第538話 *第三者視点


「来たか」


 ヴィアトリーチェ・アルサルス・ジ・ラグウォルクは誰に告げられることもなく状況が極まったことを識った。


 人には見えない瞳の輝きを目を閉じることで消すと、自らの手で淹れた紅茶を口へと運んだ。


 朝日が窓から差し込む部屋の中で一人、大陸を動かす意志が止まる気配が見せないことに、これからの自国の行く末を思っては眉を潜めさせている。


「……フン。そもそも紅茶など淹れたこともないわ」


 あまりのに我知らずと寄った眉根を誤魔化すように呟くと、これ以上口にする気がなくなったティーカップを皿へと戻す。


 溜め息を吐きつつも、彼女の目に諦めの色は浮かんでいなかった。


「必ず盤面をひっくり返してくれる。『血を撒きし者』共め……」


 虚空を睨む彼女の表情は、正しく王者の威厳に満ちたもので――その透明で強固な意志は孤独な戦いを挑む戦士のようでもあった。


 彼女が脳裏に浮かべているのは、自国を襲う恐怖と混乱の元凶である。


 生まれ持った能力と地位が、誰よりも自国の……いやを彼女に識らしめていた。


 幾多繰り返される歴史から、これから大陸を襲うであろう不幸を識った彼女は、それを阻止せんと未来を変えるべく動いていた。


 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ――


 正しくである彼女だったが、己が未だ成人にも満たない少女であることも自覚していた。


 『力及ばず』


 どう繰り返し『予測』したところで閉塞された状況を打開するには知恵も力も足りていなかった。


 人より賢いという地頭と、という能力も、この時ばかりは恨みがましく思ったことだろう。


 『識る』ことは彼女をより強くする。


 ――――しかしそれ故に、己が限界にも気付いていた。


 如何な彼女の権能といえど、情報として世に出ていないことであれば『予測』を違うことがある。


 だがそれは決して良い結果には繋がらず、どれだけ藻掻こうとも大勢を変えられないと彼女に教えていた。


 『バタフライエフェクト』や『蟻の穴』でも知られる、些細な綻びから大きな変化を齎すという一事が、本来なら現象であることをヴィアトリーチェは『識って』いた。


 それでも彼女は探し続けていた。


 自分の能力の『予測』を越える何かを……。


 最良の手を打ちながら藻掻き続ける彼女は――――とうとう見つけた。


 それは万感の想いを成就させた歓喜。


 決して覆せぬ『死の予測』を塗りつぶす力――――


 自分を囮として、黒幕の特定とディラン領軍の洗い出しを行った彼女は、間諜が『知り得ぬ知識』を使ったことを知った。


 見た目には眼球が染まった程度にしか変化のない薬……。


 それが『人の枠をはみ出させるもの』だと彼女の権能は告げていた。


 外見に反した劇的な変化を見抜けたのは、ヴィアトリーチェ以外いなかっただろう。


 異形ことなるかたち


 まさに『異形』だ、それと知ってしまえば人ではないと分かる程の……。


 生まれた時から知識を蓄え続けるヴィアトリーチェをして『識らぬ』物だった。


 もし何処かで、この変化を、薬を、女性兵士のことを、どれか一つでも『識って』いれば――違った予測を生み出していただろう。


 故に『識ったわかった』。


 自分のことを『識って』いる誰かが、自分を狙い撃ちにしたのだと――


 盤上に狂いは無く、何一つ漏らすこともあるまいと後詰めに『七剣』まで引っ張っていた。


 しかし上を行かれた。


 王族守護兵は兄弟間の争いには介入しないものの、王家の血筋を守るために鍛えられた特級戦力である。


 一人一人がダンジョンの深奥に臨む冒険者よりも鍛えられ、尚且つ魔法にも秀でている。


 現場に王族が一人しかいない状況なら、怪我はともかく命にまで危害が加わることもあるまいと予測にも出ていた。


 未だ嘗て……誰も作り上げたことのない薬の、世界で初めての使用だったのだろう。


 鬼札と呼んでも差し支えのない札を裏返されて、どう『予測』したところで己が向かう未来は『死』しかあり得なかった。



 ――――しかしヴィアトリーチェの予測は覆される。



 それも……恐らくは『敵』と定めた『訪い人』による者の行動で。


 訪い人。


 歴史に幾度となく現れる、生まれながらにして神より授けられた力を持つ者達……。



 



 その本質は不明な点が多く……神の使徒、悠久の破壊者などと呼ばれるが、その歴史には常に死が纏わり付く。


 どのような性格であれ、またどういった経緯を辿ろうとも、彼等……または彼女等の紡ぐ歴史には血と骸に満ちていた。


 何故そうなるのか分からない……『識る』ことの出来ない不可侵アンタッチャブル


 しかしその存在が、この閉塞するをも変えれるのだとヴィアトリーチェは知った。


 またその性格も……優しいというにもまだ甘いものだと理解している。


 刺客であった黒髪の女が生きていたことが良い証拠だろう。


 彼女が考えうる『訪い人』とは、随分と掛け離れた存在である。


 より『識る』べく幾重にも会話を交わしたが……未だ見えぬところがある。


 容姿にも平均的な……ともすれば人ごみで見失いそうな一般的な村人だった。


「まさか……斯様な方法で妾の手から逃げるとはの…………侮れぬ奴じゃ」


 確かに管理下に置くべく策を凝らしていた。


 しかし彼女にも予想外の方法で、彼は彼女の手から離れていった。


 未だ最悪の未来に進む状況の中で――――ふと最も危険だと思われる遺跡で交わした会話を思い出して、ヴィアトリーチェは笑みを零した。


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