第543話


 随分と派手な揺れが収まると……部屋には相変わらず意識の無いお嬢様フランが転がるばかり。


 ちょっと寝転がっている場所は変わってしまったけど、大した変化じゃないよね?


「……な、なんなのよ……また鯨に食べられちゃったの?」


 あ、意識はあったんですね?


 そりゃそうか。


 鼻の頭を赤くしたフランが、患部を押さえながら身を起こして辺りの様子を伺っている。


 幸いにして調度品も無い部屋だったからこそ、被害という被害も無かった。


 散らかっているのは、俺が開けてしまった箱の中身と固定されていない椅子ぐらいのものだろう。


 本来の主人を蹴落とした椅子が『今度は俺が乗る番だ』とばかりにベッドの上に鎮座している姿がシュールである。


 箱の中に仕舞われていた食器類は、ほぼ全てが木製なので問題ない。


 唯一と言っていい金属製であるナイフを手に持っていたからこその被害の少なさ(フランは涙目)だろう。


 食品が飛び散らかってしまったのが勿体ない精神を持つ村人としてはショックだったが……。


 部屋の惨状を確認していたフランと目が合った。


 …………ここで落ちてしまった軽食を差し出すのは選択肢としてアリだろうか?


「あんた、ちょっと外に行って何があったのか確かめてきなさいよ」


「御意」


「なんて?」


 一度外を彷徨いている実績があるから、この提案は別におかしいことじゃない。


 ボディーガードだしね。


 目尻に涙を溜めた女の子からの提案なんて、そもそも蹴れるわけがないということも含めて……とりあえずナイフを箱の中に戻して蓋をした。


 コップに注いでいた水や、フランに突撃していったパンは置いておこうか……その話題に触れたら「なんで余計なことしたのよ?!」とでも言われかねないしね。


 パン屑を頭に飾り付けるお嬢様だからこそ余計にそう思う。


 座り込むフランとすれ違い、幾分か警戒して扉に近付いた。


 状況が状況なだけに、これがフランを狙ったものではないとも言い切れないのだ。


 恐る恐る部屋の鍵を開けようとしたら、外から控えめなノックが数回――――特定のリズムで叩かれた。


 合図だ。


 強く一回が『出ろ』で、それ以外が『出るな』だから……これは外に出るなということなのだろう。


 出ない方がいいのは分かったのだが……これじゃ外の状況がよく分かんないね?


 この反応の速さからして『俺達が確かめてくる』ってことなんだろうけど……。


 今一度、依頼主へと視線を向けると神妙な表情で頷いていたので大人しく待つことにした。


 俺はともかくとして、フランの方は極力見られない方がいいのだから当然と言えば当然なのかもしれない。


 密航屋が情報を集めている間に、とりあえずは部屋の片付けをする。


 散らばってしまったコップや皿やパンを元の場所へ戻し、床に広がった水を布巾で拭き取り、ついでにフランの頭に乗ったパン屑も排除した。


「お腹空いてたの?」


「……ええ、まあ」


 『それなら仕方ない』と……あんまり納得していないようだが渋々と頷く依頼主様に、今更本音が言えるわけもなく……。


 物が少ない部屋だから早々に片付けも終えて、逃亡者二人、ベッドに腰掛けて連絡を待っている。


 まんじりとただ待つだけなのも空気が淀むので、適当な話題をフランに振ってみる。


「そういえば……この船、何を運んでるんですかね?」


 やたらデカいけど。


 実物を見たことはないけどコンテナ船とか……ガレオン? とか呼ばれるサイズじゃなかろうか?


 フランが『何をバカな』と答える。


「そりゃ鯨でしょ? バラして冷凍したお肉を載っけてるんじゃない? 他の物資も載ってるとは思うけど」


 ……冷凍技術あるんだ。


 いや、チャノスの実家に村唯一の冷蔵庫があるから……あってもおかしくはないんだけどさ。


 しかし鯨肉か……それならこの船のサイズにも納得だな。


 あれだけデカいのを運ぶとなると、船にも相応のデカさが求められ――――


 ピンと来た不安に、思わずフランに尋ねていた。


「……なんかデカい魔物を運んでる、なんてことはないんですよね?」


 思い出すのは巨大な生物である。


 湖の中然り、山の上然り、そしてこの鯨然り。


 この世界の生物は、時としてパースが狂うから困る。


「そんなわけ…………ない、じゃない……?」


「めっちゃ不安になる言い方なんでやめてください」


 否定の言葉を吐きながらも、思い当たることでもあったのか、フランの台詞は途中で怪しくなった。


 視線も宙を彷徨い『あれ〜?』と思い悩む表情だ。


 え、ちょっと待ってくれる? 断言、断言してくれないと困ります……お客様? お客様?! 困りますよ?!


 まさか『アレ』相手に喧嘩を売ったりはしないと思うのだが……巨大な鯨を捕っている国だけに否定は出来ない。


 再び問い掛けようとしたところで――――今度は規則正しいノックが響いた。


 途端に表情を戻して身構えるフラン。


 その手には細い棒のような魔法の杖が握られている。


 規則正しいってことは……密航屋じゃないな。


 それを証明するかのように、知らない声が外から響いてくる。


「おーい、大丈夫か? 今さっき起きた揺れの説明をして回ってる。死んでないなら返事しろ」


 コンコン、ゴンゴンと叩くノックと口調からして、真面目な船員では無さそうな雰囲気である。


 これにフランと目を合わせると、頷かれたので肯定と捉え……一先ずは対応するべく腰を上げた。


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