第553話 *フラン視点


 不安な気持ちを圧し殺すように、ただただ怒りをその身に満たしていた。


 わかんない……――わかんないわよ?!


 叫び出したい衝動を進む力へと変えて、戦場になっている甲板へと走る。


 杖先を櫛のように使い、髪を掻き分けた。


 それだけで魔法の効果を無くした髪色が元の……貴族家の末席に名を連ねる令嬢のものへと戻る。


 フランシーヌ・オブド・エリカテ・タラン・ジ・オルジュベーヌのものへと――


 歴代に連なる髪色は桃色掛かった金髪。


 海軍閥に於ける権威と象徴の色。


 誇りであると共に、疎ましさを経て、今や呪いにも感じられる色。


 シェーナの髪型を真似て留めていた紙紐が解けて髪が広がった。


 鼻につく潮の匂いに、初めて香る血と火の匂いが混ざる。


 これが………戦場の匂い。


 怒号と魔法が飛び交い、身を切られんばかりの空気が肺を塞ぐ――


 我知らず震える体を叱咤して魔法を撃ち込んでいる一団へと近付いて行った。


 『偽氷塊』と呼ばれる化け物鯨と対峙する海兵に混乱は無い。


 ……それでこそ帝国海軍の兵士だわ……だから……だからこそ私も……!


 ちゃんとしなければという強い思いに反するように、『なんで残るの?』と言わんばかりだった水魔法使いの表情が脳裏に浮かんだ。


 それは今まで遭ってきた幾人もの表情と重なる。


 残っても――死ぬだけなのに?


 残っても――役に立たないのに?


 残ったから――どうだというのか?


 生まれてからこれまで、ずっと向けられて来た言葉隠されていた本音に……今更ながらに腹が立っていた。


 スペアにもならない役立たず、魔法一つ覚えられないお荷物。


 それでも自分は貴族であった。


 貴族でありたいと思い続けてきた。


 だから胸を張って言えた。


 どうするか、ですって? 魔法も使えないのに、ですって?


 ――――そんなの私が教えて欲しいくらいよ!


 それでも生き方を恥じたくなかった。


 貴族として立ち続けることが、私――フランシーヌ・ジ・オルジュベーヌの全てだったから。


 気温とは裏腹に下がる体温に気付かない振りをして魔法攻撃部隊を護る守兵に声を投げる。


「私は――――」


 ――――言ったら最後だ。


 間違いなく姉様に伝わるだろう。


 この船と海軍が私の檻へと変わる。


 言って何になるのか? 私が加わったから何なのか? それで民が救えるのか? 自分の身すら疎かなのに?


 グルグルグルグルと『何故』『なんで?』が頭の中で回る。


 船から落ちないようにと命綱を着けた守兵が私に気付く。


 ……そんなの………――――そんなの私が!



「――――オルジュベーヌ家次期当主! フランシーヌ・ジ・オルジュベーヌ! 助力参戦するわ!」



 貴族だからよ!


 一族に受け継がれる髪を波立たせ、初代が使ったと言われる魔法杖――『契約杖コントラクト』を掲げる。


 必修とも言える帝国海軍の常識は、末端の兵士にも及んでいる。


 戦闘中だというのに怒号に似た指示を出していた小隊長クラスが走ってくる。


 略式の敬礼をする小隊長が爆風にも負けずに叫ぶ。


「ご助力、感謝致します!」


「状況は?!」


「思わしくありません!」


 深く問うことなく参戦を認められたのは、ご先祖様が積み重ねてきた信頼の賜物だろう。


 こんな些細なことなのに……嬉しくて仕方なかった。


 まるで自分が認められたかのようで――


 契約杖の手元に刻まれた家紋を近寄ってくる小隊長に見せる。


 確認を終えた小隊長が再度の最敬礼を入れた。


「光栄であります!」


「戦時よ、構わないで。それよりも……何が思わしくないのかしら?」


 視線の先に居る小山のような白い鯨は、縮尺がおかしいのではないかと思うぐらい大きかった。


 ……ふん、何よ……あれよりも大きな鯨に食べられたんだから……今更恐れないで!


 震え出しそうになる体を唇を強く噛むことで自制した。


 こちらの様子に構わず、小隊長が守兵を二人呼び寄せながら続けた。


「単純に火力が足りないものと思われます! この船の図体はデカいのですが、所詮は輸送船です! 余計な荷物になるからと魔法砲を積んでおりません!」


「怠慢だわ」


「全くですな! 査察のために投錨してこちらの船に乗り込んでいたので、人的被害だけは軽微だったのが幸いでしょう! しかし船が足りません! 白兵戦を仕掛けるために護衛船に兵士を戻したいのですが、最初の津波で左舷の三隻が持っていかれました!」


「右舷の船は?」


 直ぐに脳裏に浮かんだのは津波に呑まれて沈んだ一隻だった。


 それでも右舷にはまだ三隻が残っていた筈……!


「確認に行かせております! しかし使えて一隻か二隻でしょうな! なーに、輸送船が盾になった二隻は希望が持てると思われます!」


 うち一隻は沈んでるわよ!


「火砲を積んでいる護衛船が四隻! 五十人からなる魔法攻撃部隊が一隊! 共にあってトントンといったところでしょうか?」


「……まだ本物の氷塊にぶつかった方がマシだったようね」


「ハッハッハッ! いや全く!」


 甲板で守兵を指揮するだけあって、この小隊長は覚悟を決めているらしい。


 まるで迷いが無いように笑う。


 しかし――――


 小隊長の余裕を削り取らんと船が強く揺れた。


 一撃一撃が恐ろしい威力を持つ水弾が、横殴りの雨のように巨船に降り掛かっている。


 巨船が備え付けていた魔法防壁を発動させて死の雨を防いでいるが……。


 幾つか逸れた水弾が――――私と小隊長が居る場所へと降り注いだ。


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