第564話
階段を駆け上がるように空を駆けた。
裂けた海が隙間を埋めんとぶつかり合い、上空を荒れ狂う風はこれ以上の蹂躪を許さないとばかりに吹き荒れている。
風も海もめちゃくちゃで、その巨体故にバランスを保っている輸送船も倒れないのが精々で、身動きは取れないでいた。
いい的だ。
海上に飛び出して輸送船が見下ろせる位置にて足を止めると、大気を掴むべく右手を軽く持ち上げる。
敵を沈める、そのためには船を――……そうだ、フランは……フラン…………。
フランって誰だ?
ズキズキと痛む頭に記憶が奔流となって巡る。
分かる。
知ってる。
鯨の胃袋で遭った貴族のお嬢様だ。
そいつを助ける、為に……鯨を殺す、追っ手を殺す。
そうだ、フランを除かなければ――
要らない情報ばかりに意思を持っていかれる。
判断から感情が削がれる。
まるで肉体の影響が精神にまで及んでいるかのような……そんな錯覚すら受ける。
魔力が五割を切った。
大丈夫だ、今の俺なら全て一瞬のうちに終わらせられる。
終わる、帰れる、面倒で、仕方ない、救う、彼女を、倒す、敵を、壊す、消す、殺す、少し、まだ、あと少し、だから、待ってる、しかし、いい、そうだ、これで、俺は――
強い意志が俺を引っ張る。
――――敵を殺す。
まず沈める――――助けるのはその後でいい……。
その方が効率的だろう。
輸送船周りの船は殆どが沈んでしまい、無事な護衛船は二隻だけ。
一隻は先の戦闘で戦闘海域から離脱していて遠い。
邪魔は無い。
船を覆う魔力の紋様が見えた。
恐らくはあれが白い奔流を受け止めていた、魔法的な障壁だろう。
問題ない。
問題なく――――壊せる。
「――――ノス!」
船が来る。
護衛船だ。
しかし遅い。
間に合わない。
「――――チャノスッ!!」
そうだ、チャノスだ。
あいつの指を、俺は、治す、だって、ノンを、抱き上げる時に、必要だ、表情が、一瞬、悲しげな――
「――――――――レライッ、ト!!!」
頭の痛みが限界に達する。
――呼んでる。
持ち上げた右手が痺れたように震えた。
――解除だ。
あと少し……もうちょっとで――
――だって泣いてる。
近付いてくる護衛船の舳先で、身を乗り出している誰かが声を枯らして叫んでいる。
泣いてる……誰か……また……。
隠れてた筈なのに、泣き声を聞くと出ていってしまう……――しょうがないだろ?
魔法を解いた。
全能から引き剥がされる体が悲鳴を上げる。
全身から拒絶反応のように血飛沫が噴き出す。
いつの間にか無くなった足場が――踏み出した足を捉えられずに頭から海へと落ちていった。
内臓が裏返ったような気持ち悪さと吐き気が体の中で順繰りに回り、指一本と動かせない痺れと痛みが神経を貫いて巡る。
どうでもよかった。
視界は荒れ狂う海を危うく走る護衛船に固定されていた。
フワリと浮かぶ髪の色はピンクブロンド。
泣いてる……直ぐに泣かすんだ、あいつら……大丈夫、大丈夫だぞ? ここにいるから……どこにも行かないから――
「レライト!!!」
ああ、危ない……何やってんだ、危ない……落ちるぞ……なんでそんな危ない所に登るんだ……お前らはいつも……だから目が離せない。
船が来る。
でも届かない。
泣いてる女の子が必死に手を伸ばしている。
でも届かない。
抱き上げてあげなきゃ……泣き止まないんだ。
でも動かない。
せめて笑い掛ける。
泣くな……泣くなよ――――
「な、くな…………テトラ……」
視線が交錯する。
彼女の手は俺には届かない――
「〜〜〜〜〜〜〜〜誰よッ?! テトラ!」
だから彼女はその身を投げた。
飛び付いてくる彼女を、自然と受け止めた。
――――激痛が頭を貫く。
理解は一瞬。
しかし痛みすら思い出してしまった……!
「……他に方法は無かったんかね?」
「バカ!」
全くだ。
泣き顔を擦り付けてくるところまで似なくても良かったんじゃない?
全身を蝕む痛みを歯を食い縛って堪えた。
涙目が二人、海へと落ちていく。
激流と渦で――呑み込まれたら浮いて来れそうもない海へ……。
「ぐ……ぐぞぉ」
魔力が上手く練り上げられない。
体は言わずもがな、なんならしがみついたフランすら引き剥がさせないだろう。
海面が近付いてくる。
せめてもの抵抗と、力の入らない腕でフランを抱き締めた。
抱き着き返してくるフランの力の方が強いぐらいだ。
――――落ちる!
激突する寸前、突然海が盛り上がった。
明らかに不自然な高波は――――そのまま俺達を護衛船の甲板へと押し返した。
なん…………?
疑問の答えは直ぐにやってきた。
「敢闘賞ってやつさ。現地人にしては良くやったよ。その杖を行方知れずにするのは惜しいからな、きちんとオルジュベーヌに返してくれ」
……聞き覚えのある声だな?
具体的には最近、しかも強いショックを受けただけに忘れようがない……。
脳裏に浮かぶ安い茶髪を探す。
しかし引き攣った筋肉は言うことを聞いてくれず、目をキョロキョロと動かすだけに終始した。
いない。
誰もいない。
耳元で聞こえてきたような声に、しかし姿は見えず……ただ風だけが、船の舳先にて俺の髪を揺らし続けていた――
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