第574話
「ハア…………まあな? そんな気はしてた」
ああ、またここだ。
ここが何処かは分からない。
しかしここに来ると、前もここに来たことを思い出す。
なんで忘れることが出来たんだろうか?
ここはとても居心地が良く、静かで、過ごしやすいのに。
真っ暗で、上も下も無くて、ともすれば自分すら曖昧で、しかも己以外の誰かだっているのだが……。
それでもここは、一切の煩わしさがなく、それでいて自由だった――――
似たような感覚を味わったことがある気がする。
…………どこだったかな? いつだったかな?
ここでは全てが叶うというのに、何故か思い出せない。
……まあいいか。
どうでも。
「いや良くねえよ。慣れんな。出来れば来るな……って言いたいところだが、まあ無理なんだろうなぁ…………ハア」
悪いな。
「ああ、全くだ。悪いよ。クソッタレめ。あれだけ無理すんなって言っといたのに。……って、覚えてたらそれはそれで問題か。引かれてるってことだからな」
今日は不思議とよく喋るんだな?
「いや…………より近くなってるってことだよ。……本気でマズいんだが、お前なあ〜〜……?」
相手の焦りと労りが伝わる。
苦労してそうなことと、どうにかして俺を遠ざけようとしていることが分かった。
こいつの姿はまだまだ朧げで、ハッキリと分かるのに認識出来ないという変な理解だけがあった。
しかし前回よりも、より人間味のようなものを感じれた。
より親近感が持てた。
だから――――右腕のボコボコを、前よりも醜いと思うことはなかった。
そして、新たに両足がドロドロしていることも……そんなこともあるよなと思う程度だった。
そういえば、俺はどうなんだろう?
ふと気になって右腕を見れば、前と同じでボコボコしていた。
そして自分の腕のボコボコは、こいつのボコボコよりも気にならなくなっていた。
むしろ……ちょっといい? ぐらいの感覚だ。
「……俺も変じゃないとは思うんだよな。でも『おかしい』ってのは分かる。それは俺が『知ってる』側だからだ」
足元にも視線を落とせば、ドロドロは……指の二本程度にしか及んでなかった。
おや? こいつと違うぞ?
こいつのドロドロは足全体を覆って、ふくらはぎまで届かんとしている。
明確な違いがあった。
「ああ……今回は前回のこともあったからな、前もって引き受けれたんだよ。……文句言えないってのがなんともなあ……しかもちょっと誇らしく思ったりもするんだよ、ああ嫌だ嫌だ」
そうか、それは悪かった。
「思ってねえな? いや思ってないって分かるからな? お前が分かるように、俺だって分かる。……ハア〜〜」
本当に……今回は随分と人間くさいな。
今も、それは何処かで見たことのあるように頭を抱え、何処かで聞いたことのあるように溜め息を吐き、何処かで思ったことのあるように葛藤しているのを感じられた。
まるで人間のようだな。
そして前回と随分違うというのは、なにもこいつだけに限ったことではない。
なんというか……俺の意識の方もよりハッキリしているのだ。
なんだろう…………なんだろうなぁ? もうちょっと……もうちょっとで、こう……色々と形作るというか、自由に動けるというか、なんか出来そうな気もするんだけど。
夢だ。
夢を見ている。
深い眠りについて、夢を見ていたような気がする……というのが浅い感触だとしたら――
夢だと分かっているのに、思うように動けないのが前回の夢で……。
今回は、より夢の中に入り込んでいる感覚とでも言えばいいんだろうか?
お、喋ってるぞ、動いてるぞ。
でも空を飛んだりは出来ないな。
なのに架空のキャラクターなんかが出て来て――確信だけがある。
夢だ、夢で間違いない、俺は知ってる、分かってる、だからちょっと飛べたり出来ないか? 瞬間移動だ、モテモテで、大富豪の、美味い物を……全部ダメだ。
夢だと分かっているのに。
何故か叶わない。
きっと足りないからだ。
もっと深く――もっともっと深く――夢に融け込めば――そうすればきっと――
「やめろって何回言わせんだよ?」
そんなこと言ったってな。
またも深い溜め息を吐いたような気配が伝わってきた。
なんだよ……パアーッと行こうぜ? 美味い物出してさ、美味い酒出してさ?
そんでテレビを見るんだ。
動画でも映画でもいいぞ?
きっと楽しい。
そいつは、ちょっと嬉しそうに笑った。
「……そうだな。それもいいかもな。じゃあお前――――ちょっと俺の所まで来いよ」
なんだ、そんなことでいいのか?
お安い御用だ。
俺は足を踏み出して――――あれ? なんか場所が分かんねえな?
今、あいつと近いのか? 遠いのか?
おい、お前もちょっと手伝ってくれよ。
「悪いな、そりゃ無理だ。だが……そうだな。お前も知っといた方がいいかもしれん。だからこっちに来い。俺と話すために」
んん? なに言ってんの? 今、話してるんだが?
「こんなの直ぐに忘れちまうよ。なんせ別々の所にいるんだからな。だから、忘れないように、覚えてられるように、こっちに来いって言ってんだよ」
ああ、そっか……忘れんのか。
なら仕方ないな。
それで?
どうやってそこに行けばいいんだ?
「知るか。方法なんてお前が探せ。お前が言い出したんだからな」
――――その声は随分と投げ遣りで……そして面白がっているような雰囲気を伴って、『俺』という存在へと深く響いた。
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