわけないでしょ?! あの状況で! それに……下にはシェーナが持って来てたシーツを敷いてたし、他にもなるべく肌には触れないようにしてたわよ! 当然でしょ?!」


 お、おう……そうやったんや?


 くり抜いた鯨肉のブロックの山を登ろうとしてたようにも思えたが……よくよく考えればそんなわけないよな。


 じゃあまあ、あの時のハイテンションは何だったんだろう――は、今度聞くとして。


「しかしベッドはあるわけで……」


 なんとか今日のところは我慢してくれない? 婚約破棄令嬢って、大抵は何かしらに我慢してるもんだしさ。


 ね?


「そ、そうじゃないわよ! いや、それもあるんだけど……そうじゃなくて! …………ネ、ネズミとか、虫とか! な、なななんか出そうじゃない?! あんた、こんな所で寝れるの?!」


 あ、なるほど……そっちか。


 再び振り返って見た小屋の中は、湿気とカビの臭いに満ちた――暗闇で何かがカリカリと音を立てる空間だった。


 村での暮らしも長いから忘れつつあったけど、そういや俺も子供の頃、よく分からんウゾウゾ動く虫を手にしたテトラに追い掛けられて半泣きになったこととかあったよなぁ……。


 なんで子供の頃って、あんなグチュグチュした感じの虫とかニョロニョロしてる爬虫類とか触れんだろうね?


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