第521話
水流がオーバーフローした時用の空間みたいな場所に出た。
シャッターというかハッチというか……まあ手動ドアだったよね。
その手動ドアの先にあった噴出口を横へと抜けたところだ。
見張りはいない……というか人が入るような場所ではないのか人影は皆無である。
縦に長い空間は上の方へ抜けられるように見えた。
一先ずの安全確保に成功したので、再び強化魔法を自分に施す。
両強化の二倍。
鯨からこっち、魔法を使い続けているので魔力総量に一割以上の減少が感じられる。
大丈夫だとは思うのだが……念の為に省エネにしておこう。
冒険者ギルドと戦った時ほど魔力を使う機会があるかどうかは分からないが、あのアニマノイズ共が想像よりも随分と強かったので用心に越したことはない。
大した高さでもないしな……。
三階建ての建物ぐらいの高さに包まれた空間を、大した高さでもないって言えるようになる人生よ……。
しかも一息で飛び越えられるというのだから、異世界ってヤバい。
グッ、と膝を曲げて跳躍の前姿勢。
ふと思い立って、少しばかり意識してみるのだが……やはり不思議な力のようなものは感じない。
『氣』とやらは魔力とは別のエネルギー……という話をお嬢様がしていたので、俺が使っている魔法の『強化』も氣属性なら『氣』が関わっている筈だろう。
だから――本来なら飛び越えられない高さの壁を前に踏ん張っている今の状態が、最も氣を感じやすいのでは? ……なんて思ったのだが
何も感じない。
……なんか加算方式みたいな話だったけど……。
『氣』そのものがエネルギーとして成り立ち、氣を纏うことで攻撃力や防御力を上げるみたいな話だった。
しかし強化魔法に感じている力は……どちらかといえば『変質』である。
ランクが全くの別物へとすり変わる、そんな変化だ。
ミニ四駆のモーターだったのに、F1マシンのモーターに変わったような……。
外側に変化が見られないことがまさに『魔法』だろう。
そこに――――不気味さも感じている。
…………いま考えることじゃないな。
迷いを振り切るように地面を蹴って飛び上がる。
壁の縁を掴むと懸垂の要領で乗り越えた。
ここにも人影は無い。
……機関部のような場所なのだろうか?
縦に長いプールを置いた狭い部屋のようになっている。
ここに来て、ようやく人の出入りが出来そうな扉を見つけた。
壁に付けられたランプ……というか確認灯のようなものが扉の近くにある。
幾つものスイッチの脇に付いているので、恐らくはオン・オフを表していると思われた。
オールグリーン……に見える中で赤い色が一つ。
しかしスイッチは他の物に倣って同じ方向へと倒れている。
…………もしかしてもしかするんでしょうか?
『噴出口開孔部』
ほほう……。
試しにパチッと反対側に倒してみる。
変わらず赤い色を発揮するランプに思う。
壊れてやがる……早すぎたんだ。
「整備不足だな……」
呟いて首をフリフリしながら扉のノブを捻って扉を開けた。
人身事故が起きないようにと首だけ扉の先へと出して左右を確認する。
……問題なし。
扉の先は、なんてことのない通路だ。
配管や機関部が剥き出し――ということもなく。
なんなら船が動いているとは思えない程に静かで揺れない。
恐らくはこれも魔晶石や魔道具の齎す恩恵の一つなんだろう……。
所々で前世の科学技術よりも遥かに進んだ魔法テクノロジーを見せてくる異世界だな。
こんなもの見せられたところで、こちとら『船酔いが無くなりそうだなぁ』ぐらいにしか思わないぞ?
防音の使い方だって……両親の部屋に付けれたらなぁ、ぐらい。
早い普及を求む。
スルリと部屋から抜け出して通路を行く。
ここでも人を見つけられないことからして……どうも頻繁に人が行き来するエリアではないようだ。
しかし何故か俺の居た部屋に故障が見られたから、もしかすると人がやって来るかもしれない。
早いとこ移動しなければ……!
いやー、ほんとついてないなぁ。
そもそもからして善人で有名な村人の俺のことを見つけたところで、こいつが関わってそうだとは思わないだろうけど。
どこからどう見ても村人……完璧だもの。
しかし階段――非常口の外に付けられているような狭い階段の下の方から誰かがやって来る足跡が響いたので上へと向かった。
追いつかれる前にと適当な扉に入る。
扉の向こうもまた通路だった。
しかし道幅がやや広がり、無機質な雰囲気から少し暖かみがある雰囲気へと変貌を遂げた通路。
主な原因は丸窓だろう。
通路というか廊下というか……調度品が置かれてある通路は下が絨毯敷きで今は灯されていないランプが定間隔に設置されている。
背後にした扉の向こうの通路にある蛍光灯っぽいランプとはまた違った趣きだ。
これまた定間隔に設置された丸窓から、薄っすらとした光が差し込んでいる通路は、どう見ても客向きな代物である。
従って、並んでいる扉から連想される物もまた一つ――
…………客室、か?
お嬢様がいるであろうブロックとは反対側だ。
いざという時に関連付けられないようにと逆側からの侵入を試みたのだが……。
まだ早朝とあって静かな通路内だ。
逆側も同じ作りだとすれば、お嬢様も似たような通路に放り出された筈だろう。
向こうには密航屋が付いているので、まさか見つかるわけもないが……こちらはそうもいかない。
…………それかもしかして客で通せるのだろうか?
考えつつも足早に通路を進む。
流れるように過ぎていく丸窓の向こうには、薄っすらと朝日を浴びる軍港があった。
どうにかして東側……お嬢様のブロックに繋がる道を探さないと……。
こんなことなら最初から向こう側から上がれば良かったなぁ。
後悔してもしょうがないが、船の広さを思えば愚痴の一つもつきたくなるだろう。
それでも粛々と足を動かしていたのだが――――
「ふわあああぁぁ……」
扉の一つが開いて、欠伸をかます……随分とダンディーなオジサンが出てきた。
整えられた焦げ茶色の髪と髭はワイルドで、そのシャツの胸元を開けた格好が似合っている。
しかし見た目からして『男くさい』と思うのに、何処か品のようなものすら感じるという……反則オヤジ。
一つ分かった。
これがスタンダードなら、俺は……浮く!
船だけにね!
同じオヤジっぷりを披露しているというのに、どうしてこうも違うのか?
「ん〜……?」
ボリボリと胸元を掻いているオヤジの横を、素知らぬ顔で過ぎていく。
急ぎ過ぎず、また遅れ過ぎずがポイントだ。
「あー…………おい」
でも声を掛けられるという……ポイントって何だったの?
『……やっちゃうか?』と見えないように指を鳴らした俺は異世界脳。
「は、はい。なんでしょう?」
まずは会話というコミュニケーションを思い出した理性は尊い。
だから気付くんじゃねえぞ?
振り返ったワイルド髭野郎は、少しばかり言葉を思い出すように首を傾げて言ってきた。
「間違っていたらスマンのだが……お前の取った部屋はここらじゃあるまい?」
「……あ、あー……はい、そうですね……」
そもそも部屋が取れることも知らんかったがな。
「ここらには個室しかない。大部屋なら船の反対側だが……迷ったか?」
ナイス!
「あ……実はそうでして、向こうに戻る道を教えて頂けたらなあー……と」
そしたら命だけは勘弁してやるよ。
やれやれと言わんばかりに眉を曲げたダンディーが指を天井の方へと差して続ける。
「どうせ真っ直ぐ繋がる道があるとでも思ったんだろ? 戻れ戻れ。大人しく甲板まで戻って、そこからまた下れ。あんまりウロチョロしていると警備へ付き出すぞ」
「す、すいませんでした! 直ぐに戻るのでご勘弁を!」
「……ったく」
呟いて部屋へと戻っていくダンディー。
俺が大部屋の住人だと分かってからの態度が随分と違った。
どうも取れる部屋によって、その人の大まかなランクを計れるようだ。
……飛行機のエコノミーやファーストみたいなもんかねぇ?
しかし今は只々感謝である。
一度上へ。
一旦甲板まで出るのが最短ルートらしいからね。
香ばしい匂いにすら鉄の精神力で振り切って、見つけた階段を登る。
嗅いだことのある匂いを思えば、もしかすると運ばれているのは鯨の肉なのかもしれない。
鯨から出て来て半日余り。
…………そろそろ休憩とか欲しいなー、って思う。
密航屋がどういう風にこの船に潜り込んでいるのかは知らないが、合流出来れば暫し落ち着ける時間を手に出来る筈だ。
予定外っぽい乗船も、船に乗ってしまえば追っ手を気にしなくてもいい望外の一手に思える。
まさかあのアニマノイズ共も、急遽乗船したこの船まではマークしていまい。
ちょっとゆっくりする時間を貰えればいいんだ。
家建てて畑耕して嫁さん貰って子供が出来て、引退して子供が孫の顔を見せに来てついでに犬を買うぐらいの時間を貰えれば……。
何も文句はないよ?
まだあるさ……まだある……まだ希望を捨てちゃいけない!
考えようによっては、どうせ追われる身なのだから……お嬢様という帝国貴族が味方なのは心強いところだろう。
あとは適当なところで離脱して、上手いこと自国に帰れれば万々歳ですよ。
お嬢様が後継者争いとやらに勝利すれば、その貴族家が治める領地はフリーパスにしてくれるかもしれないし……。
そしたら帰って…………えーと、帰って……
――――
なんだっけ?
……………………あ、そうだ、思い出した。
チャノスの指を治す薬を貰わなくては! あと、無事だったって報告しなくちゃな……。
それに、残してきたテッドやアンの安否も……うわっ、結構心配事多いな……。
目まぐるしかったせいか、気にならなかったよ。
気にしたところでどうにも出来ないことだけど。
……あいつら大丈夫かな?
心配もそこそこに階段を登り切る。
途中で幾層も降りる階はあったのだが、ダンディーなオヤジの忠告通り、甲板と思われる場所まで登り切った。
特に鍵など掛かっていない扉を押し開けて、甲板へ出る。
さすがに甲板には装備を纏った船員がいた。
操船もそうだが、この世界は一度人の生存圏から離れると物騒なので見張りは必須だ。
しかし早朝というだけあって、甲板に上がってきた俺に注目が向く。
これは…………マズいか?
もう少しで合流出来るという焦りからか、強引にも歩を進めようとしたのが裏目に出たか?
どうにか誤魔化せないかと、景色に驚いている振りをして周りを観察した。
すると俺と同じように……どう見ても平服の船員っぽくない人物が、落下防止用の柵を手に海を見ているのを見つけた。
好都合なことに東側だ。
心臓をドクドクと波打たせながら、自然な動きでその野郎から少し離れたところまで歩く。
なるべく自然にと心掛けたのが良かったのか、船員っぽい人達から声を掛けられなかった。
――――声を掛けられたのは別の奴からだ。
海を眺めている振りをしながら、横目に『何処がお嬢様の居る所に行ける階段だ?』と入口を探していたせいか……。
その
ふと――――既視感のような、何処か懐かしさを感じるような……そんな不思議な感覚が俺を襲った。
一度として見たことないと断言出来る男なのに。
しかしその原因に言及する間もなく――――
「凄いな? 海に落ちたと思ったのに……入れたんだな?」
――――男が投げ掛けてきた言葉の中身に、何処ぞのお嬢様のように身を固めてしまった。
――――――――第十章 完
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