第505話
俺の命令を受けた魔力が
たちどころに濃霧に包まれる一帯に魔法の成功をみた。
視界の一切を奪う霧は、俺と鬣男との間を埋め、一時的な目標の消失を実現してくれた。
しかしそれは向こうにとって、である。
時間を稼ぐことが正義となるこちらにとって、これ以上の戦闘は損でしかない。
仕事の仕方というものを教えてやろう。
視界が切れた一瞬で、叫びかけるお嬢様の口を素早く封じて跳び退った。
瞬発力はこちらに軍配が上がるとあって、スタートのタイミングも俺任せとなれば、追い付かれる道理はない。
しかも見えなくなったといっても、他の感覚が鬣男の動きを教えてくれているのだ。
コソコソと円を描くように移動していると――鬣男がこちらを向いた。
まるでこちらが見えているかのような動きでスタートを切られる。
霧を突き破って、真っ直ぐこちらに向かって――
悪態は言葉にならなかった。
咄嗟にお嬢様を捨てて、相手の姿が肉眼で捉えられる頃合いに、拳にて弾幕を張った。
タイミングは完璧で、先手は間違いなく取っただろう――――しかし突っ込んでくるかに思われた鬣男は足を止め、こちらの拳に合わせるように応手してきた。
現実はクソい。
削岩機のような音を垂れ流しながら拳と拳がぶつかり合う。
一撃毎に腕に痺れが走り、勢いが落ちた。
反応速度と手数で勝っているのだが、威力と重さで向こうに上を行かれるようだ。
拳と拳の反発は、足場の崩壊を再び招き、音と衝撃の饗宴が、空間を波打たせる。
天秤がバランスを取るように――――足場の消失が、今度はこちらにとっての不利となった。
どうやら純粋な腕力だけでの連撃なのか、踏み締める足場が消えていくというのに鬣男の拳の威力は変わらない。
……押される!
技じゃなく、互いの力をぶつけ合うような拳の応酬は、鬣男に軍配が上がった。
弾幕をすり抜けて、相手の拳の一つが俺の頭を跳ね上げた。
――――ナメんなよ?
こちらの右頬を打ち抜いた相手の左拳の手首辺りを咄嗟に掴み、体重を乗せた右蹴りを放った。
頭をボールのように蹴飛ばすつもりで放った蹴りは、しっかりとした重い手応えを伝えて相手の顔を揺らした。
衝撃を殺そうとも、掴んだ手がそれを許さないだろう。
余すことなく叩き込まれた蹴りの威力が、相手の動きに遅滞を生んだ。
――――ここだ!
掴んでいた手首を離し、ここぞとばかりに拳の回転を上げた。
一瞬の遅滞は、充分な隙となり、余すことなく相手を打ち付けるに至った。
かつて『五槍』を相手にしたときよりも、手応えが鈍い。
ゴムタイヤどころかゴムの壁でも叩いているような徒労感を覚える。
いや! 効いてる筈だッ……!
何発目なのか分からないが、相手の体が衝撃を思い出したかのように吹き飛んだ。
すんでのところで振り上げられた相手の蹴りが鼻先を掠めていく。
僅かに当たったその蹴りの威力に、ブッと吹き上がった鼻血が空を染めた。
クソがッ……! 大人しく落ちやがれ!
隕石も斯くやと通りに叩き込まれる鬣男を見もせずに、未だ倒壊の様子を見せる瓦礫の一つを蹴って顔を青くしているお嬢様を引っ掴んだ。
幾度かの跳躍を経て、懐かしき地面へと着地する。
「…………うっ……」
擦り傷に頭髪へのダメージまで拵えたお嬢様が、青い顔もそのままに両手で口元を押さえた。
…………あー。
新成人に見られがちなやつだ。
もしくは呑み屋街の一角とかでよくある。
つまり場所に溶け込んだ演技ってことでいいかな?
エレエレと美少女の尊厳を失っているお嬢様に、マナーを発揮して明後日の方向を見つめていたら……。
通りに出来たクレーターの中心で、ムクリと起き上がる気配を捉えた。
そのまま――淀みなくこちらへと向かってくる。
…………バカ言うんじゃねえよ。
さすがに建物を二つも壊して、通りに大穴まで空けたのだから……騒ぎにならない筈がなく――
いくらかの野次馬とは別に、鎧装備のお役人らしき人影まで見えるようになった。
起き上がったことにじゃない、近付いてくることに驚きを覚えている。
どう見ても暗殺なんて状況じゃないだろう?
わざわざ派手に戦ったっていうのに……その意図が相手に伝わってない気がする。
人目に付けないって話だったじゃないか! 嘘つくなよな?!
まるでダメージを感じさせない足取りで近付いてくる鬣男に、逃げるべきなのか戦うべきなのかの判断の分かれが、俺の足を止めてしまっていた。
――ダメージを確かめたいという想いもあった。
ドシドシと……足音も荒く霧を裂いて表れた鬣男は、頬に大きな青痣を作ったばかりか、各所にも赤い腫れが残っているというのに平気な顔で歩いてきていた。
…………それは効いてんの? 我慢してんの?
同じく青痣を作った同士としては、我慢しているに一票入れたい。
辟易とした思いが口を衝いた。
「まだやんの?」
「当たり前だ!」
血走った目をする相手に何を言ったところで無駄感がある。
……出来れば遠慮被りたい。
殴り続けることに疲れ、痺れを誤魔化して使用していた腕が限界だからだ。
正直……僅かに劣っているように感じる。
珍しいことに、技量を発揮しているのがこちらという現状……。
だからこそ、ここで叩いておきたい気もする。
しかし……既に勝利条件は満たされていた。
これ以上はリスクでもある。
今度は見た目にも膝を沈めて、『今にも飛び掛からん』とする体勢になった鬣男に、イマイチ煮え切らない気持ちで腰を落とした。
あ、やば――――
「そこまでだ」
霧の向こうから……鬣男が着ていたレインコートと同じ物を身に着けた誰かがやってきた。
聞きゃしない――――そう思っていた鬣男は、しかし驚いたことに動きを止めたばかりかバツの悪そうな表情になった。
……なんだ?
たぶん、包囲していた仲間の一人だと思う。
鬣男が口を開く。
「あ……兄者。まだ大丈夫だ。直ぐだ。直ぐに済ます――」
「そこまでと言った。時間だ」
有無を言わさぬ口調のレインコートに鬣男が黙る。
奇しくも俺よりも低い身長に見えるレインコートは、それでも鬣男より上位者であるらしい。
そのレインコートが……暗闇で光る金眼をこちらへと向けて言う。
「命拾いしたな」
「……」
その言葉は正しくもあり、間違ってもいた。
つい迎え撃つ心持ちになってしまったのが徒だ。
これまでの僅かな優位は、先手を取れていたことに起因していた。
受け身になってしまっては逆転もあり得ただろう。
しかし今までの戦闘経験や……技術で勝るという感覚が、傲りを生んだのだ。
……まさか指摘されるとは思わなかったが……。
踵を返すレインコートを油断なく見送る。
二対一なら、使わざるを得ないからだ。
――――奥の手を。
しかし恐らくは予備のレインコートと思われる灰色の服を鬣男に手渡して、チビのレインコートは霧へと消えていく。
恐ろしいと思うのは、その気配も捉えられなくなることだろう。
……今後視界を封じるのはやめたほうがいいかもしれない。
新しいレインコートを受け取った鬣男が、不満も露わに、しかし受け取ったレインコートを着た。
背の低いレインコートのあとを追うべく霧に消える寸前、わざわざ振り返って言ってくる。
「次は殺す」
……ありがちなこと言いやがって。
脅威の去った霧の中で、未だフラフラと頭を揺らすお嬢様に、回復魔法を掛けてやるべきかどうかという悩みだけが残った。
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