第558話


 …………なんか変な雰囲気だな?


 顔を赤くしたフランはともかくとして、呆れたというか……『こいつイカレてんのか?』と言わんばかりに呆けている兵士達も、その曰く言いたげな雰囲気を出すのに一役買っている。


 魔法使いの指揮をしていたと思われる、女性魔法使いも顔が赤い。


 ふと視線をやると逸らされるぐらいだ。


 何だ? この空気は……? これは…………――――『俺、またなんかやっちゃいましたかね?』な雰囲気!


 って、やってるわな。


 むしろ無防備に体を斬らせながら進むとかドン引きもいいところだ。


「――――殺せ!」


 お、いいぞ。


 その提案はグッドだ。


 いつの間にか距離を詰めていた、装備が特別製っぽい一人が、至近距離から剣を横薙ぎに振ってきた。


 振り返った俺の首筋に、迷いの無い剣閃が差し込まれ――――鈍い音と共に止まった。


「痛え」


「……化け物めっ!」


 全くだ。


 転生なんてしてる時点で人間なんてとっくに辞めてるわな。


「大人しくしてろよ? ――てめーらは後だ」


 言い捨てて床を思いっ切り踏み込んだ。


 踏み込んだ足を中心に罅割れが広がり、めくれ上がる床にバランスを崩した兵士や魔法使い共が転倒する。


 体勢が崩れるのにも構わず視線を逸らさなかったフランが叫ぶ。


「ちょ、ちょっと! 待ち、待ちなさいよ?! 話……ちゃんと話を――」


「あとあと」


 あれが見えないのか?


 警戒を止めた鯨は、回遊させていた体を真っ直ぐに船へと向けていた。


 片方はまたもや魔法陣を展開させている。


 しかしもう片方は……その巨体を船へと進ませてきた。


 一人が足止め、一人が肉弾戦を挑んでくるようだ。


 ――――受けましょう?


 強化された肉体と感覚が、時に取り残される世界で楔を破る。


 音の存在しない世界へと足音を響かせるために――


 コツコツといった音から繰り出される歩みが、徐々に回転を上げて疾走へと変わる。


 泰然としていた巨船が大きく揺れる程の勢いで床を蹴り、魔法陣を展開させている方の白い鯨へと飛び掛かった。


 空に青色を走らせる魔法陣に正面からぶつかる。


 白い鯨の生み出した魔法陣は、見た目よりも固く、『すり抜ける』というよりは『打ち破る』勢いが必要だった。


 魔法陣を打ち破らんと飛び出した勢いのまま拮抗する俺に、収束される水の塊が圧縮し押し潰さんと圧力を掛けてきた。


 ぶん殴った。


 ボキボキという音が聞こえてきたが構っていられなかった。


 本来なら生まれてくる筈だった白い奔流が千々に千切れて空を舞う。


 鯨のサイズで、まさにバケツをぶち撒けたような水量だった。


 霧散する魔法陣を越えて鯨へと近づく。


 勢いは減じたが、魔法陣から鯨までは近く、あとは落ちていくだけでも間に合った。


 届く。


 鯨の――ギィィィイだかピィイィだかいう鳴き声が響いた。


 大慌てで水の膜が鯨の周りを囲むように生成されていくが――


 ――――遅いんだよ。


 その巨大な体を恨むんだな。


 上がる分には力が足りない脚力も、下がる分には問題がない。


 思いっ切り蹴り出した足が自由落下の速度を早め、外界を拒絶せんとした水膜が閉じる前に鯨への到達を可能にした。


 痛みを訴え掛けてくる右手を無視して、左手を大きく振り被る。


 砲弾のような速度で鯨に接触する瞬間に振り抜いた。


 左拳と一面が雪原に見える程の鯨の白い肌がぶつかる。


 手応えはとても生き物を殴っているとは思えない程に固く、しかし波打つ鯨の皮膚は間違いなく肌なのだと主張していた。


 バラバラに砕けることは無かった鯨が、殴られる勢いのまま海中へと沈む。


 巨大な質量の急な沈没に津波も斯くやと言う程の高波が上がり海が荒れた。


 巨体はその鈍さと大きさが弱点になるが、起こる影響とサイズ故の規模が問題のようだ。


 これが帝国海軍の長年の悩みの種だったというのも頷ける。


 輸送船の方は高波にも大して揺らぐことなくその姿勢を保っていたが、接近戦を仕掛けようとしていたのか、近付いて来ていた護衛船二隻は転倒させまいと舵を切っていた。


 おかげで足場が確保出来た。


 鯨を殴った反動で空を泳いでいた体を、大きく揺れる護衛船の一隻に着地させた。


 甲板には一戦カマそうとしていたのか、完全装備の兵士共が所狭しと並んでいる。


 俺が着地したことで揺れる船に落とされまいとしているので、誰何すいかを問う声が上がることは無かったが……。


 代わりに背後を取られまいとしたもう一匹の鯨が、こちらへと方向転換した。


 その鯨も魔法陣を生み出す。


「チクチクチクチクと……芸の無い哺乳類め」


 それが一番有効的だと理解しているのなら、奴らの知能はそこそこ高そうである。


 回復魔法を発動させたことで、俺の両腕を癒やさんとする光が体から溢れた。


 ――――助走を付けるには人が多過ぎる。


 考える暇を与えてはくれず、魔法陣から無数の水滴が迸る。


 鯨にして『水滴』を思わせる水弾は、しかし一つ一つが一抱えはありそうな程の大きさで、繰り出されるその速度からは充分な威力も匂わせていた。


 咄嗟に繰り出したのは、空を駆ける無数の刃――使える魔法の中で唯一と言える攻撃性を持つ風刃の群れだった。


 ガトリングガンのように絶え間なく続く水の砲撃に、空に引かれた斬線が接触し――――呆気なく砕け散った。


 ――――そんな気はしたな!


 護衛船が揺れるのにも構わずに跳び上がると、横殴りの雨のように襲ってくる水弾を素手にて叩き落とした。


 間断なく続く水弾を叩く音は、工事現場でもあるかのような騒音を空に響かせ、雨水へと変えてやった水滴は、その質量と共に俺を海へと流していった。


 僅かにも満たない時間の中で――――しかし確かに海に没した体が、先に落ちていた鯨へと引かれていく。


 曰く言いたげな白い塊は、まるで自分が鯨であることを強調するかのように大きな口を開けていた――


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