第542話
…………暇過ぎる。
名刺交換ならぬ
フラン。
これがお嬢様の本名なのか偽名なのかは置いとくとして、ほぼ丸一日一緒に居たというのに今の今まで名前も知らなかったというのだから……如何にも『関わりたくない』といった意識が透けていたことだろう。
ちなみにお嬢様の方は俺の本名を偽名と捉えているという……ね? ややこしいね? なんでこうなったのか、全く分からないよ。
晴れて妻帯者から独身へと戻った俺としては、争い事とは無縁な感じで暮らして行きたいと思っている。
具体的にはノー暴力不服従で。
だからというわけではないのだが、無闇に船室の外をウロウロして痛くない腹を……もとい! 痛み腹を探られても詰まらないだろうから、大人しく部屋の隅で縮こまっている。
船室にあるベッドは一つ……お疲れ様な依頼主がご就寝中であるからして、俺としては話し相手も無くなり暇を持て余している所存だ。
密航屋の奴らは別の客室を取っているらしく、長々と自分達の客室じゃない場所に居るのは不自然だから――と、そっちに戻っている。
お陰様で美少女の寝顔を覗き放題ですわ。
マジ苦痛。
こんな時こそスマホの出番だというのに……やれやれ、俺を転生させた神とやらはヲタク文化の理解が低いのか、生まれた時は手ぶらという不自然さだよ?
特にやることもないので、仕方なく泥のように眠るフランの寝顔を見ながらボーッとしている。
キャンキャンと喚かなくなったお嬢様は、いわゆる黙っていればというやつで……背のびした感じも無くなり、素の中学生にしか見えなかった。
……この歳で、姉と生存競争しなきゃいけないのかぁ。
すげぇ世界だな、ほんと……。
俺は村人で良かったなあ――なんて思いつつも、最近の災難遭遇率には戦慄を覚えている。
曰く。
俺の知っている村人と違う……! とかなんとか。
やべえよな、村人……そういや魔王とかいたら真っ先に被害の遭うのはいつも村人だったわ。
なんなら物語の主人公より被害を享受してるわ。
つまり…………?
「これは村人に成るための……試練、って……こと?」
「うぅん……」
露骨に否定されちゃった。
ついうっかり考えごとが口から漏れたせいか、ベッドの上のフランが身じろぎした。
咄嗟に口を押さえて様子を伺う。
ポニーテールに結っていた髪を解いて無防備に寝ているお嬢様は……起きる気配がない。
さしもの俺とて眠いのだから、緊張の連続だった当人の眠りが深いのも頷ける。
……あーあー、眉間に皺が寄っちゃってるよ。
今の独り言のせいで夢見が変わったのだろうか? ほんとすんません。
そろそろと立ち上がってベッドの側に行くと、今度はギュッと口元を引き締めて苦しげな表情になった。
完璧に悪夢だ。
「髪の毛食ってるし……」
残念ながら悪夢を解く魔法なんて使えないので対処の仕様がない。
頑張ってうなされてください。
せめてもの罪滅ぼしと口に入った髪の毛を抜いて、眉間の皺を少しばかり伸ばしてやる。
しかし主人公スキルを持ち得ない村人だからか、フランの苦悶の表情は揺るがなかった。
残念、
仕方ない、目が覚めた時用に水でも淹れといてやろう。
備え付けのテーブルには、コップや皿などが入った箱に、軽食まで置いてある。
テーブルも箱も、なんなら箱の中身も固定されているのが……なんとも船の上という感じだ。
箱の方は取り外せるっぽいけど……。
ベッドとテーブルに椅子が一脚、それがこの客室の全てである。
お陰さまで半日といないのに全てを網羅出来てますから、とってもシステマチックですね?
テーブルに取り付けられた箱の中から、木製のコップを一つ取り出して水を注ぐ。
魔法を使ったついでとばかりに、『悪夢が退きますように、悪夢が退きますように』と願いながら魔力に訴え掛けてみた。
ものは試しというやつだ。
結果はいつもの肩透かし。
……本当、やる気の有る無しが激しい魔法さんですわ。
もしくは俺の魔力量じゃ足りないぐらいの魔法の可能性が……! ……あるわけないな。
自分の魔力量が常人より飛び抜けて高いのは、今や自明の理である。
それで一度も魔法が発動しないということは、そんな魔法は無いのか……あるいは俺が使えない魔法なのかのどちらかだろう。
…………分かんね。
肩をクイッと竦めてお手上げだ。
考えても分からないのだからしょうがない。
大人しく軽食の用意をしておこう。
これで『唱え方が違う』とか言われたら訴えるまであるよ? 神とやらに。
……まあ、でも試すだけやらタダだしなぁ。
木製の皿の上に、備え付けのナイフで切った干し葡萄が練り込まれたパンを置きながら、ついでのように唱えてみた。
『悪夢が消えますように、悪夢が消えますように、なんなら俺の心配事も無くなりますよう――――』
ガタン、と大きく部屋が揺れた。
『部屋が』というより『船が』なのだろう。
固定してて良かったとばかりにテーブルや箱がギジギシと音を立て――しかし開いていた蓋から中身が散乱して部屋を舞う。
偶々持っていたナイフが飛んでいくことはなかったが……代わりにカットしたパンが『食べろ!』ばかりに就寝中のフランに体当たりを敢行していた。
そのフランも投げ出されて床に抱き着き「ふみッ?!」という奇妙な悲鳴を上げている。
……俺の心遣いが嬉しいといった感じじゃ無さそうである。
これは俺のせいじゃないと思うんだ?
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