第494話

 お嬢様は言う。


「抜け出すのにちょうどいい口実が欲しかったから、貴方を使うことにしたのよ。出迎えに騎士団が行って、召使いが増えたことで油断したシェーナが私の傍から離れて、我ながら名案だったと思うわ。就寝前の隙を突けたことも含めてね」


「……つまり感謝の言葉というのは?」


 嘘なんだね?


 暫し名前も知らないどっかのお嬢様と見つめ合う。


 すると若干の間を空けたあとで、お嬢様が鷹揚に片手を上げながら続けた。


「助かったわ、ありがとう」


「……いえいえ、そんな滅相もない。さて……宣言通りお褒めの言葉も頂いたことですし、私はそろそろお暇させて頂きたく……」


 お嬢様が目の前の地面に何かを放った。


 チャリン、という小気味のいい音のする小袋だ。


「別に何も考えてないわけじゃないから。お金、持ってないんでしょ? それは謝礼も込みだけど、一応の目処がついたら別に報酬も払うわ。言ったでしょ? 貴方を使って」


 ……やれやれ、そんな端金はしたがねで俺の安全をどうこう出来ると思ってるのかね? だとしたら、勘違いにも……うおっ?! 全部金針なんだけど?! 借金余裕なんだけど?!


「……貴方、仮にも元貴族なら、もうちょっと言葉の駆け引きとかしなさいよ。そんな『やれやれ』みたいな表情されたところで、それだけ素早く袋を拾ってたら台無しじゃない。……まあ、話が早いからいいけど」


 ……元貴族? …………ああ、そういえばそんな勘違いをされてたなぁ。


 しかしまあ……チョロそうな分際で俺に向かって言葉の駆け引き……だって?


 面白いやないけ?


 好奇心からお嬢様に問い掛ける。


「ちなみにどんな言葉の駆け引きをする予定だったので?」


 小袋の重みを感じながらポケットの奥底にしっかりとしまい込んでいる俺に、呆れた表情を向けるお嬢様が返す。


「そうね。貴方は知らないかもしれないけど、我が国は宣戦布告したばかりなの」


「あの……なんとか海洋国にですか?」


 フッフッフ、別に情弱というわけではないのだよ、情弱というわけではね!


 微かにドヤる俺に……しかしお嬢様は溜め息を吐いてみせた。


「貴方が何も分かってないことは分かったわ。同時に何処を出て鯨に呑まれたのかもね。宣戦布告はね、行ったの。ラベルージュ海洋国だけじゃなくね。いよいよ世界を正しき姿へ戻さんとする我が国の大偉業が幕を上げたってわけ」


 イカレてんな。


 ……え? イカレてんね?


 蒼き清浄なる……なんだって?


「……周辺国全て、ですか?」


「そうよ。……そういえば既婚だったわね。もしかして自国の心配してる? それかラベルージュ海洋国に亡命でもしてた? だとしたら尚のことよね。私に使われた方が貴方にとってもお得じゃない? 何も虐殺しようってわけじゃないんだから……なんだったらお目溢しするよう働きかけてあげてもいいし」


 いや、そうじゃなく。


「周辺国全てって……そんなの、向こうが同盟やら協定やらを結んだら、ボコボコにされるだけなのでは……?」


「フン! あり得ないわね! 確かに国土なら比肩する国もあるんだろうけど……帝国の魔導技術は今や抜きん出てるもの! 相手になる国なんていないわ!」


 無い胸を張るお嬢様を余所に、脳裏にはここ四、五日の出来事が駆け巡る。


 魔導技術っていうのは……例のヤバいお薬とか、ウェットスーツ的な物のことだろうか?


 確かに技術格差はありそうである。


 しかしだ……。


 まあ……帝国がどんな理由で戦争するかなんて俺の知るところじゃないだろう。


 とりあえずの懸念は自国の安否ぐらいだろうか?


「……でも大峡谷を越えられずに責め切れない国とかあるらしいじゃないですか?」


 自国の名前を覚えてないので、それとなく覚えていた特徴を切り口に、我が国の安全を確認してみた。


「ああ……ラグウォルク王国ね。本当、あの国は邪魔よねえ? 都市国家群でもそう思ってる貴族がいっぱいいるんじゃない? そっちはまだ隔たりが少ないけれど、こっちに面してるのなんて『帰らず』と呼ばれる谷に『天獄』とかいう厳めしい名前のついた要塞砦だもの」


 凄い嫌そうな顔だなぁ……。


 これは今更「ラグウォルクの兵士です!」なんて言えないよなぁ……。


 邪魔な国出の一兵卒が口を噤んでるのをいい事に、お嬢様の愚痴は止まらない。


「本当、あの国が無かったら今頃は帝国が世界で一つだけの国になってたっていうのにね……! 大陸の東を纏め上げた燦然と輝く帝国史にも、あの国のポッと出具合が載ってるわ。何処から持ち出したのかは知らないけれど、『七剣』なんて野蛮な武器を以って周辺国を併呑。よりにもよって帝国が西に進出する前に一大国家を築き上げるなんて……そんな話ある? 大体がうちの国の真似じゃない。『一天三杖五槍七剣九宝』なんて言われてるけど、世界に初めて名を轟かせたのは、帝国の『三杖』だもの。言わば似非よ。そう思わない?」


「思います思います、全くもってお嬢様の言う通りで」


「そうでしょ? 貴方、都市国家の没落貴族にしては見処あるじゃない。やっぱり私の目は間違ってなかったってことよね!」


 それにはノーコメントで。


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