第541話


 そうか……見られてたか。


 キョロキョロと辺りを見渡せば、人目は皆無――――などということもなく。


 しっかりと仕事している船員と、見回りっぽい兵士がいた。


 どうやら口封じは無理そうである。


 いや……別に荒っぽいことしようってわけじゃなくてね? どうも『泳ぐの羨ましい』みたいなこと言うもんだから、彼にも経験させてあげようかな……ってね?


 ここで海に放り込んだら……バレるかな? バレない? ワンチャン? ある? ない?


 掛けられた言葉が言葉だから『混乱するのも仕方ないね?』と思う俺を前に、朝日で黄昏ていたイケメンはどうということもない雰囲気で続けた。


「『氣』属性持ちかあ。ビックリ人間だよな? 珍しいとかそんなんじゃなくさ。昔は『』って概念が分かんないからか、そもそも魔法の一種のように捉えられてたけど」


 混乱に拍車掛けないでくれる?


 ……だったな? じゃなきゃ『』なんて言わないもんな。


 …………そう聞こえただけかもしれないし、もしくは氣属性の研究をしてた転生者の書物を覗いたことがあるってだけかもしれない。


 その引用で喋ってるとか……。


 ……………………でも。



 ――――しかし、こいつのは……例えようもなく――――



 茶髪だ。


 それはこの世界でよくある髪色……。


 違う。


 こいつの髪は、茶色に染められていた。


 である。


 ……まるで……そう、まるで――



 前世の高校生のような――――



 見れば見る程に。


 そう思えば思う程に……どうしようもなく確信が深まる。


 朝日を浴びて目を眇めている様が、前世で言うところの男性アイドルのプロモーションのように映る。


 平服――もうスーツにも見えないそれは、のようで……ピアスと適当に染められた茶髪を合わせると……それこそ前世の男子高校生のようにしか…………。


 驚きだ。


 驚いていることに……驚いている。


 久しぶりに感じた……もう届かないと思っていた世界の空気は、俺の動きを止めた。


 頭の中だけが乱回転するかのように回る…………。


 酷い吐き気と目眩に耐える。


 体が瘧のように震え出す。


 寒い……背中に氷柱を突っ込まれたように寒く、体の真ん中が燃え上がるように熱かった。


 なん……こいつ、な……あ?


 すると目の前の……男は、何を勘違いしたのか『気にするな』とばかりの困っているような笑顔で手を振った。


「ああ……別に咎めるつもりは無いんだ。誰かに伝えるつもりも無い。ただ単純に凄いな、ってさ。予想外だったから。そうか……下の娘にも凄い手駒が居たんだな。……俺としてはどっちでもいいんだ? だから横やりを入れるつもりもない」


 そう言って手摺りから手を離した茶髪の男は、俺に背を向けて歩き始めた。


 …………あ……え? ……なあ――――


 声には成らなかった。


 出し方を忘れたように干涸らびて意味を失った音だけが口から漏れる。


「あんた達が勝てば、また会うこともあるからさ。――頑張って」


 背中越しに投げ掛けられた言葉に……返事をすることも、呼び止めることも、……――視線を逸らすことすら出来ず。


 ただただ…………その背中が船の中に消えていくのを見送った。












 グワングワンと耳鳴りが……いや頭の中の音が酷い。


 手摺りがあって良かった……じゃなきゃ倒れてたかもしれない。


 人前で倒れるとか恥ずかしい…………うん、恥ずかしいよな?


 どれぐらい経ったのか……。


 ふと気付くと腕を引っ張られて、誰かに連行されていた。


 引かれるままに歩く。


 今は……なんか頭を回したくないな…………。


 あれは…………どっちだろう?


 ――――どっち? いや、こんな問い掛けに意味はない。


 間違いないと――感じた、気付いた。


 いる。


 いた。


 俺以外だ。


 俺以外の、俺と同じ奴――――


 吐きたい……


 この、膨れ上がった感情を。


 絶対に理解されない気持ちを。


 俺と――――


「――――あ」


 少し幼くて高い……ここ数時間程で聞き慣れたキンキン声が、耳鳴りを掻き消して脳へと届いた。


 グチャグチャだった視界が収まると、小さな船室の中で……不安そうな表情を浮かべた女の子が目に入った。


 まだ中学生ぐらいの女の子だ。


 元は桃色掛かった金髪を、今はダークブラウンのポニーテールに収め、一目で『将来は美人になるな』と思える……普段なら勝ち気な上に生意気そうな表情の――


 そんな女の子が不安そうな表情で瞳を揺らしていた。


 直ぐに表情は驚愕へと塗り替えられたが――――確かに不安気な眼差しで、視線を足元に落としていた。


 俺を引っ張っていた誰かが開けた船室の扉の向こうに、お嬢様はいた。


 …………そういえばまだ名前も聞いてないな。


 ――――不安だったのか?


 よく知らない魔法使いを頼る程に。


 ――――心細かったのか?


 常に気を張ってなきゃ誤魔化せないぐらいに。


「あ、あんた、船に乗れたの?! どうやってよ?!」


 再び居丈高に振る舞うお嬢様は、一瞬前に見せた不安そうな表情など微塵も感じさせることはなかった。


 …………そういえば鯨の胃の中じゃ、もうちょっとお転婆な感じだったよな。


 あんな死地より外の方が緊張を感じるってどうなんだよ……。


「ふう……一人落ちた時はどうなることかと思ったぜ。早々に浮いて来てたら見つかってたな」


 どうやら協力者らしい俺を引っ張って来た男が、用心深く扉を閉めながらも言った。


 捕まったとかじゃないらしいな……。


 深く息を吸って、そして吐き出した。


 溜め込んだ気持ちに整理をつけるように。


 今はそれどころではないと。


 長く、長く。


「……ね、ねえ? どうしたのよ? それ、大丈――」


「お嬢様」


 随分と長く息を吐き出し続ける俺を訝しんだお嬢様が、心配そうに掛けてきた声に己の声を被せた。


「『お嬢様』って呼び方だと色々問題ありそうなので……名前、教えてくれませんか? 偽名で構いませんから」


「い、いいわよ? 別に……」


「それで……俺のことはレライトと呼んでください。略称はレンで」


 ……仕事は私事を上回るもんなんだよ。


 少なくとも『異世界』においてはそうだから。


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