第517話


「船の陰に入ったぞ! 確認しろ、あそこだ!」


 陰と言う割に、差し込んでくる日差しに変化はなかった。


 まあ見張り台からの死角だと聞いていたので、街の位置を考えれば取り付くのは東側からだという察しはつく。


 どちらかと言えば陽の光に照らされているであろう舷側だ。


 ……めちゃくちゃ目立ちそうな気もするけど。


 結構なスピードが出ているからか、余り時間も無いようなので今更質問することもなく、被っていた布を払った。


 目の前には――――巨船だ。


 朝日に照らされて、その姿を余すことなく俺の視界へと晒した巨大な船は……前世で言うところの『豪華客船』に近い風格があった。


 ただし、キッチリと武装されているので与えられる威圧感も軍艦を見る時のそれだが……。


 …………始めて黒船を見た人も、似たような気持ちを抱いたのかなぁ。


 想像よりもデケェよ、どっから梯子を降ろすって?


 遥か頭上に見える……いや甲板から梯子を降ろすんだろうか?


 そんな所をノソノソと呑気に登ってたら恐ろしく目立ちそうなもんだけど……。


 ……そもそも梯子が無いんだが? 梯子どこ?


 疑問も露わに逆さ顔へと振り返ったら、船の舷側を指差して叫んだ。


「あそこだ! 見えるか?!」


 だから何処――――


 船の中腹……幾つも並ぶ丸い窓の一つがカパッと開いた。


 そこからスルスルと伸ばされた縄梯子は、二メートル程の長さを発揮すると、そこが限界とでも言うように伸びるのを止めた。


 大いに風に煽られている縄梯子は、当然だが海面からかなりの距離がある。


 梯子が伸ばされている窓の下には、同じような窓が無いことから、他の窓から登っているところを覗かれる心配は無さそうだが……。


 別の問題はあるよね?


「テメェなら取り付けんだろ? お頭もそう言ってたぜ」


「いつか絶対に払い過ぎた代金の回収に来るからな? 具体的には金針三本用意して待っとけって伝えてくれ」


 巨大な船だが小舟のスピードもさるものなので、ランデブーポイントは見る見ると近付いてくる。


 文句を言ってる時間は無さそうだ。


 加速するまで追って来ていた船の存在を考えると、取り付くチャンスも多くはないと分かる。


 恐らくは小舟を捕らえんと巨船を大きく迂回している筈だ。


 ……多くはない、っていうか、一回きりだよね?


 この警戒の目から逃れられている僅かな空白期間に、あの船の中に入らなければいけない。


 当然だがお嬢様の身体能力じゃ無理だろう。


 同様の意見に達したのか自然と引き寄せられた視線がお嬢様のそれとぶつかる。


 見つめ合ったのは一瞬。


「…………まあ、仕方ないわね。許可するわ。出来れば、こう――」


 よっこいせ。


 なんかお姫様抱っこっぽいジェスチャーを始めたご令嬢を、麻袋でも担ぐかのように肩へと担いだ。


「ちょ、ちょっと! レディを運ぶにも作法ってあるでしょ?! これは認められないわ!!」


 バカ言うんじゃねえよ、両手が塞がるだろうが。


 逆さ顔が叫ぶ。


「近付くぞ! 落ちても戻らねえからな!」


「ああ、じゃあな」


 未だにギャンギャン騒ぐお嬢様を無視して、小舟が縄梯子の直下に至ったところで飛び上がった。


 あまり強く蹴ると小舟も沈みかねないので威力を調整しての跳躍だ。


 舷側に足を着くと、二度、三度と繰り返し飛び跳ねて縄梯子を掴んだ。


 ……ホッと一息といったところか。


 丸窓の向こうにいる……恐らくは密航屋の奴らが『早く登れ』とジェスチャーしている。


 梯子を片手で掴んでいる以上、少しばかり登りにくい。


 まずは荷物から登って貰おう。


「お嬢様、梯子を掴めますか?」


「そ、そうね……。ちょっと高くない?」


 飛び上がった辺りで黙ったお嬢様が、俺の肩の上で体を回す。


 落ちたくないという一心なんだろうけど……ガッツリと掴まれる俺の髪の毛はブチブチという不幸な音を奏でている。


 お嬢様が縄梯子を掴み、俺の体を足場に、ゆっくりと重心を前に押し出した。



 そのタイミングで船が大きく動いた。



 思うほか引く力が強かったせいなのか、もしくは元々整備不全だったのか――――舷側から浮き上がるように離れた縄梯子が千切れた。


 咄嗟に手を伸ばしてくる密航屋共に向かって、お嬢様を押し出す。


 ガッシリと捕らえられ、窓の向こうへと引き込まれるお嬢様を確認した。


 なんというか……運の明暗がハッキリ分かれた形になってしまったなぁ。


 落ち行く体に、『なんとかなるにはなる……』と思っているのは強化魔法のお陰だろう。


 たとえ海に落ちたところで問題ない。


 問題はその後だ。


 逆さ顔は拾ってくれないという話だったし……なによりアイツは今から捕まる筈だ。


 厳戒態勢の中を小舟で爆走したのだから当然だろう。


 しかし魔晶石の暴走を理由に、お咎めがあるとしても軽い罰金ぐらいで済みそうなところ……まさかお尋ね者と一緒には居られまい。


 つまり海に落ちるのなら孤軍奮闘になる。


 最も現実的な手段となると、お嬢様が船を降りるまで潜って付いていくとかなのだが……そんなバカな。


 結論から言えば、船を登るしかない。


 しかし足場が無い。


 全力を振り絞ればことは出来るのだが……舷側に取り付くには横へも動かないといけない。


 そして横への移動には風の魔法を使うしかなく、つまりは人体を動かす程の強風が船を襲うことになる。


 最後に俺の魔法に融通という文字は存在しない。


 どうしたもんかなぁ……。


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