第563話


 三体斬った。


 難しいことじゃない。


 腕を一振りすればいい。


 足を動かして距離を詰め、縦横無尽に手刀を振るう。


 それだけで鯨は海中へと没していった。


 殴るよりも力の方向性がいい。


 斬る方が殺すのに向いてる――――


 赤く染まる海の上に立つ。


 手に付いた血液を軽く払うと残る鯨へと振り返った。


 さすがに三体も処理すると……些か


 代償に釣り合ってない気も――――……?


 ふと心の中に覚えた疑問が、しかし形にならずに消えていく。


 時間と空間を曖昧に捉えているせいかもしれない。


 この世界で確かなのは、己の存在と魔力の減少だけだった。


 全力で動くと手加減が利かず、魔力がみるみる減っていくのが欠点と言えば欠点か……。


 …………? あれ? おかしいな?


 マズラフェルの砦で使った時は、魔力の残量じゃなく効果時間で見ていた気が……?


 莫大とも言える魔力を支払って両強化の四倍を発動したのだ。


 追加の魔力は……というか魔力が減ること自体おかしくないか?


 あの黒髪のポニテ――――アテナと戦った時はどうだったか……。


 物思いに耽っていた俺を、海上に残る白い鯨の咆哮が引き戻した。


 考えるのは後にしよう。


 脳の回転まで強化されているのか、意識がそれに追い付かないのだ。


 目的はシンプルがいい。


 鯨を殺す。


 鯨を――――殺すんだ。


 それだけでいい。


 海面を蹴って輸送船を迂回するように鯨へと回り込む。


 未だに跳ね返された水流をグルグルとさせている鯨へと一直線に突っ込んで行く。

 

 うっとおしい奴め。


 姿勢を低く、鯨を斬り裂かんとする右手の親指を軽く曲げた。


 鯨が俺の接近に気付いたのか、旋回させていた水で『水の膜』を張った。


 なるほど……防御のために取っておいたのか。


 本来なら反応すらされずに鯨を斬り裂けていたところなのだが、どうやら海面を走ったことで察知されたようだ。


 更に魔法陣まで展開してきた。


 ――――まあ関係ないが。


 迂回するのも面倒で、正面から魔法陣に突っ込んだ。


 こちらを圧し潰そうとする魔法陣の効果を腕の一振りで壊し、いくらか分厚い水の膜を同じ腕で殴りつけて散らした。


 金属がへし折れるような音を残しながら、絶叫を上げる鯨に接近する。


 仲間の死に憤っているのか、それとも己の死を撥ね退けんと猛っているのか、珍しく威嚇するようにバカデカい口を開ける鯨に、手刀を振るった。


 世界が斬れる。


 爪から先――大気に触れている部分が、手刀の残した軌跡に沿って選り分けられる。


 斬撃は鯨に斜めの線を引き、延長線上にあった海を割り、空を切り取った。


 世界を元に戻さんとした復元力が暴風と大渦を生み出し、命を絶たれた鯨が重力に引かれて海へと還っていく。


 幾度か手刀を繰り返し、鯨の遺体をコンパクトに変えた。


 特に意味は無いが……強いて言うなら図体に沿った大波が鬱陶しかったからだ。


 ボチャボチャと落ちていく肉塊を余所に、残る一匹の位置を探る。


 随分と深い所にいるな…………まさか逃げる気か?


 最初に把握した地点から、随分と下に感じられるダメージを負った鯨の位置に首を傾げる。


 ……考えている時間は無いな。


 魔力の減りが思ったよりも早い。


 連日の魔法使用と睡眠を取っていないことで自然回復にかまけたツケが、ここに来て響いている。


 しかも何故か減る魔力の勢いが発動時の必要魔力量にも届きかねない。


 まだ余裕があると思っていた魔力が、五割を割る可能性が出てきた。


 鯨を追わなければ。


 思考するのもそこそこに、海中へと踏み出していく。


 移動するのは空だろうと海の中だろうと問題ない。


 踏み出した場所には足が届く。


 抵抗もない。


 早々に鯨に追い付かんと海中を走る。


 底の底――――海底とも言える場所に陣取っていた鯨は、まるで待っていたとばかりに魔法陣を展開した。


 先程の一斉射撃に加わらなかったので、もう魔法は使えないものと思っていたのだが……どうやら奥の手を残していたらしい。


 鯨の魔法陣は……鯨の前面じゃなく、その真下へと展開されている。


 なんだ? それじゃ盾代わりにも――――


 疑問の答えは俺の体が教えてくれた。


 メキメキと――奇妙な音を立てながら水圧が上がったことを強化された感覚が教えてくれた。


 それは、元来海の生き物でもある鯨にも効いているようで……絶叫なのか『ざまあみろ』とでも言っているのか鯨が上げている――海の中を波のように伝わる声で分かった。


 無駄な努力を。


 構わずに鯨へと駆けた。


 奥へ奥へと進む度に水圧は倍がけで増えていく。


 圧殺された水棲生物の死体を避けながら鯨へと近寄った。


 最後の咆哮を響かせる鯨を、手刀で縦に割った。


 予想外だったのは水圧を増す魔法効果が、鯨が死んでも消えなかったことぐらいか……。


 大した威力でもないから放っておいて良かったのだが、水が纏わり付く感覚が鬱陶しかったので――



 斬った。



 海が縦に割れ、斬撃は空まで届いた。


 直ぐに海水が押し寄せるだろう。


 さあ…………どうする?


 無論、海上に出る。


 問題はその後だ。


 追っ手を……兵士が、軍が――――邪魔だな。



 ここで殺しておこうか?



 いずれ敵対するのなら……まだ魔法の効果が残っている今のうちがだろう。


 なに、大丈夫、直ぐに終わる、問題無い。


 ――――ああ、それがいいな。


 ――――――――…い!


 ――――だってその方が楽じゃないか?


 ――――――――…めろ!


 ――――何を躊躇することがある?


 ――――――――しっか……ろ!


 僅かなノイズを呑み込んで、海底を蹴って飛び上がった。


 考えるのは後だ。


 まずは敵を殺すんだ。


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