第504話
何か言いたそうにしているお嬢様には悪いが、先方は痺れを切らしているらしい。
応えるべく更に一歩前へと踏み出すと、鬣男が口を開いた。
「構えろ。剣でも杖でも暗器でも構わん。詠唱でも別離の言葉でもな。お前を、俺の『敵』として認める。無様は晒すな。全身全霊を賭せ」
……ああ、なるほどね……そういうタイプか。
更に一歩、二歩と歩を進めながら答える。
「人目に付かないとか言ってたけど……バッチリ俺達が見てるんだが? その辺はどうなんだ?」
ナメんなよ? 俺はピンチになれば形振り構わず助けを求めるタイプだぞ?
煽り上等、相手のペースから崩す。
しかし鬣男も然る者。
撃発することもなく体へと力を漲らせるに留めた。
ただ……獰猛さを上げた顔で言う。
「死人が何を見ようと構わない。しかし要望とあらば――――お前達の死体から目を抉り出しておこう。俺が食ってやる」
「お嬢様、前言撤回します。こいつ無理――」
突如として鬣男が動いた。
それは一歩毎に踏み締める先から破壊を生む荒々しいものだったが――――酷く速かった。
ギリギリ追い付ける程度に。
弧を描いて走り込んだ鬣男が、俺の背後にいるお嬢様に向かって拳を振り上げた。
振り下ろされんとした拳を――滑り込む勢いのまま受け止めた。
体重に速さまでも乗せたこちらの右拳は、相手の左拳を弾くことなく受け止めている。
裏拳気味に受けた右拳の甲から、鋭い痛みと僅か持つ熱が腕を伝って告げてくる。
勝てない、と。
――――こいつヤバい?!
こっちは利き手に、重さと速さすら乗っけているというのに……!
弾くどころか、手が二度と使い物にならないぐらいじゃなきゃおかしいでしょうよ?!
きっちりと原型を保てている左拳が、勢いは止められたというのに関係ないとばかりに押し込まれてくる。
衝突は空間を歪ませ風を生み、その余波だけで瓦礫を巻き上げた。
明暗は明らかだった。
こいつ…………上だ。
俺よりはるかに力が上だ!
どういうことなのか……こちらは間違いなく魔法を発動させている。
三倍だ、両強化魔法を間違いなく三倍で使用してるのにッ!
衝突音は遅れてきた。
足場が盛大に罅割れ、屋上にあった一切合切が吹き飛ばされる。
しかし拳の拮抗は一瞬で終わった。
フッ――と相手からの圧力が引いたのだ。
そして――――これでもかと言わんばかりに力を込めて握り込まれる右拳。
ヤバい。
咄嗟に全力で足元を踏み締めて建物の瓦解を後押しする。
向こうが右拳を使うより早く、足場の沈下が始まった。
それでも振り切られようとする右拳に、こちらのバックステップが間に合う。
衝撃波に吹き飛ばされていたお嬢様を拾うと、崩壊していく建物を足場に夜空へと飛び上がった。
――――ちょっと?! 見た目にそぐわぬ化け物っぷりなんだけど?!
聞いてない!
生み出した風に後押しされるように煙を巻いて、他の建物へと跳び退る。
相手が面食らうと思っていた初撃は、こちらが面食らう結果と成り果てた。
勝算は…………速さだろうか?
後出しでも間に合った初撃の防御と、振り回される前に回避出来た右拳を考えるに、基礎的な速さはこちらの方が上らしい。
ただし力では敵わない――――と未だに痺れが残る右手が言っている。
ズキズキとした痛みは……もしかすると骨に異常があるのかもしれない。
骨折…………いや罅か?
「お嬢様! ご無事ですか?!」
左小脇に抱えたハーフツインを、新しい足場へと降ろす。
いざという時のために手は空けておきたいから。
「ちょ…………なんか…………クラクラするぅ…………」
降ろされるままうつ伏せでピクリともしなかったお嬢様が、乗り物に酔った後のような台詞を吐いた。
明滅するように脳裏に浮かんだのは『ブラックアウト』という言葉だったが――――
今はそれどころじゃない! と痛みを訴える右手を回復するついでにお嬢様にも回復魔法を掛けた。
うん、仕方ない……これは仕方ないこと。
「…………あ、なんか段々楽になってきたわ」
幸いなことにうつ伏せで、今にも『ウエェ〜』とやりそうだったお嬢様は、背後からの緑光に気付いてないようだった。
適当なところで回復魔法を止めると、建物跡地となった瓦礫置き場の岩塊が動く。
…………まあ、あれで死ぬとは思わなかったけどさ。
道端の石ころでも蹴飛ばすように、自分の何倍もある瓦礫を吹き飛ばして……噴煙の中から鬣男が現れた。
倒壊する建物に取り残されたというのに仲間が駆け付けて来ないのは、信用があるからか……。
あるいは巻き込まれないためにか。
それだけの力だった。
出来れば今のドタバタでこちらを見失っていてくれないものか……。
希望は叶わず。
身に纏う噴煙をそのままに、空を見上げた鬣男は……まるで躊躇すらなく一足飛びに、こちらが足場とする建物の屋上へと跳んできた。
「……先に仕事を終わらせようと思ったんだがなあ。お前、面白いぜ」
月を背後に建物の縁に足を掛け、爛々と瞳を輝かせる鬣男。
いくらか距離があるのは警戒によるものだろうか……。
台詞もそうだ。
少なくともこちらを誘い出すようなことは言ってこなかった……。
挑発には挑発で返そうか。
「今の言葉でお前の若さが透けるね」
見た目がゴツいオヤジの癖に、随分と青い台詞を吐くじゃないか。
再び背後にしたお嬢様の前で――――そっと魔力を練り上げた。
鬣男が笑みも露わに訊いてくる。
「へえ? どこがだ?」
「仕事に『終わり』なんて言葉は無いからだよ。仕事ってのはな? 永遠に続くのさ。終わりなんて来ない。俺達に出来るのは『降りる』か『続ける』かだけだ……」
ああ……そういやぁ、そうだったな。
それが社会の摂理だった。
だったら受けなきゃなるまいね。
既に
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